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Dr.コトーのモデルとなりました「甑島KOSIKIJIMA・薩摩川内市 外海離島の6診療所の医療体制のあり方について助言することになりました。〜ヘリをチャターして巡回試乗に挑戦して参ります(長 隆 )

テレビで御馴染みの
Dr.コトー

 
南の孤島の診療所を舞台に、家族愛や命など素朴な
人の優しさを描く!


2007.01.14 河北新報記事引用です) 

離島診療はロマン/Dr.コトーのモデル・瀬戸上さん/車で40分走り往診「志があったわけじゃない」。でも挑み続けた/休日も自主待機


技術超える医療の本質

 離島医療の喜びや悲しみを描き、テレビドラマとしても人気の漫画「Dr.コトー診療所」。その主人公のモデルになった医師が鹿児島県薩摩川内市の下甑島にいる。瀬戸上健二郎さん(65)。県本土から赴任し、30年近く診療所長を務める。「コトー」のヒット以来、若者の訪問が相次ぐ島に瀬戸上さんを訪ねた。

 同県西部の串木野新港から高速船で西へ約2時間半。下甑島の手打港で船を下り、歩いて20分ほどの集落内に手打診療所がある。

 ただし、瀬戸上さんは常にこの診療所にとどまっているわけではない。週に1度はほかの集落へ赴く。この日は山道を車で40分ほど走って、普段は無人の瀬々野浦診療所へ。お年寄りばかり約30人が待っていた。

 一人の女性が「先生、これ見て」と、糖尿病の検査結果表を差し出す。「ほとんど満点だ!」。瀬戸上さんの太い声に、女性が笑顔を見せる。患者の多くは血圧を測ってもらい、薬を受け取って帰る。

 手打診療所に戻ると、がん性腹膜炎の高齢の女性とその家族が来ていた。

「あと2カ月持つかどうか。でも、最期まで自宅で過ごしてほしい。一日一日が大事。この島はどこよりもホスピスらしい場所ですから」。瀬戸上さんは静かに言った。

 鹿児島県東串良町の農家に生まれた瀬戸上さんは、農業高校進学を期待されたが、猛勉強して父親を納得させ普通高校に入った。虫垂炎をこじらせたとき、治してくれた医師に「これからは医者の時代」と言われ、医の道を選んだ。鹿児島大医学部を卒業し、大学の付属病院などに勤務。1978年に下甑島に赴任した。

 「独立して県本土で開業するまでの一時期を過ごしたかっただけ。離島医療への熱い志があったわけではない」と語る。

 当時は設備もスタッフも不十分で、診療所で手術が行われたことはなかった。専門の外科の腕を生かして、肺がんや食道がんの手術を開始。子宮外妊娠の手術など、島民の要望や緊急事態には「いっちょやってやろう」と果敢に取り組んだ。役場に働き掛け、医療機器を充実させていった。

 夜間や休日も急患がある。代わりの医師がいない限り、島を離れない。客が来れば酒も付き合うが、「1年にビール3本あれば足りる」。そんな生活を続けるうちに、妻は出産し、子どもたちは地元の学校を卒業した。

 下甑島では高齢化が進み、人口は減少している。だがドラマを見て、小学生から大学生まで、若い世代が島を訪れるようになった。研修先に島を選ぶ新米医師も。島民と交流する彼、彼女らが「新しい風を運んでくれる」と瀬戸上さんは歓迎している。

 研修医の一人、生駒香名子さん(26)は島に来たとき、瀬戸上さんから

「ここは勉強する所ではない。感じる所だ」と言われた。「患者さんは先生から声をかけてもらって満足して帰るんです」と生駒さん。技術を超える医療の本質に触れたようだ。

 今、瀬戸上さんは「離島診療はロマンだ」と話す。細分化された先端医療に満足できず、人格をかけた総合的な医療をへき地でやってみたいという医師が、確実にいる。