特集 製薬 電機 IT... 医療産業エリート大争奪戦

2018.07.19

特集 製薬 電機 IT… 医療産業エリート大争奪戦 (4/5)
2018.07.21 週刊ダイヤモンド


巨大再編を繰り広げる製薬業界。その裏側で、最新のテクノロジーを使いこなす米IT大手や医療機器メーカーが、医療産業で存在感を増している。


米IT大手が続々参入 ビッグデータ医療革命


グーグル、マイクロソフト、アマゾン、インテル、エヌビディア──。医療業界に変革をもたらすニューカマーとして期待を集めているのが、米国を代表するITの巨人たちだ。背景にあるのは、医療に関係するデータが膨れ上がっていることだ。医療機器が撮影する画像の枚数や容量は増加の一途をたどり、患者が身に着けた端末からリアルタイムでデータ収集できるようになった。計算資源を提供するクラウドサービスや高性能な半導体など、膨大なデータの処理に自信を持つ巨人たちは、自身の強みを生かした新たな医療サービスを創出することで、医療業界を揺るがす一大勢力となっている。


 米国のある病院に、乳がんの女性患者が運ばれてきた。すでにがんは転移しており、胸部に水がたまっていた。CT検査や医師の診断後、患者の入院中の死亡リスクは9・3%と判定された。

 この患者を、米グーグルのAIが“診断”した。AIが参照したデータは、患者の電子カルテや服薬記録など17万5639個。このデータを基にAIがはじき出した入院中の死亡リスクは、19・9%だった。残念なことに、この患者は10日後に亡くなった。

 これがグーグルの開発した、入院患者の未来を予測するAIである。AIの学習には、米国の3病院と協力して集めた患者約21万人分の電子カルテなど、468億個のデータが使われた。

 「患者が死亡するかどうか」という判定の精度を示す予測スコアは0・95(1に近いほど完璧)を記録し、従来法の0・86よりも圧倒的に正確だった。

 このAIの特徴は、ただ患者の未来を予測するだけではない。その判断に至った“根拠”も示し、医師の診断を手助けするのだ。

 例えば冒頭の事例では、過去に患者に投与された薬の種類や病理学者の診断記録、さらには胸部にたまった水を抜くために使われた医療器具の名称など、AIが重視した要素を強調してくれる。

 患者の現在の状態だけでなく、過去の膨大な医療記録の全てに目を配り、医師に適切な治療のヒントを与える。これがグーグルの目指すAIだ。

 さらにグーグルは、病理診断を一変させるような研究も進めている。がん細胞の位置を教えてくれる、AR(拡張現実)顕微鏡だ。

 米国のグーグル本社で開発中のAR顕微鏡は、画像診断でグーグルと提携しているニコン製。レンズをのぞき込むと、緑色の線で囲まれた領域がある。この中にいるのが、がん細胞だ。

 顕微鏡にはカメラと小型の投影機が取り付けられており、カメラが取得した画像をAIが処理し、がん細胞の位置を示す線を描く。

 このAIは乳がんの画像データを基に学習しているため、乳がんを見分けることができるのだが、「学習データを変えることで、結核やマラリアなどの診断にも応用できる」(グーグルAI病理プロジェクトテクニカルリードのマーティン・ストンプ)。

 電子カルテの基幹システム(OS)やクラウドサービスを、富士通やNECなどの大手電子カルテベンダーに提供する米マイクロソフト。従来の得意分野に加えて、仮想現実やAIを使った医療にも積極的だ。

 「ここに腫瘍が見えています。切除ラインはこういう感じで」

 手術室に集まり、手術の方針を話し合う医師たち。通常の光景と異なるのは、医師たちがマイクロソフトのゴーグル型端末「ホロレンズ」を着用していることだ。

 ゴーグルを通すと、患者の体の上に、立体的な臓器が浮かんで見える。これはCT検査のデータを3次元にしたCGで、血管の位置などを事前に把握できるため、手術の安全性が高まるという。

 米国のダートマスヒッチコック医療センターでは、AIを使った遠隔診療の実験も行っている。

 「24時間で体重が1キログラム増えています。食事管理が守られているかどうか確認してください」

 患者がクラウドにアップした血圧や体重などのデータを、AIが24時間監視。異変があるとすぐに察知し、患者のリストバンド型の端末に通知が送られる。

 「膨れ上がる医療のコストを、デジタルの力で病気を未然に防ぐことで削減できる」と、日本マイクロソフト医療・製薬営業統括本部長の大山訓弘は語る。

 エヌビディア、インテルという米半導体大手の二大巨頭も、医療を重点分野に掲げる。患者に関連するデータ量が膨れ上がったことで、素早くデータを処理できる半導体の存在が、医療の未来を左右するからだ。

 両社とも医療機器大手や医療機関との提携を進めており、医療分野でのノウハウ蓄積を加速させている。「個別化医療で最も重要なものは患者のデータだ。増え続けるデータが、新たな医療と価値を生む」とインテルインダストリー事業本部長の張磊は強調する。

 勢力を増すITの巨人たちが直接対決する分野も登場した。糖尿病網膜症の画像診断である。

 糖尿病は患者数が世界で4億人を超す巨大市場だ。主要な合併症である糖尿病網膜症は、成人の失明原因の第1位となっている。早期発見できれば失明リスクは低減するものの、インドなどでは医師不足が叫ばれている。そこでAIの出番というわけだ。

 今年4月、FDA(米食品医薬品局)がAIを使った診断装置として初めて認可した米IDx社の「IDx-DR」も、糖尿病網膜症の診断装置だ。この装置の学習に、エヌビディアの半導体が使われている。グーグルやマイクロソフトもまた、医療機器メーカーや病院と連携して網膜の画像データを収集し、実用化を急いでいる。

 米IT大手を後押しするのは、未来の医療の導入に積極的な欧米の医療機関だ。ある米IT大手の幹部は、「医療の“質”の向上は、米国では病院が患者を集める武器になる。ところが保険診療の日本では、病院の収入は治療法で決まってしまい、治療の質の向上に投資する意欲が低い」と嘆く。

 AIを活用した医療では、学習用のデータ量が治療の質を左右する。膨大なデータを先行してかき集める米IT大手が、医療の覇権を握らんとしている。


Google


網膜の画像から心血管系疾患リスクを予測

約28万人分の網膜の画像を学習し、患者の年齢や血圧、肥満度、喫煙の有無などから心血管系疾患のリスクを評価

入院患者の未来予測

約21万人分の患者の電子カルテデータを学習させ、病院を訪れた患者に今後何が起こるのかを予測するAIを開発

AR顕微鏡でがん発見

数千枚の乳がんの画像を学習することで、がん細胞の位置を線で囲んで教えてくれるAR顕微鏡を開発


amazon


オンライン薬局

オンラインで処方薬を販売する米ピルパックを1100億円規模で6月に買収。医薬品の販売に本格参入


Microsoft


AIを活用した遠隔診療

自宅で血圧などのデータをクラウドにアップすると、患者の状態をリアルタイムで分析し、ケアプランを連絡

手術シミュレーション

ゴーグル型端末「ホロレンズ」を活用し、血管や神経など臓器の状態を3Dで事前に確認できることで、手術がより安全に


intel


高リスク患者の特定

患者の体温や血圧、脈拍などを分析し、1時間以内に緊急対応チームの介入が必要な事態を80%の精度で予測


NVIDIA


画像診断の向上

計算処理能力の進歩で、MRIや超音波などの画像診断が向上。GEヘルスケアやキヤノンメディカルシステムズと提携


“AI診断”の最前線 糖尿病網膜症で米IT大手が激突


糖尿病網膜症

●成人の失明原因1位

●早期検出できれば失明リスク低減

●診断できる医師が不足



AIが活躍する可能性大!

社名

概要

米 グーグル

インドや米国の患者の画像12万8000枚で学習。AIの検出感度は97.5%。ニコン傘下の英オプトスと提携

米 マイクロソフト

25万人の患者の画像を基に学習。感度は96%。米インテリジェントレチナイメージングシステムズ(IRIS)と提携

米 エヌビディア

AIを使った医療機器ではFDAの初認可となる診断装置「IDx-DR」は、学習時にエヌビディアのGPUを利用


デジタル覇権にロックオン!


医療機器メガ勢“脱”装置の野望


装置商売で稼いできた医療機器の世界メガが、物売りビジネスから脱却する。次に彼らが狙うのは、データを集めて活用し、サービスを生み出すデジタル覇権である。


 医療機器の世界三大メガの一つ、オランダのフィリップスのCEO、フランス・ファン・ホーテンは6月末、海を渡って日本の地に降り、1泊2日で日本列島を横断して大阪の国立循環器病研究センター、名古屋大学、東北大学などへ次々と足を運んだ。

 かつて総合電機メーカーだった同社は、本体の事業を医療・ヘルスケアに絞り込み、医療機器メーカーからヘルステック企業へ転身することを宣言している。

 その戦略の鍵を握るのがクラウドシステム「ヘルススイート」である。さまざまな医療・健康機器やサービスをつなぐもので、国循、名古屋大、東北大はそのシステムを活用して協業するパートナーの位置付けだ(57ページ図参照)。

 患者ら個人や医療機関、企業の機器・サービスが医療・健康データを含めてデジタルでつながる技術を得た時代に、新たな医療・ヘルスケアのシステムを形成するキープレーヤーになることを狙っているのだ。

 57ページ図に記載されている企業や組織以外にもどんどん協業先を増やしている。それでもこのシステムにまだ足りないものがある。それは、カネの出し手である。

 「マネタイゼーションの仕組みをどうつくるかが非常に大切」と戦略企画・事業開発統括本部長である相澤仁は言う。一個人がこのシステムを利用して日々の健康に関するデータを測定し健康管理を行うことになった場合、そのサービスを受けるコストを誰かが払う必要がある。

 例えば、日本アイ・ビー・エムはAI技術「ワトソン」をソリューションとして提供した企業などからフィーを受け取るかたちでマネタイズが成立している。フィリップスのモデルは単純なBtoBビジネスではない。

 まだ病気になっていない段階で本人が月額100円なりでも支払うだろうか。

 健康管理において中核となり得る医療機関が、患者サービスで差別化を図る意味でも支払いを負担するだろうか。

 民間保険会社が健康管理をサービスの一つとして、あるいは健康を保ってもらうことで加入者への支払い削減につながるからと負担するだろうか。

 本人が所属する企業やその健康保険組合はどうか。国、自治体、地域コミュニティーはどうか。

 つまり、パートナー探しは、システムのコンテンツを充実させる目的だけではない。BtoBtoCでの払い手を模索する旅でもある。

 参加する企業は、提供者サイドに終わらず、従業員の健康を守る企業として、あるいは住民の健康を守りたい街づくり企業として、このシステムを利用して払い手側に回るポテンシャルも持っているわけだ。


シーメンスは医療業界版App Store


 高額なハードを売って商売することに焦点を当てたビジネスモデルが終わりを告げていることを、医療機器の世界三大メガである米GEヘルスケア、フィリップス、独シーメンスヘルスケアはそれぞれ自覚している。

 シーメンスヘルスケアは、自社製品と医療機関の閉じた関係ではなく、医療機関やさまざまなサプライヤーがデジタルでつながって医療情報データを管理・活用するクラウドプラットホームを提案している(右ページ図参照)。

 このプラットホームでは米アップルが「iPhone」などで使えるアプリのダウンロードサービス「App Store」を運営しているのと同様に、サードパーティーのアプリもユーザーに提供・販売する。

 GEヘルスケアも画像診断装置で撮影した検査画像などを保管・管理する情報システムソリューションに力を入れている。この特徴は、他社製の医療機器やシステムから収集するデータも取り込んで活用できることだ。

 院内部門間や施設間のデータの統合を支援し、地域医療連携や膨大な画像データをビッグデータとして分析することが可能になる。

 装置よりもプラットホームやサービスにビジネスをシフトして利用料などで稼ぐというのは、電機業界やIT・通信業界などにおいて、パソコン(PC)というハードを売るビジネスから、クラウドも含めたサービスコンテンツを売るビジネスに主戦場が変わったことに重なる。

 そういった産業構造の変化を目の当たりにしたこれらの業界に身を置く者たちの中には、医療業界にも同じような波が来るとにらみ、医療産業に転身してデジタル化に携わる者が出てきた。

 フィリップス・ジャパンの例を挙げれば、幹部ポストの多くは今やこれらの業界を含めた異業種出身者たちで埋められている。

 独ソフトウエア開発会社SAPの日本法人で20年間で働いてきた古濱淑子もその一人で、コネクテッドケア&ヘルスインフォマティクス本部長を務める。

 「まだまだIT化が進まずにホワイトスペース(空白地帯)がいっぱいあるのが農業と医療。田舎に住む家族が体調を崩したとき、診療を受けて薬をもらうためだけに、丸1日を費やした経験から、改善できるところがいっぱいあると感じた」

 医療機器業界は異業種からの採用も多い(上図参照)。

 IT系などはこれまでの実績が目立つわけではないが、ヘッドハンターの清水潤次(エリメントHRCエグゼクティブコンサルタント)によると、「企業からはIT系、デジタル系の人材のニーズが高まっている」とし、さらにマッチングが増えていく可能性が高い。

 ヘルスケア事業でIT人材に年収2000万円を提示する募集も出ている。

 ヘッドハンターの恰(あたか)良太(ケンブリッジ・リサーチ研究所シニアコンサルタント)は「デジタル化への急速な流れに、医療機器業界で長年働いてきた人たちには戸惑いもある。彼らと新しい血をうまく融合していくことも鍵になる」とも言う。ITやソフトウエアだけでも成し得ないのが、ヘルステックである。

 国民皆保険制度を敷く日本は、医療機関も医療産業も国民も公的健康保険をベースにした医療に縛られ過ぎてきた。制度を崩せないまま、国の医療財政は破綻寸前に陥っている。

 今までの制度の延長線上ではなく、デジタル化が医療・ヘルスケアを変えることができれば、それが国民皆保険制度を守ることにもつながり得る。


ドラマ「ブラックペアン」の現実世界


国産手術ロボット開発の裏側


ドラマ「ブラックペアン」に登場した手術支援ロボット。実はドラマ同様に、現実世界でも国産ロボットの開発が進んでいる。手掛けるのは手術機器大手ではない、意外なところだった。


 始まりは2011年、神戸商工会議所の会議で交わしたトップ同士の雑談だった。

 会頭(当時)で川崎重工業会長(同)の大橋忠晴、副会頭(同)で検体検査機器大手シスメックス会長兼社長の家次恒の二人は隣り合わせに座ると、注目を浴び始めた手術支援ロボットの話題で盛り上がり、「やらないんですか」「一緒にやりましょうか」と意気投合した。どちらも手術装置では新規参入になるが、とんとん拍子で話は進んで13年には合弁会社「メディカロイド」を設立した。

 メディカロイドの社長である川重常務の橋本康彦、副社長であるシスメックス専務の浅野薫も大乗り気だった。浅野は川重で昔働いており、川重のロボティクス技術ならできると思ったし、医療業界のノウハウは自分が身に付けている。二人は30年来の友人。事あるごとに「一緒にやりたいねえ」と話していた。

 6月に最終回を迎えたテレビドラマ「ブラックペアン」(TBSテレビ)では、手術支援ロボットがストーリーの鍵を握った。海外製ロボットで手術を行ったり、国産製品の開発に主人公らが巻き込まれたりした。

 ストーリーはフィクションだが、手術ロボットについては現実と重なる部分がある。海外製ロボットは米インテュイティブ・サージカルの「ダヴィンチ」(下図参照)、国産はメディカロイドや東京工業大学発ベンチャーのリバーフィールドの開発品がモデルになっていたのだろう。

 現実世界の話をすると、ダヴィンチは米国で2000年、日本で09年に国の承認を取得し、販売を始めた。世界でも日本でもほぼ市場を独占した。ロボットの力を借りると、人の手首の動きを凌駕する曲げ方や回転が可能になり、手の震えも補正してくれる。より精緻な手術が可能になった。

 日本でも医療機関で急速に導入が進み、この4月の診療報酬改定で胃がんなど複数のがん種や心臓の手術で公的保険の対象になった。これによって一気に手術数が増えていくと予想されるが、装置が約2億~3億円、年間のメンテナンス費用が2500万円ととにかく高い。

 特許に守られ、価格競争を仕掛ける競合品がなかったのだ。しかし、19年にいよいよ基本的な特許が切れる。メディカロイドによる開発はこのタイミングを狙ったもので、19年度中の発売を目指している。日本人の小さい体にも使いやすいよりコンパクトなものだ。


世界メガJ&Jはグーグルと組みITで進化させる


 産業ロボットや自動車に携わる国内メーカーなどで、自社の技術で手術支援ロボットを開発できると考えたところは他にもあった。手術を手掛ける有力外科医たちの元には、アドバイスや共同研究の相談が持ち掛けられていた。

 しかし、患者の生命を左右する手術機器へ実際に参入する決断は容易ではない。ロボット技術、医療業界の知見のどちらが欠けていても駄目。川重、シスメックス共に単独では成立し得なかった。

 また、人の生死を左右するだけに、もし事故があれば、会社全体のブランドが傷付き、本業に影響を与えかねない。トップに責任を全うする決断がなければ難しいものだった。

 逆を言えば、リスクテークして、スピードと参入タイミングを見逃さずに、技術と知見を補完し合えるパートナーと組めば、参入組であっても先を走ることができた。

 なお、内視鏡世界最大手で、かねて対抗馬の最右翼とみられてきたオリンパスは、より低侵襲な内視鏡タイプの開発を進めている。ダヴィンチ同様の腹腔鏡タイプは、やはりロボティクスメーカーと組んで開発する。

 治療機器の世界メガである米ジョンソン・エンド・ジョンソン(J&J)もダヴィンチに対抗する手術ロボットの開発を進めている。単独ではなく、人工知能(AI)、ITでさらに進化させるべく米グーグルと手を組んでいる。

 医療機器の世界市場規模は約40兆円弱。この市場で日系は製薬産業同様に長年、世界メガに差をつけられてきた。約3兆円弱の国内市場は大幅な輸入超過が続いている。国内最大手勢であるオリンパスやテルモでも世界20位内(売上高ベース)に入るのがやっとだ。

 一口に医療機器産業と言っても、大型の装置から注射器といった消耗品まで多種多様。生死に関わる治療まで踏み込む手前であれば異業種でもなんらかの事業や商品、サービスに手を出しやすい。

 中でも富士フイルムの勢いはすさまじく、買収に買収を重ねて治療分野にまで攻め込んでいる(上図参照)。本業のフィルム市場が崩壊した経験を持ち、時代の変化や技術の進化に乗り遅れることへの危機感が人一倍強い。

 同社や専業のテルモは、まだ本格的な実用化が見えてこない再生医療で勝負に出ている。富士フイルムは買収したジャパン・ティッシュ・エンジニアリングが大やけどの治療に使われる自家培養表皮「ジェイス」と膝関節の外傷性軟骨欠損症治療用の自家培養軟骨「ジャック」を、テルモは心不全治療の心筋シート「ハートシート」を製品として持つ。

 再生医療が本格的なビジネスとなるかどうかは、まだ分からない。現状、世界メガにとっては優先順位が低い。彼らもリスクテークしたわけだ。

 ヘルスケア市場の成長性を見込んで「第三の柱」に掲げた企業は過去に山のようにあった。しかし、本当に柱となし得たところはそう多くない。


異種格闘技戦は戦うだけではない 誰を味方に付けるか


 医療のど真ん中を攻めるほどに、ビジネスとして稼げるようになるまでに時間を要したり、独特の業界ルールや規制に阻まれ社内で事業が孤立しやすかったりする。経営再建の局面になると売却されやすく、逆に本業が好調になると優先順位が下がって目をかけられなくなったりする。

 電機大手は軒並みヘルスケア事業を手掛けてきたが、パナソニックは14年にヘルスケア事業を米大手投資ファンドであるコールバーグ・クラビス・ロバーツ(KKR)に、東芝は16年に医療機器会社の東芝メディカルシステムズをキヤノンに6655億円でそれぞれ売却した。

 本体と分かれて成長を目指す流れは世界メガにも見られ、いざ離れてみると事業活動においても、医療業界でのM&A(企業の合併・買収)や提携においてもスピード感を出しやすかったりする。

 電機最大手である日立製作所も計画通りにはM&Aを進められていない。もっとも、粒子線治療装置事業は三菱電機からの買収を果たし、ようやく世界1位の座を狙える位置に来た。

 世界メガの強さは、事業再編やM&A、提携への決断力、スピード感によるところも大きい。異種格闘技戦は戦うばかりではない。スピード感を持って誰を味方に付けるか、取り込むかも鍵となる。


スポーツテックもスリープテックもある!


新興ヘルステック大驀進


上田悠理(うえだ・ゆうり)●Health 2・0 Asia-Japan統括ディレクター、医師 早稲田大学法学部を卒業後、岡山大学医学部に編入。形成外科・訪問診療医として臨床を行う傍ら、ワークショップなどを主催。2017年よりメドピアが主催するヘルステックの国際カンファレンス「Health 2・0 Asia-Japan」統括ディレクターを務める。


 運動をしましょう、食生活に気を付けましょう、健康的な生活を送りましょう──。昨今、「健康のための〇〇」が増えている。

 スマホアプリや「Apple Watch」「Fitbit」などのウエアラブル端末で、日々の運動量や睡眠状態、食事内容などのログ(記録)を取っている方も少なくないのでは? 結果としてダイエットに成功したり、運動習慣がつくなど生活が変化した方もいるだろう。

 一方で、相変わらず世界は誘惑に満ちている。日々の癒やしの昼食は、サラダじゃなくてしっかりカツ丼を食べたいし、飲み会だって行きたい。飲んだら締めのラーメンでしょ!

 ジレンマを抱える現代人に向けて、医療従事者やヘルスケア関係者は、どうしたら自主的に健康な生活を送ってくれるかを考える。そこで登場するのがあなたのためのテクノロジー、「ヘルステック」である。

 技術進化で急速に発展するヘルステックのカバー範囲は、オンライン診療や治療アプリなどの医療領域にとどまらず、スポーツテックや睡眠(スリープテック)、食事・栄養といったウェルネス領域など、ライフサイクルの全てにわたる。

 世界的な注目市場となり、米国ではヘルステック領域の投資金額が2017年に58億ドルと過去最高になった。日本でもこの1年間で数億円単位の資金調達が複数件発表されている。

 ちまたで流行の「オープンイノベーション」「アクセラレータープログラム」でも、採択企業には必ずといっていいほど、ヘルステック系ベンチャーが名を連ねる。先日上場したメルカリも選出され、経済産業省が「公式にえこひいき」するという発表で話題となったスタートアップ企業の支援プログラム「J-Startup」選出全92社中、約20社がヘルステック関連である。

 医師兼起業家が乱立し、RIZAPグループにジョインしたカルビーの松本晃元会長など、他業界出身者も入り込み、業界は戦国時代。そこからさまざまな商品、サービスが生み出される。

 皆さんも、今の生活を振り返り、「ちょっとよく生きる」ためにテクノロジーを活用してみてはいかがでしょうか?


ヘルステックを武器にする


新時代エリートの条件


ヘルステックは医療・ヘルスケアシステムを改革する武器になる。しかし業界全体ではまだ収益モデルを構築できていないものが多い。ここを物にできる者こそが新時代のエリートとなる。


 最初は医療に興味はなかった。臨床検査機器大手、シスメックスの中央研究所第一研究グループ部長である渡部祐己(46歳)は20代を京都大学、大阪大学、東京大学と渡り歩いて理論物理学の研究に費やした。

 人間とは何か──。人の思考や感情を物理的に理解したかった。

 30歳ごろにポスドクを抜け出して、ソニーの研究所でバイオセンサーを研究。人の気持ちを読み取るツールなどを考える中で、強いストレスを受け続けて鬱になるといった異常な状態、病気になる状態についてもっと知りたくなった。

 その後、開発部門を経て2012年からメディカル事業ユニットに移った。研究開発兼戦略兼商品企画。要は何でもやる戦略部隊だった。

 この部隊で取り組むテーマの絞り込みを行ったとき、自分がやりたいと考えていたテーマを削った。ソニーでは他のものを優先すべきだと考えたからだ。

 やりたかったのは予防医療。発症を未然に防ぐ先制医療だ。発症する前にどんなデータをどう解析するか。日常的に体の数値を測って予防につなげつつ、病気になったらそれまでのデータを活用し、治療後も再発しないようにする。一気通貫で健康をマネジメントするシステムだ。

 より医療に近い企業であればやれるテーマではないかと考え、会社を移ろうと決めた。転職先候補は海外に多く、国内はわずか。開業医ルートを開拓する計画を持つシスメックスからゴーサインが出て、16年に入社した。

 転職して最初のカルチャーショックは、社員がみんなスーツを着ていることだった。社内に複数いるソニー出身者も、最初は同じように驚いたらしい。

 決められた仕事をきっちりやる真面目な雰囲気は、前職とだいぶ異なるものだった。

 医療業界は規則を守ることに厳しい面がベースにあるからだろうと受け止めつつ、染まるつもりはなかった。規則は守るが、隣のことに口を出すし、目的に向けて一緒にやった方がいい人がいれば、どんどん巻き込んだ。

 「目的と手段では目的の方が重要」と渡部。予防医療を実現する手段として、データ解析や装置開発が必要ならどんどんやる。技術的なこともやるし、医師や他社との交渉でも、何でもやる。昔のつても使いまくっている。

 自分の専門分野に固執して仕事の範囲を区切ってしまうと、新しいものは生み出せないと経験上知っていたからだ。

 型破りにも映る渡部だが、実は今の医療産業、ヘルスケア企業が欲する典型的な人物である。

 デジタル化における業界全体の収益構造、つまりエコシステムはまだ構築されていない。会社や事業単位でいえば、ビジネスモデルがまだ確立されていない。従来の社内ルールや役割分担の枠内で動いていては、渡部のような人材を投入している他社に後れを取る。

 人材サービス会社、ビズリーチの実績データによると、メディカル系人材の流動性は高まる傾向にあり、異業種からの採用が多いことが見て取れる(右ページ図参照)。新しいビジネスを引っ張る中核人材を中途採用市場に求め、IT・ソフトウエア系、コンサルティング系、異業種メーカーなどから新しい血を取り込んでいるのだ。

 メディカル業界から他業種への転職も多い。他業種からメディカル業界へ、メディカル業界から他業種へのいずれの転職も、年収は1~2割弱減る傾向にある。単純に売り手市場というわけではない。

 他業種からメディカル業界に転職して年収を上げているのは、コンサル業界からの転職者に目立っている。

 医療産業のエリートは、崩壊したビジネスモデルの中にいるMR(医薬情報担当者)ら従来の花形職種から、デジタル化や新技術に関するプロジェクトを遂行する者たちへ移った。年収で見てもMRを凌ぐ者が多くいる。

 新エリートの争奪戦が始まっているが、その席は大量にあるわけではない。デジタル化によって、産業の人材も合理化されていくのである。


ビジネス界に大増殖する起業家医師


 医療産業の新エリートにはもう一つ、大きな存在がいる。医療そのものを担っている医師だ。

 医師専用コミュニティーサイト「MedPeer」を運営するメドピア社長の石見陽が医師として勤務する傍ら04年に起業した当時、起業家医師は珍しい存在だった。

 しかし今や、ヘルステックの波に乗り、若い起業家医師が大増殖している。デジタル技術を使ったサービスで、一医師として患者を診続ける以上に、医療システムひいては患者により良いインパクトを与えるチャンスを見いだしたことが背景にある。

 4月からスマートフォンなどを使って離れた場所の患者を診察する「オンライン診療」が公的医療保険のサービスとして本格的に始まり、この対応アプリなどを提供するベンチャーにも起業家医師が多い。

 本誌5月19日号「20年後も医学部・医者で食えるのか?」特集で実施したアンケート調査によると、40年の近未来において産業・ビジネスでの医師需要(18年現在との人数比較)は「増加する」という予想が6割を超えた(上図参照)。

 治療のど真ん中にいる医師がさらに異種格闘技戦へ参戦し、医療産業、医療システムは大変革期を迎える。それは技術進化だけで引き起こされるわけではない。社会のマインドが医療・ヘルスケア環境の変化に価値を見いだしてきているからだ。応えられない者が消える。

ダイヤモンド社