新専門医制度への危惧 ―日米両方の専門医教育を経験した立場から

2017.05.10

Vol.093 新専門医制度への危惧 ―日米両方の専門医教育を経験した立場から


アーカンソー大学神経内科レジデント
原田陽平
2017年5月2日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp

私は、日本で初期研修、神経内科後期研修を1年半行った後、米国に渡り、現在神経内科レジデントとして働いているものです。海外にてレジデンシーを求める多くの医師がそうであるよう、私もこの経験を経て、自分の国の医療に役立てるような医師となりたいと思って日本を発ちました。若輩者ではありますが、現在まさに米国にて専門医教育を受けている立場として、また日本でも専門医教育を受けていた立場として、昨今話題となっている新専門医制度について危惧する点があり、ここに投稿させていただきます。
今回の新専門医制度は「プログラム制」という形を導入しようとしています。その中で特に連携施設との循環型研修という新しいシステムについて懸念があります。

専門医制度新整備指針から引用すると、それは「一つの基幹施設のみでの完結型の研修ではなく、一つ以上の連携施設と研修施設群を作り循環型の研修を行うもの」であり、「一つの病院だけの研修を行うと、その病院の性質(地域性、医師の専門等)の偏りにより研修に偏りがでる可能性があるので、他の連携病院を必ず作り循環型の研修を行うものである」というのが理由のようです。確かに、どの地域で研修を受けたとしても専門医として働くために必要な知識や経験を得られる環境整備が必須だと思います。しかし、それは近くの関連病院と連携して解決される問題なのでしょうか?私は、疾患の多様性の確保以上に、実際に受ける指導の質の保障が重要だと思います。

米国では何十年にもわたり専門医トレーニングプログラムが実施されてきました。その到達目標はMilestoneと呼ばれるPatient care, Medical knowledge, Professionalism, Communication skillsなどの項目により規定されます。それは各ローテの複数名の指導医や上級医から評価され、点数化され、学年ごとの必要点数を超えることで到達目標に達したことになります。中には厳しいフィードバックが待っている場合もありますが、そういった中から自分に何が足りないのかを客観的に学んでいきます。こうして専門医教育の質が担保されるのだと感じています。

私は、専門医教育に必要とされるのは、機構側が規定する「経験した疾患の数や種類」ではなく、このような中身のある指導だと信じます。それは、我が国であれば、これまで行われてきたようないわゆる屋根瓦式の教育制度であり、徒弟式の教育であると思います。施設ごとの医師の数が圧倒的に多い米国とは違い、日本では様々な専門からのフィードバックをまとめて受けることは難しいかもしれません。しかし、その科の様々な疾患に精通した指導医や同じ経験を踏んできた上級医からの指導を単一施設で継続的に受けることで確実に成長していくことができます。それぞれの施設の中に伝統的に息づくこのシステムこそが、我が国の専門医教育の要であると考えます。新専門医制度はこのシステムを瓦解させる可能性があるようにみえるのです。

米国にて研修を始めて、改めて日本の医学教育の良さを実感します。師や兄弟子からの温かい指導は国を超えてもいつになっても忘れないものです。どうか専門医機構の皆様には、我が国の医学教育の本質を見失わないような制度の見直しを求めたいと思います。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・目に余る医学部教授の老害に厚労省も加担ー新専門医制度で天下り狙い

2017年2月28日
 我が国の医師不足は深刻だ。「OECD Health Statistics (2014)」によれば、我が国の人口1000人あたりの医師数は2.29人。ドイツ3.96人、フランス3.08人、英国2.75人、米国2.46人とは比べものにならない。

 さらに、我が国では医師の遍在が著しい。基本的に西高東低で、東京都(3.05人)を除く、東日本は少ない。京都府3.08人、徳島県3.03人に対し、埼玉県1.53人、千葉県1.83人、福島県1.89人、神奈川県2.02人という具合だ。

 都道府県内でも遍在している。筆者が活動している福島県の場合、福島市3.32人、郡山市2.39人、いわき市1.72人という具合だ。

 余談だが、いわき市は全国の政令指定都市、中核市の中で岡崎市(1.29人)、船橋市(1.36人)、豊田市(1.50人)についで少ない1.72人だ。トップの久留米市(5.51人)の3分の1以下である。

医師偏在防止という名の天下り制度

 医学部教授たちが、医師偏在を是正しようと動き出した。その中心が一般社団法人日本専門医機構だ。

 専門医に関する組織が医師の偏在対策をすることに違和感を抱かれる方も多いだろう。その仕組みは、若手医師が専門医を取得したければ、日本専門医機構が認める病院で勤務しなければならず、日本専門医機構は病院認定において地域のバランスを考慮するという形だ。

 吉村博邦・日本専門医機構理事長は、ホームページの「理事長就任挨拶」の中で、「地域医療の確保対策について、各領域学会に対し、地域の医師偏在防止の現状についての意見を求め、また、さらなる具体的な対策案を検討する」と述べている。

 このやり方に関係者から非難が寄せられている。日本内科学会や日本産科婦人科学会(日産婦)など、学会によって事情は異なるが、大学病院での勤務が、半ば義務化されている地域が多いからだ。

 例えば、日産婦が認定する専門医資格を取ろうとすれば、若手医師は日産婦が認定する拠点病院に所属しなければならない。24の県では、県内に大学病院しか拠点病院がなく、この制度が運営されれば、「専門医を餌に強制的に入局させる」ことになる。

 現在、若手医師や病院団体はもちろん、医師免許を持つ市長で構成される医系市長会も反対した。この制度が運用されると、地域医療が崩壊するというわけだ。

 関係者は、この制度に猛反対している。ただ、日本専門医機構は強引に押し通すつもりだ。厚労省も後押ししている。

 知人の医系市長は「今度、厚労省の官僚と吉村理事長が一緒に説明に来る」という。反対する有力者を個別に撃破するつもりだろう。

 ここまでこじれた以上、この問題は白紙に戻して、一から議論すべきだ。なぜ、日本専門医機構は、ここまで強引なことをするのだろうか。

 私は、彼らが、この制度に固執する真の理由は老後の不安だと思う。

定年後に年収が激減する医学部教授

 日本専門医機構と構成する学会は、基本的に医学部教授の集まりだ。日本専門医機構は「広く国民の声を聞け」という批判を受け、知事や患者代表を理事に加えたものの、2014年5月に発足したとき、理事21人中、現職教授が12人、元教授が6人を占めた。

 また、日本内科学会は理事19人全員が、日本外科学会は理事20人全員が大学教授である。

 新専門医制度を推進することは、大学教授たちにとって、さぞかしうま味があるのだろう。そのうま味とは、定年後の生活の安定だと思う。

 大学教授には権威はあるが、大学の中では雇われている中間管理職に過ぎない。いつか定年を迎える。

 現代の医学部教授のキャリアは高度成長期に確立された。当時の平均寿命は70才。60才で定年を迎え、年金と名誉職で10年程度の余生を全うできた。病院や大学の数も増え、仕事には困らなかった。このあたり、高度成長期の多くのサラリーマンと同じだ。

 70代という「若く」して亡くなるので、介護に要する費用も安かった。子供が40-50代と若いため、面倒を見てくれた。

 しかし事情は変わってしまった。10年ほど前に定年は60才から65才に延長されたが、それ以上に寿命も延びてしまった。

 現在の我が国の平均寿命は男性81才、女性87才だ。インテリで高収入な大学教授たちは、平均より長生きするだろう。大学教授を辞めた後、20年以上の老後を何とか生き延びなければならなくなった。

 大学教授を辞めれば、収入は激減する。秘書はいなくなり、個室はなくなる。一部を除き、医学部教授は診療よりも、医局員の管理、学会活動、政府の審議会の委員などの「管理業務」をこなしてきた。

 このような業務が大きな副業となった。製薬企業が主催する講演会で話をすれば、謝金は10万~30万円程度だ。年間に製薬企業から1000万円以上の謝礼を受け取る教授は珍しくない。

 医局員を派遣している病院からは顧問料などの形で「不労所得」が入る。患者から「謝金」を貰うこともある。外科系の教授ともなれば「相場は10万~100万円(大学病院の外科系医師)」という。

ポストにしがみつきヤクザと関係

 いずれも大学教授の肩書きに付随するものだ。大学教授を辞めれば声はかからなくなる。自分で生きていかなくてはならなくなる。

 高度成長期のように病院が新設され、院長として招聘されることはない。診療報酬の引き下げで、どこも経営は厳しい。患者が呼べない元教授を抱えておく余裕はない。大学教授を辞めると、生活は一気に苦しくなる。将来が不安になるのも当然だ。

 筆者の元にも退官間際の教授から「(病院経営者の)Aさんを紹介してほしい」という連絡がしばしばやってくる。Aさんの意向を聞くが、「若い医師は欲しいけど、辞めた教授など要りません」と回答されることがほとんどだ(もちろん歓迎される人もいる)。

 医学部教授たちが、安定した老後を送るにはどうすればいいか。

 1つは定年を延長することだ。学長などの立場にある医師は、この傾向が強く、いろいろな理由をつけて任期の延長を図る。福島医大や京都府立医大の学長など、その典型だ。

 再任は1回までという内規を変えてまで、3選を認めさせた。当然、不満を持つ連中も出てくる。中には内部告発する人もいるだろう。

 この結果、京都府立医大ではヤクザとのつき合いが露見し、世間を騒がす不祥事となった。知人の記者は「京都府警は二課が捜査しています。贈収賄での逮捕を念頭においているようです」と言う。

 理事長個人の問題ではなく、京都府立医大の存続に影響する大事件になってしまった。

 もう1つの方法が「公共事業」を立ち上げることだ。新専門医制度など、その典型例である。

 専門医制度で大学医局に若手医師を抱え込んだ後、医師偏在対策のための新しい組織を作れば、そこに天下ることも可能だ。国や県から補助金も出るだろう。やがて役人も天下れる。地域医療はどうなるか分からないが、大学教授と役人は利益を得ることができる。

定年後は地域医療に携わる仕組みを

 このあたりの構造は、文科省の官僚の天下り問題とそっくりだ。

 どうすれば、この問題を解決できるだろうか。私は、定年後の大学教授のキャリアを再設計することだと思う。

 仙台厚生病院に勤務する知人の医師は、以下のように言う。

 「定年になった「大学教授」は全員、地域医療に最低10年間携わること、という「制度」を作ると、60歳以上の医師就業問題と、地域医療問題が一気に解決するのではないでしょうか」

 私は一考に値すると思う。大学教授という「役割」を終えた医師が「地位」にしがみつくことなく、顧問などの組織の名誉職に頼らず、自前で稼げるようにしなければならない。

 いまキャリアを議論すべきは若手ではない。50代を超え、定年が見えてきた世代だ。老後の準備をしなければならない。


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どうあがいても絶望 の新専門医制度

2017年01月13日
構想当初からキナ臭かった日本専門医機構による新専門医制度であるが、来年度は凍結されるようである。このまま解体してもらいたいものだ。専門医の質の担保目的であったはずだが、いつのまにか医師の偏在の解消にすげ変わっているなど迷走しているからだ。機構設立の目的は老害の天下り先確保なのは分かりきった事ではあるが、医師に第二の免許としての専門医をあてがい、偏在解消のお題目のもと勤務地から医師を国がコントロールする腹づもりだったのだろう。その結果医師にとっての専門医は単なる足枷に過ぎず、専門医にならないもしくは専門医を辞退する医師が増えるだろう。つまり専門医の質を担保するものは逆に無くなってしまう可能性すらあるのだ。

そもそもが医療僻地に医師の「確保」なんぞという言葉が罷り通っていることに問題がある。確保というのはモノに使うものだ。人に使う場合は犯人の確保など悪い意味がこめられている。医師をコントロールすることにより得られる利権があるから「確保」とか口走る者どもが出てくるのだろう。そういう輩に我々の知識や技術を安売りはできない。

医師はその性質上勧善懲悪がモットーだ。というのは、医師の思考は悪いものを根こそぎ退治する方向性にあるからだ。となると、悪いのが病気ではなく人そのものであったらどうなるか。治療をしないことで人が淘汰されるのを望むのだ。ましてや日本は犯罪者の保護が目に余る国である。その地域全体が悪ならばどうなるか。医師はその地域を離れ、医療という安全装置を機能不全に陥らせることを考えるのだ。

新専門医制度は結局のところは、ごく一部の天下り目当ての老害どもにしかメリットはない。さらに、下手に医療を普及させることで社会保障費がかさみ、専門医の価値が暴落し医療のレベルが下がるデメリットまであるのだ。仮に新専門医制度の発足が医療のレベルを下げ老害どもの淘汰を早めるという目的ならばまだ救いがあるが、医療のレベルを下げること自体は避けなければならないところである。このままではどうあがいても絶望だ。数々の混乱をもたらした日本専門医機構は早期解体が求められる。