東金市「東千葉メディカルセンターを心配する会」主催講演会:市民は市の財政破たんを心配している

2017.01.31

東金市「東千葉メディカルセンターを心配する会」主催講演会:市民は市の財政破たんを心配している

◼️元亀田総合病院副院長
小松秀樹

2017年1月30日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  
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東千葉メディカルセンターは、2014年4月に開院したが、従来の千葉県の極端な医療人材不足により、医師・看護師が予定通り集められなかったことに加えて、計画が、実体を伴わない「山武・長生・夷隅医療圏」に基づいていたため、三次救急病院としての過大な装備、患者数の見込み違いにより、当初の予定をはるかに超える赤字が継続している。東金市民は、このまま放置すると東金市が財政破綻に陥るのではないかと心配し始めた。
2017年1月15日東金市民会館において、「東千葉メディカルセンターを心配する会」主催の講演会が開かれた。小松秀樹は同会の要請を受けて、問題の背景となる医療の状況について講演した。同日、公認会計士の吉田実貴人は東千葉メディカルセンターの経営分析結果を発表した。
以下、小松の講演要旨と吉田の経営分析結果を示す。

I 東千葉メディカルセンター問題の背景と千葉県の責任

●千葉県の医療人材不足は一県一医大制度とその後の人口の変化の結果もたらされた
千葉県では、医師・看護師が極端に不足している。人口10万対医療施設従事医師数、人口10万対就業看護師・准看護師数は、それぞれ全都道府県の下から3番目、2番目である。医師は京都、東京、徳島の60%程度、看護師は九州各県の半数しかいない。
日本の都道府県別人口10万対医師数の地域差は、1970年以後の1県1医大政策とその後の人口の変化によって大勢が決められた。病床規制制度が現状追認的だったため、地域差が固定された。
2015年、人口100万対医学部数を都道府県別にみると、鳥取、島根、高知など人口の少ない県で多く、埼玉、千葉など1970年以後の人口増加が大きく、かつ、人口規模が大きい県で少なかった。
理解のために、四国と千葉、埼玉を比較すると、1970年、四国の人口391万に対し医学部数1、千葉は337万に対し1、埼玉は387万に対し0だった。2015年、四国は人口387万に対し医学部数4、千葉は622万に対し1、埼玉は727万に対し1だった(防衛医大を除く)。
2015年、埼玉、千葉の人口100万対医学部数は、それぞれ0.14、0.16と全国平均0.61に比べて群を抜いて少なかった(防衛医大を除く)。医師の多い地域から少ない地域への移動があるため、埼玉、千葉の医師数は少ないが、それでも、人口100万対医学部数ほど大きい差ではない。

●病床規制(医療計画制度)は千葉県の医療サービス不足を固定化させた
病床規制制度は1985年開始された。二次医療圏ごとに基準病床数を性・年齢階級別人口をもとに一般病床と療養病床に分けて算定し、その範囲内で許可病床を配分する。
既存病床数が基準病床数を超える場合、都道府県は病院開設、増床の中止、申請病床数の削減を勧告できる。勧告に従わないときは、保険医療機関の指定を行わないことができる。許可病床は開床していなくても、既得権として保持できる。
性・年齢階級別退院率(1日当たり入院している確率)、平均在院日数を係数として用いるが、現状追認のために地方ブロックごとに別の係数を用い、病床数の多い地域の基準病床数を多く算定されるようにした。四国、九州、中国で病床数が多くなり、関東、東海で少なくなった。九州、四国各県の一般病床数は、関東基準で計算すると、埼玉、千葉の2倍にもなる。
病床規制制度の目的は、病床数を抑制することと、均てん化することだったが、逆に、現状追認的だったため、医療提供の地域差を固定化した。許可病床が既得権益化して新規参入が阻害されたため、医療の本来あるべき質向上を阻害した。医療計画制度を通じて、県庁に出向した医系技官が強大な権限をもつことになった。2014年の医療・介護総合確保推進法による地域医療構想と地域医療介護総合確保基金創設で、医系技官の属人的権限が強化された。

●医療格差と国民の不平等
医療人材の地域差が、医療提供量の地域差を生んだ。一人当たりの医療費は、西日本と北海道で高く、東日本と東海で低い。2010年度、全国の一人当たりの医療費を1とすると、千葉県は0.872で最低だった。最高は福岡の1.211だった(年齢補正後)。福岡県は千葉県の1.39倍の医療費を使っていた。医療費には公費と被用者保険からの拠出金が投入されている。福岡は千葉より多く投入されている。2010年度、市町村国保が受け取った国費+各保険者拠出金は合計で5兆4千億円であり、市町村国保の医療費の50%に相当した。後期高齢者医療制度が受け取った国費+各保険者拠出金は合計で8兆9千億円であり、後期高齢者医療制度の医療費の70%に相当した。国費+各医療保険者の拠出金の千葉県への投入額は、市町村国保と後期高齢者医療制度を合わせて、1年間で、全国レベルの医療費だと720億円、福岡県レベルだと1890億円、多く投入されたはずである。千葉県民は国から平等に扱われていない。医療サービスと経済の両面で損失を被っている。http://medg.jp/mt/?p=2112

●医師不足による千葉県の医療崩壊
2000年代に入って、千葉県の太平洋側で医師の立ち去りによって、病院が危機的状況になる事態が頻発した。
2004年以後、県立東金病院の内科医が10人から減少し、2006年に3人になった。このため、国保成東病院の負担が増大した。成東病院では、11人いた内科医が2006年にゼロになった。
公立長生病院では、2007年千葉大学からの医師派遣が中止された。内科常勤医が4人から1人に減少した。院長が千葉大から自治医大出身者に交代した。
2008年、安房医師会病院は24時間365日の救急対応で医師が疲弊し、医師不足で破綻寸前に追い込まれた。社会福祉法人太陽会に経営移譲した。
2008年9月30日、銚子市立総合病院は393床を有していたが、医師の給与引き下げを契機に、日本大学が医師を引き上げた。最終的に、病院が閉鎖された。

●山武医療センター(東千葉メディカルセンター)計画の沿革
2003年:山武地域医療センター構想:9市町村による広域運営体制の構築
2004年~5年:山武地域医療センター基本計画策定委員会
2008年2月15日:センター長に、支援病院への病床数割り振り権限を与えるかどうかをめぐって、山武郡市首長会議が合意解消。計画断念。支援病院と位置付けられた国保成東病院、国保大網病院が切り捨てられることを、それぞれの病院を持つ自治体が恐れたため。
2008年2月26日:1市2町による知事への支援要請
2008年 山武郡市を印旛・山武医療圏から切り離し、夷隅・長生医療圏に統合して、山武・長生・夷隅医療圏にした。この医療圏が、東千葉メディカルセンターに県から支援金を支出するための根拠になった。
2008年6月:九十九里町、東金市予算可決。大網白里町予算否決
2008年10月14日:1市1町により県に可能性検討申し出
2008年10月:千葉県より 85億円の支援を含む試案提示
2010年1月29日 千葉県知事より病院開設許可書交付
名称と経緯から分かるように、長生、夷隅は当初より東千葉メディカルセンター設立チームに参加していない。山武郡市の足並みが乱れ、最終的に山武の1市1町だけになった。
医師・看護師不足のために既存の許可病床すら活用できていなかった地域に、多くの医師・看護師を必要とする三次救急病院を設立しようとした。

●医師供給源を千葉大学だけに求めることの愚
一般的に、医師集めを成功させるには、医師のモチベーションを高めるような工夫をしつつ、全国規模で募集しなければならない。この方法は、震災直後、医師がいなくなった南相馬に医師を集めるのに成功した。しかし、東千葉メディカルセンターでは、当初より、医師の供給を千葉大学だけに頼った。千葉県は人口620万人だが医学部は千葉大学のみであり、千葉大学の医局は常に医師不足状態にある。にもかかわらず、多くの大学と同様、他大学出身者との協働に熱心ではない。
日本の大学医局は、自然発生の排他的運命共同体であり、派遣病院を領地として大学の支配下に置き、他大学と領地をめぐって争ってきた。別の大学から院長や医師を採用するだけで、医師を一斉に引き揚げることがある。大学は、しばしば、医師の参入障壁になってきた。東千葉メディカルセンターには千葉大学医学部附属病院東金九十九里地域臨床教育センターの看板が掲げられている。この看板は他大学出身者を遠ざける効果がある。
千葉大学と関連病院は常に医師不足状態にある。東千葉メディカルセンターが予定された56人の医師を確保するためには、千葉大学、あるいは、千葉大学関連病院から56人の医師をひきはがさなければならない。こうした乱暴な方法だと、医師不足による労働条件の悪化や医局内の軋轢が生じ、病院からの医師の立ち去りを増やしてしまう。

●千葉県における看護師獲得競争
看護師不足は、千葉県における医療供給の最大の阻害要因である。看護師は県域を越えて移動したがらない。各病院は、千葉県内の少ない看護師を奪い合うことになる。保険診療においては、病床数当たりの必要看護職員数が決められているので、看護師が不足するとその分、病床を開けない。千葉県には稼働していない許可病床が大量に存在している。看護師不足のために、病床を稼働できていなかった。それにもかかわらず、2012年、千葉県は、高齢者人口の増加に合わせて、医療計画に基づく許可病床を3809床新たに募集した。許可病床は既得権益になる。多くの病院がこぞってこれに応募した。3809床増やすとすれば、4000人近い看護師が必要になる。このため、2012年、千葉県で熾烈な看護師引き抜き合戦が誘発された。http://medg.jp/mt/?p=1769 これに東千葉メディカルセンターの看護師募集が重なった。
千葉県の松戸、柏、市川、船橋などは、日本でも最も高齢者が急増している地域である。今後、これらの地域の看護師需要が増加する。2013年度の千葉県医師・看護職員長期需要調査によれば、2025年には中位推計で看護職員数が14000人不足する。成田市では、国際医療福祉大学医学部附属病院の設立が予定されており、多数の看護師が必要となる。東千葉メディカルセンターの看護師確保は今後もいばらの道である。

●二次医療圏組み換えと千葉県の責任
二次医療圏とは、「地理的条件等の自然的条件及び日常生活の需要の充足状況、交通事情等の社会的条件を考慮して、一体の区域として病院における入院に係る医療を提供する体制の確保を図ることが相当であると認められる」圏域である。千葉県は、二次医療圏を恣意的に変更して、山武・長生・夷隅医療圏を作った。長径80キロの不自然に細長い医療圏であり、一体の区域ではない。医療圏の南西側の夷隅郡市から東千葉メディカルセンターまで遠すぎるので、夷隅の救急患者は安房医療圏にある亀田総合病院(三次救急病院)に運ばれている。救急でなくても患者の流れは夷隅から安房となっている。北東側は、旭中央病院(三次救急病院)が近い。
実は、東千葉メディカルセンターの設置場所は千葉市に近い。すぐ近くに高速道路の入り口があり、千葉市まで20分しかかからない。実体を伴わない二次医療圏を作ったことが、東千葉メディカルセンターの計画規模を拡大させ、計画を誤らせた。千葉県にはミスリードした責任がある。
山武・長生・夷隅医療圏の人口10万対勤務医師数は全国350の二次医療圏の下から7番目である。長生、夷隅は医療過疎だったがゆえに、山武に統合された。狙いは医療過疎の二次医療圏の人口を増やして、県からの補助金を増やすことになる。統合により、山武・長生・夷隅医療圏の人口は45万人になった。ボリュームのある医療過疎地であることを、三次救急病院を作るための論拠にした。従来、三次救急病院の整備目安は、100万人に1か所だった。東千葉メディカルセンターの実際の診療圏は山武の西側地域であり、三次救急病院を支えるには人口が少なすぎる。しかも、現時点では、山武郡市の他の病院と競合している。
東千葉メディカルセンターの実際の診療圏の人口が少ないため、三次救急患者の発生数は少ない。しかも、当初の計画では、診療科が22科、医師数56人であり、三次救急病院としては医師数が少なすぎる。
本来、夷隅郡市に使われるべき補助金が、東千葉メディカルセンターに投入された。当然、夷隅郡市の首長は安房・夷隅医療圏を望んでいる。夷隅郡市2市2町の首長が連名で、2015年8月終わり、千葉県知事に、夷隅を安房と同じ二次医療圏にして欲しいと申し入れた。この直前、山武・長生・夷隅医療圏(8月19日)と安房医療圏(8月25日)のそれぞれの連携会議でも、夷隅、安房から強い変更希望が出された。千葉県は、介護保険計画との整合性から2年間は医療圏を変えない方向であると説明し、会議は紛糾した。
千葉県は、医療圏を決めるのは、千葉県医療審議会の部会である保健医療部会であると主張した。保健医療部会は少人数で、東金市長と山武の前医師会長だった田畑千葉県医師会長が主導権を持つ。ここでは医療圏は変えないという結論は見えていた。地域の意見を聞いて医療計画を立てるという原則を千葉県が反故にした。さらに、形勢不利と見た千葉県は、山武、長生、夷隅、安房医師会にアンケートを取り、山武や長生医師会が医療圏変更に反対しているので、変更はできないと言い始めた。医療は住民のもの、患者のものであり、医師会のものではない。住民の代表である首長の主張より医師会のアンケートが重んじられた。千葉県知事は、役人の行動を監視し、住民を守らなければならないが、これを怠った。

●三次救急病院は金食い虫
国家財政が逼迫しており、診療報酬が削減されるのは間違いない。一方、高価な装備を必要とする三次救急病院は、想像を絶する金食い虫である。とんでもなくリスキーな施設だということが、意外と世間に知られていない。三次救急病院は24時間365日、あらゆる救急患者に対し、高度な医療を提供するため、さまざまな専門家が活動し、あるいは、待機している。多くの医療人材を抱えている必要があり、病院の規模が大きくないと機能しない。通常、巨大基幹病院が三次救急を担うことになる。その予算規模は小規模の市よりはるかに大きい。
フル装備の三次救急病院が相応の患者を集められないと、巨額の損失が生じる。時間に比例して、膨大な赤字が積み上がる。自治体の財政も余裕がなくなっており、赤字を補填し続けることはできない。

◼️公認会計士
吉田実貴人

2017年1月30日 MRIC by 医療ガバナンス学会 

II   東千葉メディカルセンターのついての経営分析
●財務的な特徴
東千葉メディカルセンターの経営分析にあたって、公表されている財務諸表等の経営データから、まず年間20億円を越える医業損失額の大きさに目を疑った。また当初の9市町村による計画が2市町に縮小されていたにもかかわらず、3次救急の機能を持つ新病院が建設されたことにも驚いた。さらには平成29年度以降の事業計画を見ると、売上及び収支が劇的に改善することになっており、その算定根拠が明確でないことも大きく懸念された。

●開業以来の赤字経営3年目
開院以来、医業損益(医業収益-医業費用)の巨額赤字の病院経営が続いている。開業2年目の医業収益と医業費用の割合は1:2であり、1の売上を稼ぐのに2の費用をかけていて、民間病院ならばいつ倒産していてもおかしくはない。直近の財務データが開示されている開業後3年目の第一四半期においても、その傾向は変わっていない。県、市、町からの補助金を入れた最終損益も、平成26年度15億円、平成27年度17億円の赤字と開業当初の計画を著しく下回っており、現在の運用病床数209に対して巨額な赤字となっている。

●運営資金不足
病院の運営にあたっては、資金すなわちキャッシュフローが重要であるが、その大きなファクターである借入金残高は平成28年3月末時点で、119億円。その元本と利息の返済として平成35年度まで毎年平均8億円の返済が必要で、平成28年度は12億円近くが必要とされている。しかし病院経営自体が巨額の最終赤字なので、返済原資が涸渇していくことは間違いない。

●経営悪化の要因分析
病院経営悪化の原因はどこか。医療収益対材料比率が高い(32%)。医業収益対人件費率が高い(69%)、自己資本比率が低い(-7%)、流動比率が低い(46%)などが挙げられるが、本質的な原因は売上が立っていないこと、医師一人当たりの医業収益が低いことにある。

●限定されたマーケット
売上は、単価×数量で構成される。端的に言えば医業収益を増やすためには、診療報酬単価を上げるか顧客を増やすことである。基本的に全国的に一律の診療報酬単価アップを目指すためは、DPC病院になる、プレミアムな人間ドックを手がける等、非常に選択肢が限られ、また劇的な単価改善は望むべくもない。一方の数量、すなわち患者数はどうか。千葉大学医学部の資料によると、東千葉メディカルセンターの年間患者数の7割近くが山武長生夷隅地区、すなわち近隣周辺地区であり、千葉・東京・横浜等からの患者は1%未満である。それは東千葉メディカルセンターの救急車搬送の患者住所地ベースの調査からも明らかであり、東千葉メディカルセンターが立地する場所は、西は千葉大学病院・北東は国保旭中央病院・南は亀田総合病院という、それぞれ200名を越える常勤医師を持ち、高度医療・3次救急医療の役割を持つ大病院に囲まれており、東千葉メディカルセンターが狙えるマーケットは必然的に限定されている。

●処方箋
では、東千葉メディカルセンターが、いまの経営体制を維持したまま、持続可能な病院となるための処方箋はあるのか考えてみたい。
第一に、病院経営の単年度黒字化を図ることである。まずは補助金込みの最終損益の黒字化を目指すことである。いうは易いが実行には相当の困難が伴う。上記のとおりマーケットが限定されている条件下で、売上を上げていくには、地域内のシェアを上げていくこと、すなわち地域住民に愛されていくことである。それには住民が真に欲する病院機能の見直しが必須であろう。大きな論点として、多くの診療科・常勤医・専門医・看護師等の維持コストを必要とし、そのために運営自治体等が多額の運営補助金を支出しなければ成り立たない3次救急機能が本当に必要か検討しなければならないだろう。また計画上の300床のベッド数も、過去2年間の運営実績から判断して、真に適正なのか再検討しなければならないだろう。既に開業3年目であり、早めに大ナタを振るわないと、医療職の勤労意欲が失われ、医師が立ち去っていくおそれさえある。
第二に、病院が抱える借入金の棒引きが必要であろう。現状の病院の財務状況は極めて危険水準である。既に平成27年度には運営資金不足を要因とする6.7億円の借入があった。単年度で大赤字の病院に、借入金の元利償還負担は重いことは既に述べた。仮に医療職に支払う給与支給が滞れば、病院経営は即座に頓死する。
上記2つの処方箋の実行には、相当高いハードルが予想されるが、早めに行動しなければ将来の世代に大きなツケを残す。そもそも限定された地域・市場を想定した3次救急機能・高度医療を主眼にした新病院の建設計画自体に無理があったのであろう。処方箋の実行にあたっては、当時の計画策定に大きな関与しまた指導を行ってきた千葉県、そして病院の設立団体としての東金市及び九十九里町には大きな責任がある。