東千葉メディカルセンターをめぐる医療講演会(小松秀樹医師)

2017.01.18

東千葉メディカルセンターをめぐる医療講演会(小松秀樹医師)



東千葉メディカルセンターは、2014年に開院したが、計画が、実情と乖離したコンセプトに基づいていたため、医療人材不足、三次救急病院としての過大な装備、患者数の見込み違いなどにより、当初の予定をはるかに超える赤字が継続している。

1 千葉県の医療人材不足
2014年12月31日現在、人口10万対医師数は、西日本で多く、東京以外の首都圏、東北、東海、新潟で少なかった(資料1)。トップ3は、京都、東京、徳島で300を超えたところで並んでいる。埼玉県が150と最も少なく、千葉県は下から3番目に位置する。
2012年の都道府県別人口10万対就業看護師、准看護師数は、医師同様、西日本で多かった(資料2)。千葉県は下から2番目であり、九州各県の半数以下だった。特徴的なことは、東京を含む首都圏の4都県が最下位に並んでいることだ。東京では医師数に比べて、看護師数が極端に少ない。医師の勤務状況が他の都道府県と異なっているのかもしれない。
2005年の都道府県別人口10万対理学療法士数は、最大が高知県の86.9。千葉県は20.7(茨城県20.8、埼玉県20.7)と日本最低水準であり、高知県の4分の1以下だった。ここまでの差があると、提供される医療の質に差が生じる。

2 1県1医大政策と医学部の分布
 1県1医大政策以前の人口100万対医学部数を1970年の人口で地域別に見ると、多い順に中国、近畿、関東、東北、九州、北海道、北陸、東海、四国だった。2015年時点では、1県1医大政策により、日本のすべての地域で人口100万対医学部数は増えた。2015年には、多い方から北陸、四国、中国、九州、東北、近畿、北海道、関東、東海の順になった。北陸、四国の増え方が顕著だった。関東は上位から下位に移動した。
 2015年時点での、人口100万対医学部数を都道府県別にみると、鳥取、島根、高知など人口の少ない県で多かった。石川県と岡山県は、人口が大きくないにもかかわらず、2つの医学部があったので上位に入った。人口100万対医学部数のトップ10は、多い順に鳥取、石川、島根、高知、徳島、福井、佐賀、山梨、岡山、和歌山だった。
2015年、1970年以後の人口増加が大きく、かつ、人口規模が大きい県で、人口100万対医学部数が少なかった。少ない順に、埼玉、千葉、静岡、茨城、広島、兵庫、宮城、新潟、神奈川、長野だった。埼玉、千葉は群を抜いて少なかった。

3 人口変化の影響:埼玉、千葉
1970年以後、首都圏では人口が急激に増えたため、相対的に人口100万対医学部数が少なくなった。1970年、四国の人口391万に対し医学部数1、千葉は337万に対し1、埼玉は387万に対し0だった。2015年、四国は人口387万に対し医学部数4、千葉は622万に対し1、埼玉は727万に対し1だった。埼玉、千葉の医師不足は医学部数が少ないことで説明できる。

4 人口10万対医師数と人口100万対医学部数
人口10対医師数は人口100万対医学部数に強く影響されている。しかし、医師の多い地域から少ない地域への移動がある。埼玉、千葉の医師数は少ないが、それでも、人口100万対医学部数の差に見合った大きな差ではない。人口100万対医学部数の割に東北、北陸の医師は少ない。北陸は卒業した医師が地域に残ると医師過剰になるため流出していると理解されるが、東北は医師が少ないにもかかわらず流出している。

5 病床規制制度:1985年開始、病床の地域差、医療費の地域差を固定した
 二次医療圏ごとに基準病床数を性・年齢階級別人口をもとに一般病床と療養病床に分けて算定し、その範囲内で許可病床を配分する。
既存病床数が基準病床数を超える場合、都道府県は病院開設、増床の中止、申請病床数の削減を勧告できる。勧告に従わないときは、保険医療機関の指定を行わないことができる。許可病床は開床していなくても、既得権として保持できる。
性・年齢階級別退院率(1日当たり入院している確率)、平均在院日数を係数として用いるが、現状追認のために地方ブロックごとに別の係数を用い、病床数の多い地域の基準病床数を多く算定されるようにした。四国、九州、中国で病床数が多くなり、関東、東海で少なくなった。九州、四国各県の一般病床は、関東基準で計算すると、埼玉、千葉の2倍を超えるところも少なくない。

6 病床規制の問題点
(1)   病床規制の目的は、病床数を抑制することと、均てん化することだったが、医療提
供の地域差を 固定化した。
(2)   許可病床が既得権益化した。
(3)   新規参入が阻害されたため、医療の質向上を阻害した。
(4)   県庁に出向した医系技官(※)が強大な権限をもつことになった。
※医系技官とは医師免許を持った厚労省採用の行政官。

7 医療格差と国民の不平等
日本の医療提供量には地域差がある。一人当たりの医療費は、西日本と北海道で高く、東日本と東海で低い(資料3、2013年度の資料)。2010年度、全国の一人当たりの医療費を1とすると、千葉県は0.872で最低だった。最高は福岡の1.211だった(年齢補正後)。福岡県は千葉県の1.39倍の医療費を使っていた。医療費には公費と被用者保険からの拠出金が投入されている。福岡は千葉より多く投入されている。2010年度、市町村国保が受け取った国費+各保険者拠出金は合計で5兆4千億円であり、市町村国保の医療費の50%に相当した。後期高齢者医療制度が受け取った国費+各保険者拠出金は合計で8兆9千億円であり、後期高齢者医療制度の医療費の70%に相当した。国費+各医療保険者の拠出金の千葉県への投入額は、市町村国保と後期高齢者医療制度を合わせて、1年間で、全国レベルの医療費だと720億円、福岡県レベルだと1890億円、多く投入されたはずである。その分、千葉県民は医療サービスと経済面の両面で損失を被っている。

8 医師不足による千葉県の医療崩壊
2004年以後、県立東金病院の内科医が10人から減少し、2006年に3人になった。このため、成東病院の負担が増大した。成東病院では、11人いた内科医が2006年にゼロになった。
公立長生病院は、2007年千葉大学が医師派遣を中止。内科常勤医が4人から1人に減少した。院長が千葉大から自治医大出身者に交代した。
2008年、安房医師会病院は24時間365日の救急で医師が疲弊し、医師不足で破綻寸前に追い込まれた。社会福祉法人太陽会に経営移譲。
2008年9月30日、銚子市立総合病院は393床を有していたが、医師の給与引き下げを契機に、日本大学が医師を引き上げ、結果として、病院が閉鎖された。

9 山武医療センター(東千葉メディカルセンター)計画の沿革
2003年:山武地域医療センター構想:9市町村による広域運営体制の構築
2004年~5年:山武地域医療センター基本計画策定委員会
2006年3月24日:病院開設許可申請提出
2006年4月5日:開設許可
2008年2月15日:センター長に、支援病院への病床数割り振り権限を与えるかどうかをめぐって、山武郡市首長会議が合意解消。計画断念。支援病院と位置付けられた国保成東病院、国保大網病院が切り捨てられることを、それぞれの病院を持つ自治体が恐れたため。
2008年2月26日:1市2町による知事への支援要請
2008年 山武郡市を印旛・山武医療圏から切り離し、夷隅・長生医療圏に統合して、山武・長生・夷隅医療圏にした。(この医療圏が、東千葉メディカルセンターに県から支援金を支出するための根拠になった)
2008年6月:九十九里町、東金市予算可決。大網白里町予算否決
2008年10月6日:大網白里町再び予算否決
2008年10月14日:1市1町により県に可能性検討申し出
2008年10月:千葉県より 85億円の支援を含む試案提示
2010年1月29日 千葉県知事より病院開設許可書交付
名称と経緯から分かるように、夷隅は当初より議論に加わっていない。早い段階で長生が抜け、最終的に山武の1市1町だけになった。
医師・看護師不足のために既存の病床すら活用できなかった地域に、多くの医師・看護師を必要とする三次救急病院を設立しようとした。

10 東千葉メディカルセンターの医師確保
一般的に、医師集めを成功させるには、医師のモチベーションを高めるような工夫をしつつ、全国規模で募集しなければならない。しかし、東千葉メディカルセンターでは、当初より、医師の供給を千葉大学だけに頼った。千葉県は人口620万人だが医学部は千葉大学のみであり、千葉大学の医局は常に医師不足状態にある。にもかかわらず、多くの大学と同様、他大学出身者との協働に熱心ではない。
日本の大学医局は、自然発生の排他的運命共同体であり、派遣病院を領地として大学の支配下に置く。別の大学から院長や医師を採用するだけで、医師を一斉に引き揚げることがある。大学は、しばしば、医師の参入障壁になってきた。東千葉メディカルセンターには千葉大学医学部附属病院東金九十九里地域臨床教育センターの看板が掲げられている。この看板は他大学出身者を遠ざける効果がある。
千葉大学と関連病院は医師不足状態にある。東千葉メディカルセンターが56人の医師を確保するためには、千葉大学、あるいは、千葉大学関連病院から56人の医師をひきはがさなければならない。こうした乱暴な方法だと、医師不足による労働条件の悪化や医局内の軋轢が生じ、病院からの医師の立ち去りを増やしてしまう。

11 千葉県における看護師獲得競争
看護師不足は、千葉県における医療供給の最大の阻害要因だ。人口当たりの看護職員数は全都道府県の下から2番目だ。看護師は県域を越えて移動したがらない。各病院は、千葉県内の少ない看護師を奪い合うことになる。保険診療においては、病床数当たりの必要看護職員数が決められているので、看護師が不足するとその分、病床を開けない。千葉県には稼働していない許可病床が大量に存在している。看護師不足のために、病床を稼働できていないにもかかわらず、2012年、千葉県は、高齢者人口の増加に合わせて、医療計画に基づく許可病床を3809床新たに募集した。許可病床は既得権益になる。多くの病院がこぞってこれに応募した。3809床増やすとすると、4000人近い看護師が必要になる。2012年看護師獲得競争が熾烈になった。その後も許可病床の配分が続いている。2013年度の千葉県医師・看護職員長期需要調査によれば、2025年には中位推計で看護職員数が14000人不足する。
千葉県の松戸、柏、市川、船橋などは、日本でも最も高齢者が急増している地域である。今後、これらの地域に看護師が吸引される。成田市では、国際医療福祉大学医学部附属病院の設立が予定されており、多数の看護師が必要となる。東千葉メディカルセンターの看護師確保は今後も簡単ではない。

12 山武・長生・夷隅医療圏(資料4)のコンセプト(資料5)と千葉県知事の責任
二次医療圏とは、「地理的条件等の自然的条件及び日常生活の需要の充足状況、交通事情等の社会的条件を考慮して、一体の区域として病院における入院に係る医療を提供する体制の確保を図ることが相当であると認められる」圏域である。千葉県は、二次医療圏を恣意的に変更して、山武・長生・夷隅医療圏を作った。長径80キロの不自然に細長い医療圏であり、一体の区域ではない。医療圏の南西側の夷隅郡市から東千葉メディカルセンターまで遠すぎるので、夷隅の救急患者はほとんど亀田総合病院(三次救急病院)に運ばれている。救急でなくても患者の流れは夷隅から安房となっている。北東側は、旭中央病院(三次救急病院)が近い。実は、東千葉メディカルセンターの設置場所は千葉市に近い。すぐ近くに高速道路の入り口があり、千葉市まで20分しかかからない。
山武・長生・夷隅医療圏の人口10万対勤務医師数は全国350の二次医療圏の下から7番目である。長生、夷隅は医療過疎だったがゆえに、山武に統合された。狙いは医療過疎の二次医療圏の人口を増やすことである。統合により、山武・長生・夷隅医療圏の人口は45万人になった。ボリュームのある医療過疎地であることを、三次救急病院を作るための論拠にした。従来、三次救急病院の整備目安は、100万人に1か所だった。東千葉メディカルセンターの実際の診療圏は山武の西側地域であり、三次救急病院を支えるには人口が少なすぎる。しかも、現時点では、山武郡市の他の病院と競合している。
東千葉メディカルセンターの実際の診療圏の人口が少ないため、三次救急患者の発生数は少ない。しかも、当初の計画では、診療科が22科、医師数56人であり、三次救急病院としては医師数が少なすぎる。医師が1人だけしか想定されていない外科系診療科がいくつかあるが、外科系医師が1人だけで診療水準を維持するのは不可能だ。これでは、活動的な医師が就職すると思えない。加えて、医師は不合理な経営を嫌う。計画の前提に問題があって、病院の患者数が増えず、存続が危惧されるとすれば、優秀な医師を留めるのは難しい。
夷隅郡市の首長も安房・夷隅医療圏を望んでいる。2市2町の首長が連名で、2015年8月終わり、千葉県知事に、夷隅を安房と同じ二次医療圏にして欲しいと申し入れた。この直前、山武・長生・夷隅医療圏(8月19日)と安房医療圏(8月25日)のそれぞれの連携会議でも、夷隅、安房から強い変更希望が出された。千葉県は、介護保険計画との整合性から2年間は医療圏を変えない方向であると説明し、会議は紛糾した。千葉県は、医療圏を決めるのは、千葉県医療審議会の部会である保健医療部会であると主張した。保健医療部会は少人数で、東金市長と山武の前医師会長だった田畑千葉県医師会長が主導権を持つ。ここでは医療圏は変えないという結論は見えていた。地域の意見を聞いて医療計画を立てるという原則を千葉県が反故にした。さらに、形勢不利と見た千葉県は、山武、長生、夷隅、安房医師会にアンケートを取り、山武や長生医師会が医療圏変更に反対しているので、変更はできないと言い始めた。医療は住民のもの、患者のものであり、医師会のものではない。住民の代表である首長の主張より医師会のアンケートが重んじられた。千葉県知事は、役人の行動を監視し、住民を守らなければなければならないが、これを怠った。

13 全体主義の論理構造との類似性 
ハナ・アーレントによれば、全体主義にコミットした人たちは、イデオロギーそのものより、イデオロギーからの強引な演繹という論理の使い方により強く染まっていた。事実に基づかない理念によって、過去、現在のすべてを演繹的に説明し、未来を断言し、異論を許さない。いかなる事実や失敗の経験も、イデオロギーを変更できず、演繹的思考に影響を与えられない。全体主義国家が消滅し、そのイデオロギーが破綻した後も、実体を無視した演繹的思考が残る。
「何らかのイデオロギーを信奉した人々を正常な思考形式と正常な政治行動に引き戻すことがどんなにむずかしいかは充分知られている。この場合むずかしいのは、他の思想内容を彼らに納得させることよりも、彼らがどんな思想内容であろうとおかまいなしに、それを材料にしてこれまでに身についてしまった一つの前提からの演繹という論理的操作をまたしてもやりはじめないようにさせることなのである。(ハナ・アーレント『全体主義の起源』)」
アーレントの描写する全体主義の信奉者の論理は、日本の官僚、とくに医系技官の論理と酷似している。千葉県の政策は、厚労省から出向してきた医系技官が立案している。スターリン時代の共産党官僚が必ずしも党のイデオロギーを信じていなかったように、彼らも山武・長生・夷隅医療圏のコンセプトを信じているとは思えない。破綻に向かいつつあると漠然と感じながらも、習慣にしたがって、現実離れした理念からの演繹に固執している。しかし、山武・長生・夷隅医療圏のコンセプトを捨てない限り、抜本的対応はできない。

14 三次救急病院は金食い虫
 国家財政が逼迫しており、診療報酬が削減されるのは間違いない。一方で、高価な装備を必要とする三次救急病院は、想像を絶する金食い虫である。とんでもなくリスキーな施設だということが、意外と世間に知られていない。三次救急病院は24時間365日、多様な救急患者に対し、高度な医療を提供する。多くの医師を抱えている必要があり、病院の規模が大きくないと機能しない。通常、巨大基幹病院が三次救急を担うことになる。その予算規模は小規模の市よりはるかに大きい。
フル装備の病院が相応の患者を集められないと、巨額の損失が生じる。時間に比例して、赤字が積み上がる。自治体の財政も余裕がなくなっており、赤字を補填し続けることはできない。

15 計画経済は複雑多様化した世界に対応できないばかりか、専制、腐敗を招く
日本の医療は中央統制による計画経済だ。現場の創意工夫を許さず、押しつぶしてきた。上意下達のヒエラルキー的な統制は、組織の頂点しか、環境を認識してそれに対応することができないため、医療の営為を画一化し、硬直的にする。このため、統制は、医療が複雑多様化している中で、失敗を繰り返してきた。
東千葉メディカルセンターは、千葉県の強引な誘導により、実体を伴わないコンセプトに基づいて設立された。このため、巨額の赤字が続いている。対策は実情をありのままに認識することから始める必要がある。
計画経済は、行政が強大な権限を持つため、専制を招く。腐敗と非効率は避けられない。旧共産圏では、現場の活力を奪い、製品やサービスの質と量の低下を招いた。計画経済を運営することは人間の能力を超えている。
権力を握る集団が自ら採用した行動原理を自発的に変更することはありえない。外部からの言論による批判が何より求められる。