(しまねの人)離島で診療18年、やぶ医者大賞受賞・白石裕子さん 47歳 /島根県

2016.01.19

(しまねの人)離島で診療18年、やぶ医者大賞受賞・白石裕子さん 47歳 /島根県
2016.01.16 朝日新聞



 ■「西ノ島の母になれたら」


 「やぶ医者」の語源は、「但馬の養父(やぶ)にひっそりと住んでいた名医」――。

 「養父医者に学んだ」と吹聴する口先だけの医者が増えて、本来の意味を失ったという説にちなみ、兵庫県養父市がへき地で活躍する医師を表彰する「やぶ医者大賞」に昨年選ばれた。

 西ノ島町の浦郷診療所に所長として赴任して18年。町内にある隠岐島前病院の小児科長や、隣の知夫村診療所での診察も兼ね、人口6千人いる島前の住民たちの健康を見守ってきた。

 地域医療を担う総合医を育てる自治医大で学んだ。当時はNGO活動の走りの時代。国際医療に憧れて、インドの農村に3週間泊まり込み、診察を手伝ったこともある。

 「子どもがナイロビ小学校卒ってどお?」。同じく途上国での仕事に憧れていた社交ダンス部の先輩、吉彦さん(49)=現・隠岐島前病院長=に、そう口説かれて結婚した話は、今も語り草だ。

 卒業から9年間、へき地で働けば授業料が免除されるため、お互いの出身県で半分ずつ勤務することに。吉彦さんが徳島の山あいの診療所にいたとき、長男を授かった。

 「破水して入院して、近くにかかりつけ医がいることが大事だと感じました」

 生まれたばかりの長男を連れて、開業医も専門医もいない島前に移り住んだ。8人いる総合医は、1~2年で交代することが多い。自分たち夫婦もそのつもりだったが、気がつけば3男1女を育て、うち2人はすでに親元を離れた。

 島の人々を支え、ときに支えられている。

 自分の子どもが風邪を引いたときには、夜勤明けの看護師が世話をしてくれた。天候が悪く、ヘリコプターが飛ばない日には、漁船に揺られながら肺炎で重症の子を島後まで運んだ。

 「子どもの陸上大会で、その子の名前を見たときはうれしかったです」

 患者との距離が近いのも離島ならでは。他に病院がないため、生活習慣病から急性疾患、外科外来まであらゆる診察が求められる。店などで偶然会ったとき、あまり良くならなかったと直接言われることも。

 「良くも悪くもフィードバックがあるので、医師の成長は早いと思います」

 一昨年、そうした経験をまとめた本「離島発 いますぐ使える! 外来診療」(中山書店、税別3500円)を夫婦で出版した。

 液体窒素の代わりにドライアイスを使ういぼの治療法など、医療器具が限られる離島で培った裏技が満載だ。簡単な医療が求められる東京の高齢者施設からも反響があった。

 総合診療の必要性は全国で高まっており、島に学びに来る医師や看護師が増えた。電子カルテやテレビ会議の導入、後方病院からの支援などで、医師の負担を減らしてきたが、今も講演や学会で忙しい日が続く。

 今後の目標は? 質問に少し迷って答えた。

 「西ノ島の母になれたらうれしいですね」

 (小早川遥平)

    *

 しらいし・ゆうこ 1968年、大田市生まれ。出雲高校卒。自治医科大学を卒業後、徳島県内の病院に勤務し、98年に西ノ島町に赴任。2004年以降、町内すべての学校医を引き受け、乳児健診や母子保健、発達障害の子どもの医療などに取り組んできた。