いしゃ先生―町おこし映画顛末記(34・完) さぁ、こっからだべ

2015.12.31

いしゃ先生―町おこし映画顛末記(34・完) さぁ、こっからだべ
2015.12.26
 山形新聞



 3年間続いたこの連載も、今日が最後となる。来年1月から、いよいよ全国上映が開始されるし、本当の町おこしはこれからが本番なのでちょぺっと残念だが、映画自体は完成したので、顛末(てんまつ)記としての役割はひとまず果たしたということだろう。最後に何を書こうか…想いは次から次へ溢(あふ)れて、うまく言葉がまとまらない。

 ひとまず、1回目からの原稿を読み返してみた。いやぁ、今更ながら色んなことがあったもんだ。映画がこうして完成までたどり着けたのは、奇跡なのだとあらためて思う。たくさんの出会いがあり、少しの別れもあった。んだって、5年もかかったんだもの。「あの人が生きていてくれたらなぁ」と泣いたこともある。11月7日に始まった山形県先行上映は、おかげさまで超ロングランを記録し、この年末年始も上映して下さるそうだ。観客動員数は、2万人目前。ありがとさまです、本当に。

 昭和のはじめ、大井沢(現西川町)で地域医療に尽力した女医・志田周子の生涯を銀幕によみがえらせたい! 町の人の一途な想いから「いしゃ先生」は生まれた。皆で手を取り合い、ぶれずに一本通して進む…そんな単純なことこそ、われわれには修行だった。これまで、人生はなかなか思い通りにいかないなぁと思っていたけど、今は「人生は思うようにしかならないんだ」と心から思う。劇場に溢れるお客さま、割れんばかりの拍手、笑い声と涙、人が集まってくる活気ある町、じんちゃん・ばんちゃんの笑顔……こういった共通の成功イメージは、われわれの中に常にあった。だから、夢物語だとバカにされても、続けてこられたのかもしれない。

 小さいころ教わったこと「自分がやったことは全部返ってくる」ということも身をもって体験することができた。何か新しいことにチャレンジするとき、年齢も性別も肩書もキャリアも、なぁんも関係ない。互いが尊敬し合い、信じ合えなかったら何も進まない。威張って文句ばかり言っている人の所には誰もいなくなり、何をバカにされようが信念をもって動き続ける人の所には、いつか必ず神様の祝福のようなメッセージが届く。人生は実にシンプルだ。世のため人のためって、つまりは自分のためだったんだ―あぁ、もっと早くにこのことを分かっていたら、もっとラクだったのかもなぁ、なーんて。どうだっけべね、周子せんせ。

 もしも、私たちの取り組みを「成功」だと評価していただけるのなら、それはすべて出会ってくれた皆さんのおかげ。そして私が一つだけ誇れるとするならば「おがしい」と思ったことを誰に対しても「おがしい」と言えたこと。だから最後にもう一つ、故郷の皆さんに言わせてもらいたい。―ここから先は、皆さん次第、皆さんがそれぞれ頑張る番ですよ! と。

 映画の打ち上げの席上、私は地元の方に「お前だぢ、映画できだがらって、あど顔も見せねがったら許さねがらな。お前だぢは一生、この土地の面倒を見らんなねんだ。その義理があるんだ」と言われた。ショックだった。映画はあくまで手段、目的は「町おこし」と言い続けてきた5年間だったから。町が活気づくための「道具」を、町おこしに活用していただくための「お神輿(みこし)」を皆で作ってきたつもりだ。作り終わったその後はもう、皆さんで活用してもらうしかない。これから町がどう変わっていくのか、私自身も楽しみにしている。それが「次は何してくれるんだ」では、困る。われわれは5年もかけて、故郷の皆さんの自信と誇りを掘り起こす作業をしてきたつもりだ。「俺たちは素晴らしい地域に住んでいるんだ、祖先はすごい方々だったんだ」そのことを再認識できたし、困難な映画作りも見事にやりきり、「俺たちだって、やればできるんだ」と思ってくれたはず。―さぁ、こっからだべ!

 私たちスタッフは、また次の現場で頑張る。それは、ご縁が切れるということでは決してない。現に永江監督は「第二の故郷」と話してくれている。どうか、私たちのこれからの活動も見守ってください。よその地域も一緒に盛り上がっていけるように自分たちの体験談を話し、伝え、広めていってください。もちろん私たちも、一緒に闘ってきた同志・戦友の皆さんをいつまでも注目し、応援していきます。このエッセーの読者も同じでしょう。来年からの全国上映も、注目してくださいね。長い間、本当にありがとさまでした。故郷の皆さまに、来年も良いことがいっぺありますように。

(脚本家・作家 あべ美佳、尾花沢市出身)

=「いしゃ先生・町おこし映画顛末記」は今回で終わります