学者に聞け!視点争点〕需要予測に基づく病床数の削減は困難=河口洋行

2015.08.25

学者に聞け!視点争点〕需要予測に基づく病床数の削減は困難=河口洋行
2015.09.01 エコノミスト 
 

◇急性期病床は規制解除が必要

 政府の「医療・介護情報の活用による改革の推進に関する専門調査会」は今年6月、精緻なデータを用いた需要予測により、高齢化率がピークを迎える2025年に必要な病床数を発表した。

推計結果によれば、13年に134万7000床ある全国の病床のうち約15万~20万床が過剰で、今後削減する必要があることが指摘された。

我が国では医療費の抑制のため、病床削減政策が何度も試みられてきた

今回は、政府が描くような病床削減は可能なのだろうか。
 

門調査会は病床数の推計と合わせ、都道府県が関係者の協議の場(地域医療構想調整会議)で病床数の調整を行ったり、基金(地域医療介護総合確保基金)を活用するなどし、過剰とされた急性期病床(主に手術を行う病床)の削減や、療養病床(長期間療養を行う病床)を介護施設などへ転換していくことを打ち出している。

 ◇「ベッドがあれば埋まる」

 病床を競争が十分に働いた一般的な産業の設備と同じと考えれば、その産業に対する需要が将来的に減少するなら、事業者が計画的に設備を廃棄することが合理的な選択となる。

しかし、医療分野では通常の産業と異なり、「ベッドがあればベッドが(患者で)埋まる」という「レーマーの法則」が存在するといわれている

そのため、将来的な需要見通しを根拠に病床を削減することは、現状では困難だと考えられる。
 

基本的な経済理論では、財・サービスの供給の増加は需要に影響を与えない。需要は消費者が決定する。

しかし、医療サービスの場合には、患者は自分の症状は自覚できるが、その症状をもたらしている疾患名や治療方法の選択肢を知らず、医師のアドバイスを受ける必要がある。

つまり、医師と患者の間には「情報の偏り(情報の非対称性)」があるため、医師が自分の利益を優先して患者へのアドバイスをゆがめ、本来は不必要な需要を誘発できる可能性がある

この可能性を理論化したのが、「供給者誘発需要『仮説』」である。
 図1は、規制のない医療サービス市場での医療サービスの供給曲線(S1)と需要曲線(D1)を示している。ある医療圏に新たに医師が参入したとしよう。この時、医師数が増加すると医療サービスの供給が増加するため、供給曲線はS2にシフトし、一般的な競争市場であれば均衡点はE1からE2に変化する。医療サービスの価格弾力性(価格の変化率に対する需要の変化率)が1よりも小さいならば、ここでの供給曲線のシフトによる価格低下(P1→P2)は医師の所得を減少させることになる。
 しかし、医師が自分の所得の減少分を補填(ほてん)するために、本来は不必要な需要を誘発して需要曲線をD1からD2にシフトさせると、均衡点はE2からE3に変わる。この均衡点E3では、医療サービス量はQ3に増加し、「ベッドがあればベッドが(患者で)埋まる」のである。また、医療サービスの価格はP3に上昇し、医師の所得は補填される。公的医療保険制度を整備している政府にとって、誘発された需要部分は無駄な医療費と考えられる。
 

この供給者誘発需要仮説が成立するならば、将来の需要に関わらず、病院は過剰な病床を保持し続けることが可能になる。

逆に政府にとって無駄な医療費を抑制するためには、医療サービスの供給者(病床数や医師数)を抑制することが必要になる。

そのため、日本では医療法により、各都道府県が「地域医療計画」で入院医療を受けることを想定した地域分けである「二次医療圏」を設定し、二次医療圏ごとに人口の変化を勘案して必要病床数を算定することを定めている。さらに健康保険法により、二次医療圏の必要病床数を実際の病床数が上回る場合、新たな病床を事実上認めていない(病床規制)。

 ◇「枠」が既得権益に

 この病床規制は無駄な医療費を抑制するのが目的だが、新たな病院の開設を禁止するため「参入規制」となり、既存病院間の競争を緩和したり、病床「枠」が既得権益になるという新しい問題を起こす。

こうした実情を把握しようと、筆者は05年10月、無作為抽出した全国の民間病院3000カ所を対象にアンケートを実施し、病床枠の経済的価値に対する実感を調査した。その結果、43・7%の民間病院が病床枠に「かなりの経済的価値がある」と回答。また、「経済的価値はないが(後継者への)事業継承に必要」が18・9%、「経済的価値はないが(将来の病院の)拡張・統合に必要」も20・3%にのぼった(図2)。つまり、民間病院の82・9%に、医療サービスへの需要が減少しても病床枠を保持する理由があったのである。
 

これまでの病床削減政策が奏功しなかったのは、病床により需要を誘発できる可能性がある上に、病床「枠」を温存する理由が病院側にあるためである。

病床枠に何らかの経済的価値があるならば、地域医療構想調整会議のような利害関係者の協議で病床削減を決定することは困難である。

さらに、民間病院が事業継承や事業拡大のために病床枠を抱え込んでいれば、経済的誘因が効きにくいためさらに削減は困難となろう。
 

それでは、無駄な病床を削減するにはどうすればいいのか。ここでは急性期病床と療養病床に分けて考えよう。経済産業省の「医療問題研究会報告書」(01年)によると、急性期の多い若年層は慢性期が多い高齢層に比べ、病床の過剰度合いと医療費の相関が低い(つまり影響されにくい)ことが示されている。そうであれば、急性期病床については供給者誘発需要の可能性が低く、病床規制の解除を検討するべきである。
 

病床規制がなくなれば競争が促進されることに加えて、病院が事業継承や将来の拡張のために病床枠を温存する必要がなくなる

ただし、競争的な市場環境を整備するため、患者側にとって病院を選ぶための情報開示は欠かせない。そのため、急性期病床の保有病院には、“品質”を示す症例数や生存率などのデータの提出義務化や、提出データを厳格にチェックする政府の監視機能の強化を実施するべきである。
 

一方、療養病床は、介護サービスの代替財(似た性質の財を代わりに利用すること)として使われている実態がある上に、そもそも公的な介護施設が足りておらず、超過需要(需要が供給を上回る状態)が発生している可能性が高い

そのため、病床規制を解除すれば、かえって病床数が増加する上に、病床での長期療養が常態化する恐れがある。慢性期疾患の患者が地域で生活できるよう、受け皿となる在宅ケアの体制整備を急ぐことが、療養病床削減の近道になると考えられる。
(河口洋行・成城大学経済学部教授)
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 ■人物略歴
 ◇かわぐち・ひろゆき
 1965年山口県生まれ。89年一橋大学商学部卒。2002年英ヨーク大学大学院、08年一橋大学大学院修了(経済学博士)。日本興業銀行などを経て、11年から現職。専門は医療経済学。著書に『医療の経済学』(日本評論社)など。
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