医療:巨大グループ誕生・中村秀夫物語/下 地域連携へ人材育成 モットー引き継ぐのは息子 /埼玉

2015.02.16

医療:巨大グループ誕生・中村秀夫物語/下 地域連携へ人材育成 モットー引き継ぐのは息子 /埼玉
2015.02.14 毎日新聞



 上尾中央総合病院(上尾市柏座)は1965年に救急指定病院の認可を受け「医療法人社団米寿会・上尾中央病院」に組織変更し、眼科、耳鼻咽喉(いんこう)科を増設した。外来患者数は1日400人を超えるようになっていた。

 当時、医師は院長の中村秀夫(85)と風間進のみで、秀夫は内科医▽耳鼻咽喉科医▽外科医の1人3役を担い、多忙を極めた。

秀夫は深夜まで働く職員にいつもカツ丼をごちそうし「活力の源になる」と喜ばれた。

 職員の福利厚生にも力を入れた。67年には板橋・戸田との合同運動会を開催。

仕事以外にも全力で取り組む秀夫は他の2病院を相手に「追いつき、追い越せ」と職員を励まし、院内の団結力を高めた。

 71年には職員の業務の質を向上させようと、独自の「事務職資格認定試験」を導入する。
同年、総合病院の認可を受け、上尾中央病院は「上尾中央総合病院」に名称変更した。

 73年、上尾中央医科グループ(AMG)の初の系列病院として八潮中央病院(現・八潮中央総合病院)を開設。
「これからは老人医療が重要になる」と考えた秀夫は、初の老人病棟も設けた。

 病院のない地域をなくしたいとの思いはやまず、74年には吉川中央病院(現・吉川中央総合病院)を開設、78年以降も白岡中央病院(現・白岡中央総合病院)▽東川口病院▽柏厚生病院(現・柏厚生総合病院)▽津田沼中央病院(現・津田沼中央総合病院)を設け、ネットワークを県内外に広げていった。

 病院展開を進めていく中で、看護師不足が深刻となった。そこで自らの手で看護師を養成しようと、79年には上尾中央看護専門学校を開校した。
それでも、2年間の養成期間を待てない状況だった。

 「結婚退職し、家庭に入った元看護師にアルバイトとして来てもらおう」。
80年、秀夫は育児中の元看護師でも安心して働けるよう院内保育園「つばさ保育園」を開設した。開園当初は数人だった利用者も、2003年には70~80人にまで増えた。

 三兄弟は毎月、通称「サミット会議」を開いて情報交換を行うようになっていた。
秀夫は会議で「医療・福祉・教育」を自身の三本の矢と表明し、「高度医療で愛し愛される病院」を掲げている。

 板橋、戸田との合同運動会は職員の増加に伴って廃止されたが、AMGの運動会は継続。秀夫はいつも次年度の方針を描いたTシャツを着て参加し、職員を鼓舞する。

 秀夫はスポーツ振興にも力を入れている。AMGが擁する女子バレーボールの実業団チーム「上尾メディックス」は昨年5月、Vリーグ機構の承認を受け、悲願のV・プレミアリーグ昇格を果たした。

 02年、秀夫は「勲三等瑞宝章」を受章した。長年の地域医療への貢献が評価された。秀夫は、グループ内広報誌「くたかけ」で受章の喜びを「上尾市立病院を引き継ぎ、日夜診療に明け暮れたことが走馬灯のように脳裏をかすめ、胸が熱くなる思いをした」と記した。04年には夫妻で天皇、皇后両陛下主催の園遊会に招かれた。

 地域と連携した医療の実践、たゆまない人材の育成という秀夫のモットーは、息子の康彦(51)に引き継がれている。さまざまなアイデアを実現してきた秀夫を継ぐ2代目はどんな一手を打つのか、巨大医療グループの次なる動向が注目される。(敬称略)【我妻玲子】