戦後日本を長年支えてきた団塊の世代が75歳を迎え、医療や介護に支えられる立場に回る「2025年問題」。 東京五輪から5年後、「超高齢社会ニッポン」はどうなるのか。

2014.04.23

(耕論)団塊が老いる時 高林克日己さん、葉真中顕さん、森田麻里子さん
2014年4月23日朝日新聞
 

戦後日本を長年支えてきた団塊の世代が75歳を迎え、医療や介護に支えられる立場に回る「2025年問題」。

東京五輪から5年後、「超高齢社会ニッポン」はどうなるのか。

 ■自宅で死迎える選択肢を 千葉大付属病院副病院長・高林克日己さん

 日本の高齢化は今後、人類史上例がない速度で急激に進みます。特に都会で高齢者が爆発的に増えますが、実際どのような世界になるか、今まで十分に明らかにされてきませんでした。

 団塊世代が75歳以上の後期高齢者になる2025年の医療の需要は、10年の1・3倍前後に増えます。

75歳以上の医療費は若い人の約8倍かかっています。同じ医療を続けようとすれば、医療スタッフやベッド数も1・3倍にしなければなりません。

介護にはそれ以上必要で、現実には、これらを賄う財源はないだろうし、人員も絶対的に足りません。

 問題がまず表面化するのは救急の現場です。

救急患者の半数は65歳以上で、パンクするのは確実です。

東京を中心とする50キロ圏では、車で1時間以内に入院できる病院が大幅に不足します。

増える需要に応えようとしても問題は解決しません。今の延長線上に解はないのです。

 そもそも、人は亡くなる時に病院にいることが幸せなのでしょうか。
苦しいのは病院でも自宅でも同じこと。
在宅患者を支える態勢が整えば、本人は自宅で最期まで自由にテレビを見られるし、酒やたばこも楽しめる。

高齢者に「人生の最期をどこで迎えたいか」と聞けば、大半は自宅と答えます。
在宅死は冷たい扱いどころか、満足できる死に方になれるのです。

 高齢化で医療を必要とする人が増えれば、本人の意向と関係なく、あぶれた人は病院には入れません。
病院の外で死を迎えるという結果は同じかもしれませんが、自分で死に方を決められるかどうかという点で、決定的な違いがあります。

 国にお金がなくなれば、医療費の自己負担が大幅に引き上げられるかもしれません。国が上から決める「年寄りの切り捨て」は最悪の選択でしょう。

そうしないために、高齢者の延命治療に関する自己決定権を重視し、医療者とともに「尊厳ある死」を目指すことが、医療の需要そのものの歯止めにもなります。

 延命治療を望まない方、最期を自宅で迎えたい方には、事前指示書を書くことを勧めます。
本人の意思が明確なら、医者は無理な医療をしません。安らかな最期を望むときに救急車で運ばれて過剰な治療を受けることもありません。

 高齢者が死に場所を失う「終末期難民」という言葉がささやかれています。在宅の高齢者を支える医師や看護師を増やし、高齢者同士もコミュニティーを作って支え合うことにより、終末期に備えることが重要です。

 団塊世代が後期高齢者になる25年前後に、日本の高齢化の大波は一気に押し寄せます。
その直前になって準備をしたのでは間に合いません。20年までが勝負です。眼前に迫った高齢化の大波を乗り越えるうえで、今がまさに重要な局面なのです。

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 たかばやしかつひこ 49年東京生まれ。内科医。千葉県松戸市の病院で高齢者向けの医療や福祉に携わる。千葉大付属病院では、千葉県と連携して高齢社会の医療政策を研究している。

 ■介護の負担、倫理を溶かす 「ロスト・ケア」を書いたミステリー作家・葉真中顕さん

 昨年、厳しい介護の現場を舞台にしたミステリー小説「ロスト・ケア」を出版しました。執筆のきっかけは私自身の家族の介護です。その頃、介護報酬を不正請求した「コムスン事件」も起きました。介護大手のコムスンのサービスを我が家も使っていたので、高齢社会の構造問題が顕在化したと思いました。

 小説には、認知症の親の介護を「地獄だ」と嘆くシングルマザーやフリーターの若者が出てきます。いずれも、介護の経験者や介護職に取材したもので、現実に起きていることです。

 増えていく介護のニーズに、制度もリソースも追いついていません。そのしわ寄せを一番食うのは、家族です。あまりに重たい介護負担を背負うと、家族の善意がすり切れ、「死んでくれた方がましだ」と思ってしまう限界状況が訪れる。肉親の死が救いになる。これは誰の身の上にも起こりうるのです。社会全体が介護負担の重さに押し潰されれば、人間が普通に持っているはずの倫理観さえも溶けてしまうでしょう。

 今の私たちなら、例えば、「70歳以上安楽死法案」なんてものは絶対にあり得ないと考えます。しかし、将来的に社会全体が限界状況に陥れば、「やむを得ない」と許容され、それに近い政策が実行されることも、十分ありうると思います。

 人類史上の大きな過ちは、大抵そうして起きています。悪いことを悪いと思ってやっているうちはまだましで、みんなが「やむを得ない」「次善の策だ」と思い始めたら、もう止められません。もっと手前の段階で、社会制度や考え方を変える必要があります。

 人間は弱く、状況に流される存在です。高齢化の最も安易な解決策は、高齢者がいなくなることでしょう。そうすれば、高齢者の既得権を奪う改革は必要ないし、為政者にも都合が良い。だからこそ、この問題は人間の倫理観を溶かす危うさをはらんでいるのだと思います。

 10年後、20年後、より深刻になってゆく高齢化を、いかに倫理観を溶かさずに乗り越えるかが課題です。だが、それを良心に期待してはいけません。

 最大の問題点は、生産年齢人口が増えることを前提につくられた社会制度が、時代に合わなくなっていることです。「人々が良心を持って支え合えば、高齢化は乗り切れる」といった奇麗事に頼って制度の改革を怠れば、高齢化で生じる様々な負担が個人に押し付けられ、地獄のような状況が生まれるでしょう。

 既得権に関わる年金や医療の改革で合意を得るのは難しい。でも、その困難を避け続ければ、私たちは「家族のために」といった美辞麗句の名の下に、もっとひどい世の中をつくってしまうかもしれません。

 (聞き手はいずれも石松恒)

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 はまなかあき 76年東京生まれ。作家。「ロスト・ケア」(光文社)で2012年の日本ミステリー文学大賞新人賞を受賞。児童向けの小説やコミックのシナリオも手がける。