揺れる徳洲会、大義「生命だけは平等だ」の行方

2013.12.06

揺れる徳洲会、大義「生命だけは平等だ」の行方
2013/12/5 千田敏之=日経メディカル
 

 昨年末の衆院選で、医療法人徳洲会の前理事長、徳田虎雄氏の次男、徳田毅氏が立候補した鹿児島2区に、600人近い病院職員らを全国から派遣、選挙運動に当たらせ報酬や旅費約1億5500万円を支給したとして、徳田氏の親族らが公職選挙法違反容疑で逮捕され、12月3日には毅氏の姉ら8人が起訴された。

一方で、猪瀬直樹東京都知事が徳洲会から5000万円を受け取っていた事実も判明、事件は公職選挙法違反の枠組みを超え、政界をも揺るがす事件へと様相を変えつつある。

 徳洲会グループは、医療法人徳洲会を核に、複数の医療法人や個人立病医院、社会福祉法人などで構成される。病院の数だけでも66に上る。
事件が拡がりを見せる一方で、医療関係者の興味は、選挙運動を主導したとみられる徳田虎雄氏の今後と、徳洲会グループの行く末に移っている。

 税法上の優遇を受けている社会福祉法人(2法人)や、特定医療法人(1法人)の認可取り消しとなれば、法人経営の根幹が揺らぐ。
さらに、医師を初めとする医療職の流出が起これば、グループの医療機関の存続さえ危うくなり、地域医療に与えるダメージは計り知れない。

 徳洲会はなぜここまで巨大化したのか、「生命だけは平等だ」の理念はこれからも生き続けるのか――。『日経メディカル』、『日経ヘルスケア』の過去記事を元に徳洲会のこれまでを振り返ってみる。


転換点は1985年の第1次医療法改正
 
徳洲会の歴史は、そのまま医師会、厚労省(国)との“戦い”の歴史でもある。
徳田虎雄氏は、1973年に大阪府松原市に徳田病院(現在の松原徳洲会病院)を開設して以降、大阪府内のみならず全国で病院を開設してきた。

今から35年前、4つめの病院を開設した直後、『日経メディカル』のインタビューで徳田氏は「今年は3大冒険をしたい。(中略)。
3つ目は大阪以外の他の府県に設立する、ということです」(78年9月号)と語り、「年中無休、24時間オープン」の病院を全国展開すると宣言した。


『日経メディカル』1978年9月号で、4つ目の病院開設直後の徳田氏をインタビューした。まだ40歳、眼光が鋭い

 この宣言は当時の医療界に大きな衝撃を与えた。
社会保険病院や済生会病院、日赤病院などの公的病院を除き、都道府県をまたがって、しかも、地方を越えて(関西から関東へ)複数の病院をチェーン展開する民間医療機関はほとんどなかったからだ。

 当然、進出先の地元医師会との軋轢は熾烈を極めた。そして85年、第一次医療法改正を迎える。
病床規制が主眼であったこの法改正は、同時に徳洲会を狙い撃ちにする内容も盛り込んでいた。
医療法人の自己資本率20%、医療法人の他県進出は厚生省指導課管轄となる……などだ。

 医療法改正によって様々な足かせをはめられた徳洲会は、医療法人徳洲会としてではなく、指導課管轄とならない個人立病院での開設に方針転換。

大隅鹿屋病院(鹿児島県)、湘南鎌倉総合病院(神奈川県)、庄内余目病院(山形県)などが次々と個人立で開設された(その後、個別に医療法人化)。
この手法で、80年代後半から90年代にかけて徳洲会グループは一気に病院数を増やしていく。

 各県の病床規制が本格化する直前の89年、『日経ヘルスケア』は、拡大の陣頭指揮を執っていた理事長室の能宗克行氏(30年以上にわたり徳田氏の“懐刀”として事務部門の責任者を務めるも事務総長を昨年解任、12月3日に業務上横領容疑で逮捕)にインタビューを行っている。

 当時、能宗氏は「医療計画下でも、我々が病院が足りないと判断し、建てる価値があるとわかったら用地を確保し、積極的に作って行く。作れそうにみえない関東でもだ」と語っていた。
この方針は実に四半世紀経った今でも、全く変わっていない。
「不足圏域があれば病院を建てる」。それが徳洲会の一貫した“社是”なのだ。

 行政と医師会に苦しめられた徳田氏は、国会議員になることが徳洲会の全国展開に欠かせないと判断、80年代に入ると国政進出に傾注し始める。
83年と86年の2回の落選の後、90年に衆議院議員に当選したが、鹿児島県奄美群島選挙区で争った保岡興治氏の陣営ともども多数の選挙違反による逮捕者を出した。その選挙戦の激しさからマスコミは「保徳戦争」と呼んだ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

巨大化のツケ、慢性的な医師不足にあえぐ地方病院
 

国会議員になったことで、規模拡大は格段にスムーズにいくようになったとみられる。
90年代後半以降開設のピッチは上がり、年3~5件程度のペースで病院開設を続けた。
しかし、同時に急拡大ゆえの歪みも顕在化してきた。
深刻な医師不足と、巨大化し過ぎた組織の統制の難しさだった。

 『日経ヘルスケア』は2005年4月号で「徳洲会はどこへ行く」という特集を組み、急拡大の陰でグループ全体が慢性的な医師・看護師不足に陥っている状況や、事務系幹部の人材不足などをリポートしている。



 
『日経ヘルスケア』は、2005年4月号で徳洲会の大特集を組み、巨大化で顕在化した様々な問題点をえぐった。

 同記事は「辞めた医師の補充ができず、少ない人数のまま運営している。中途採用は難しいが、かといって本部が補充してくれるわけでもない」と、地方都市の徳洲会病院の院長の言葉を紹介する一方、「事務職員の場合、幹部の中にも、選挙活動に嫌気が差して辞めていく人がいるという。

徳田虎雄氏が代表を務める自由連合の選挙活動には、徳洲会グループの医療機関の事務職員も動員される」と、選挙活動に対する不満の存在も明らかにしている。

 ちなみに、この頃、徳田氏は既にALS(筋萎縮性側索硬化症)で病気療養中であった。特集ではインタビューの代わりに徳田氏から届いた手紙を紹介しているが、同じ特集に掲載された、徳田氏の長男で徳洲会副理事長の徳田哲氏(衆議院議員の毅氏の兄)のインタビューとの対比が興味深い。

 手紙で徳田氏は「徳洲会のノウハウは、命懸けの使命感を持って、患者中心の医療で『生命だけは平等だ』の理念・哲学を実践し、利益はその地域や国に還元するという誰もが納得してもらえるやり方にあります。(中略)。

日本は世界に類を見ない高齢化社会を迎え、国の対応が問われています。

『政治の原点は福祉にあり、福祉の原点は医療にあり、医療の原点は急病救急医療にある』との考えから徳洲会は、医療福祉に理解のある政治家を応援していきます」と書き、病床にあってもそのアグレッシブさは健在であった。

 一方、後継者と目されていた哲氏は、父親とは正反対の物静かな人物だった。インタビューでは「僕の役目は、理事長の言う『生命だけは平等だ』の理念と哲学に基づいて動いているチームをどういうふうに存続していくのか、その場を整える役に徹しようと思っています。(中略)。

何十年後かに、誰かすごい傑出した人物が出てくるかもしれない。(中略)。集団指導体制で経営していこうと思っています」と語っていた。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

揺れる徳洲会、大義「生命だけは平等だ」の行方


  2005年の時点では、将来、哲氏が徳洲会の次期理事長・グループ代表に就任することが既定路線となっていた。

しかし、その統率力を不安視する向きも現場にはあったようだ。

哲氏自身もインタビューで「チーム」「集団指導」という言葉を使っているように、父親のようなトップダウン型ではなく、合議でグループを運営する考えを示していた。

もっとも、今回の事件が起こるまで、徳田氏から哲氏に最大組織である医療法人徳洲会の事業承継はされておらず、徳田氏が事件の責任を取って10月に退任後は、新理事長には湘南鎌倉総合病院の院長を長く務めた副理事長で、実質ナンバー2の鈴木隆夫氏が就任している。


現場の病院長たちの悲壮な決意
 一連の事件は、徳田氏が一代で築き上げた巨大病院グループと政治活動のそれぞれを、息子たち(親族)に承継させる過程で起きた。

解任した事務総長と、徳田ファミリーの内紛をきっかけに選挙支援関係の内部文書が流失し、東京地検特捜部が動いたとみられる。

 つまるところ、オーナー経営者が直面する永遠の命題である承継の失敗という見方もできるだろう。
親がどれほど“帝王学”を授けても、創業者自らが生み出した「理念」を100%吸収することはできないし、カリスマ性を承継させることもできない。

逆に、親が作った悪しき慣習(選挙支援システム)に「NO」と言える後継者が育っていなければ、遅かれ早かれ問題は公になっていただろう。

 徳洲会が離島を初めとする僻地医療や、地域の急性期医療に果たしてきた役割は決して小さくない。

また、東日本大震災における災害医療救援活動での貢献は、ヒト、モノ両面で他の民間医療機関を圧倒するものであった。
東京地検特捜部の強制捜査が徳洲会グループ本部に入った9月、徳洲会病院院長らによる「徳洲会グループの再生を願う有志の会」が「徳洲会グループ 関係各位」にあてて以下のような声明を公表した。

 「今後は、医療法人、福祉法人など、それぞれの組織活動の原点に立ち返り、徳洲会の理念である『生命だけは平等だ』の理念のもと、より一層の質の高い、離島へき地医療、救命救急活動などを、皆さんと一緒に実行していきたいと考えております。
(中略)。選挙などでの違法な政治活動については、今後一切行わないことを誓います」。

 徳田氏の理念は、親族や経営者ではなく、現場で奮闘する医療者が主体となって引き継がれることになるのだろうか――。
もっとも、徳田氏というカリスマ経営者が全国のグループ医療機関に睨みをきかせていたからこそ、離島や過疎地に都市部の病院から医師を派遣でき、地域医療を守っていたという構造もある。
巨大病院チェーンが統制力を失ったとき、「生命だけは平等だ」の理念継続も危うくなる可能性は否定できない。

 なお、親族らが逮捕された11月12日、徳洲会グループの災害医療チームTMATは、フィリピン中部台風の緊急医療救援活動に出発、約10日間の支援を行い帰国している。