飛島にDr.コトー復活 1年5カ月ぶり 野口医師「島民に恩返ししたい」

2013.08.29

飛島にDr.コトー復活 1年5カ月ぶり 野口医師「島民に恩返ししたい」 /山形県
2013.08.28 朝日新聞


 「無医島」となっていた飛島の酒田市飛島診療所に、医師が1年5カ月ぶりに戻る。茨城県出身の野口健一さん(53)=内科=が常勤医として赴任することが決まり、27日、本間正巳市長から辞令が交付された。
29日に着任し、9月2日から診療を始める。

 野口さんは、長野県の総合病院で勤務していたが、医師の集大成として離島で役立ちたいと公募に応じた。
茨城、長野、愛知、埼玉など1都7県で勤務しているが、へき地医療は初めて。
「高齢者が多い島なので痛みの治療に重点を置くが、生活習慣や生活環境の見直しも含めて考えていきたい」と話した。
任期については「少なくとも定年までは頑張りたい」としている。

 本間市長は「常勤医不在の期間、島民にご不便とご心配をおかけしたが、医師が決まりほっとしている。
島民は先生に長く勤務していただけるよう期待している」と話した。


 ◇無医村に生まれ育ち・島民に恩返ししたい 野口健一医師に聞く

 ――飛島に赴任するに当たっての決意は

 「生まれ育ったところが無医村。
小児ぜんそくの発作で眠れないとき、亡くなった母に背中をさすってもらったことを覚えている。
いずれ無医村かへき地の医療に関わりたいと思っていた。
これまで医療設備や医療スタッフに恵まれたところで仕事をしてきたが、もう一度、原点に返って島民のみなさんに教わりながら地域医療を学んでいきたい」

 ――飛島に決めた理由は

 「離島の医師募集は東京、長崎、沖縄など多いが、山形県に思い入れがあった。
島の写真を市のホームページで見て引きつけられた。
もともと文学青年で、藤沢周平の時代小説もよく読み、映画『おくりびと』の酒田の雪のシーンもよかった。
実家が魚屋だったので、島で魚が食べられるのが楽しみ。
自分自身はひ弱だが、体を鍛えて船釣りに出られるぐらいにしたい」

 ――単身赴任ですね

 「いい年をして、と家族はあきれている。
でも、自分の人生を正直に生きられるのは幸運。その分、診療所を利用してくれる島民に恩返ししていきたい」

 ――飛島での診療はいつまでと考えているか

 「追い出されるか、精根尽き果てるか。少なくても定年ぐらいまでは考えている。生半可な気持ちでは来ていない」(岡田和彦)


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 酒田市:無医島の飛島、待望の常駐医 内科医・野口さんに辞令交付、来月2日から診療 /山形
2013.08.28毎日新聞 



 ◇「予防医療にも力」

 昨年4月から1年5カ月にわたり医師が不在になっている飛島(酒田市)に待望の常駐医が決まり27日、本間正巳市長から辞令が交付された。29日に島に渡り、来月2日から診療を開始する。

懸案のひとつが解決できたことに本間市長は「きょうを無事迎えることができた」と、ほっとした表情を見せた。【佐藤伸】

 辞令を受けたのは茨城県出身の内科医、野口健一さん(53)。

野口医師は千葉大医学部を卒業後、茨城や岐阜、愛知、埼玉、新潟などの病院で勤務。
2010年10月から今月まで、長野県下伊那郡阿智村に居住しながら下伊那厚生病院に勤務していた。

 野口医師自身が無医村の生まれ。幼い頃、小児ぜんそくに苦しみ一晩中、母親に背中をさすってもらった経験がある。

その経験から離島やへき地医療に関心を持ち続けてきた。医師募集は、長崎の離島など全国各地であるが「暑いのは苦手」。

山形県とはほとんど縁はないものの、趣味の読書を通じて、藤沢周平や映画「おくりびと」、土門拳に親しんできたことが決め手になった。
庄内地方の風土や人情に強い郷愁や憧憬(しょうけい)を感じ、募集に応じたという。

 野口医師は、市の医療職で採用となった。本間市長は辞令交付式で「島民には不便と心配をかけてきた。

ほっとした。長く勤務してほしい」と話した。野口医師は「原点に立ち返り地域医療、離島医療を学んでいきたい」と抱負を述べた。

 妻や子を残しての単身赴任。飛島赴任について妻は「いい年をして」とあきれた感じというが、「自分の人生を生きたいと思う。

ある意味、利己的だが、そうして生きられることに感謝し、島民に恩返ししたい」と話した。

痛みを和らげる医療を心がける一方、「衣食住環境」の改善指導など予防医療にも力を入れるという。

 引っ越しは29日。島内3地区から2人ずつ計6人が荷物の搬入を手伝うという。

飛島の勝浦地区で民宿を経営する本間定雄さん(73)は「島民はみんなが大喜びしている。定年(65歳)までと言わず、末永くいてほしい」とうれしそうだった。