女性の人気専門職 「医療事務」"ブラック"な現実

2013.07.16

女性の人気専門職 「医療事務」“ブラック”な現実
2013.07.21 サンデー毎日 

 結婚、出産後も全国の病院で働ける専門職――。病院の窓口や経理を担う医療事務は、女性に人気の職業の一つ。
ところが、現場からは理想と現実のギャップに喘ぐ声が聞こえてくる。


「この金額は高すぎる。医者は何も説明してくれなかったぞ!」

 関東圏のある公立病院の窓口に中年男性の怒声が響き渡る。
40代の女性事務員が慌てて担当看護師に電話すると、「こちらは、ちゃんと説明しています」。
恐る恐る男性の顔を見ると、今にも飛びかからんばかりの形相。医療者と患者の間に立たされ、まさに板挟み。女性事務員が語る。

「患者さんは、医者や看護師に文句を言うと、ちゃんと治療してもらえなくなると思って、私たちに不満をぶつけます。
公立病院で働く私たちを公務員と勘違いする人も多い。公務員ぐらい待遇がよかったら不満もありませんが……」

 医療事務とは、病院の受付や会計、診療報酬請求明細書(レセプト)の作成などを担当する仕事。
現在、1500ある公立病院のうち8割近くが企業に業務委託しているとされる。だが、事務員の賃金の低さはあまり知られていない。

 日本労働組合総連合会(連合)によると、初任給は最低賃金ぎりぎりの12万円ほど。
全日本自治団体労働組合(自治労)の調査(2010年)では、自治体病院の事務員の平均賃金は、月額約14万6000円(37・6歳)。
約5割がワーキングプアと見なされる「年収200万円以下」とのデータもある。一方、平均勤続年数は3年6カ月。半年以内の退職は約5割に上り、離職率は極めて高い。

 ある市立病院で面接などを担当するベテラン女性事務員が説明する。

「事務員のほとんどは、まず民間の講座で勉強して、民間団体が実施する試験に合格して資格を取得します。
そして憧れの職に就くのですが、賃金の安さに比べて覚えることは多いし、責任も重い。割が合わないと辞めていくのです」

 冒頭の女性事務員は勤続約10年。
朝8時半から夜7時まで残業して手取りは20万円前後。自治労調査の平均より高いのは、月に何度か土日も働いているためだ。この女性事務員は言う。

「私は30代で離婚したのですが、2人の幼い子どもがいました。そこで何とか手に職をと、10万円ほど出せば数カ月の講座で資格試験にチャレンジできる医療事務を選んだのです。
この10年はぎりぎりの生活でしたが、最近、長男が『大学に行きたい』と……。今はほかの診療所の夜勤の仕事と掛け持ちして、夜11時過ぎまで働いています」


初任給12万円、突然の集団解雇


 なぜ賃金が低いのか。

 ある自治体担当者が匿名を条件に打ち明ける。

「診療報酬や地方交付税のカットで、自治体病院の予算が削られてきた。
医療の質に直結する医師や看護師の定員や人件費を減らすのは難しい。そこで医療事務を民間に任せ、さらには委託費の削減という流れができた。
しかし、もう一つの背景には、激しいダンピング合戦の末に業界のガリバーとなった最大手企業の存在があります」

 その企業は、資格取得のための講座から病院業務の受託まで手掛ける業界トップ。同社のパンフレットなどでは、1971年から60万人の講座修了生を輩出。
現在は1万の医療機関と契約を結び、5万人の修了生が働く、とある。

「同社は受講生が資格を取ると、自社が請け負う病院の仕事を斡旋する。
結局、賃金が低いので辞めてしまうが、講座があるので新たに合格した受講生をまた斡旋できる。
これを繰り返すことで、賃金水準を低く抑えられる。だから安い価格で病院の仕事を落札することもできる。これが、全体の賃金相場を押し下げている」(自治体担当者)

 本当なのか。同社広報に取材すると、「(事務員の)平均勤続年数は約5年3カ月とやや短く、賃金水準(の低さ)がその一因」と認めつつも、「私どもが決めた価格が業界全体に大きな影響を与えることはない」と反論し、こう続ける。

「公立と民間の全病院での私どもの受注シェアは2割に過ぎません。
講座の修了生が皆、就職を希望するわけでもない。人材の確保が追い付かないため、むしろ積極的に賃金アップを進めています。
ただ、病院との交渉の中で事業提案とともに値上げをお願いしていますが、病院も赤字経営の中で苦しい面がある」

 一方、「5割」とも「6割」とも言われる公立病院だけの受注シェアや、肝心の契約事務員の賃金水準については答えなかった。
同社が7月に兵庫県で出した求人広告には「月額平均12万~13万円」。加えて残業代なども出るとはいえ、業界の現実はこれだけではない。

 その象徴的な“事件”は2年前、兵庫県立病院で起きた。医療事務の入札があり、この大手企業が落札。それまで受注していた地元業者の社員ら90人が解雇の危機に立たされた。
地元業者は小さな診療所を顧客とする零細企業だったため、90人を他の職場で雇う余裕がない。
ところが、この企業が示した再雇用の条件は「新規採用並みの処遇」。当時、職場のリーダーだった男性はこう振り返る。

「それまで病院で15年働きましたが、面接で『時給790円から』と言われた。
手取りで10万円近いダウン。1年ごとの契約でボーナスもない。それまで積み重ねてきたものが突然リセットされたのです。発注した県も『雇用やその条件は新会社が決めること』と助けてくれませんでした」

 結局、5人が再雇用され、残ったスタッフは地元業者から解雇される形で散り散りになったという。

 厳しい企業間競争の現実といえばそれまでだが、医療事務の分野に限らず、清掃や図書館など自治体業務の委託先で働く人の待遇は民間より厳しいとも言われる。

公共工事の入札と違って「最低落札価格」が設定されないことが多く、極端に安い価格で落札するダンピングが起きやすいのだ。
また、事業費のほとんどを人件費が占めるため、賃金水準を民間のアルバイトでも珍しい最低賃金すれすれに設定されるケースも多い。落札しても人が集まらず、受注した業務を「返上」するケースもあるという。

 こうした中、自治体発注の事業で労働条件や仕事の質を犠牲にしたダンピング入札を防止する「公契約条例」を制定する動きに注目が集まる。
入札の条件に、生活できる賃金水準などを盛り込む。千葉県野田市や東京都国分寺市など約10の自治体が制定したが、経営者側には「自治体の仕事以外の賃金相場が上がる」などの反対論も根強く、多くの自治体の動きは鈍い。

 7月、都内で開かれた医療事務講座の説明会に参加してみた。講師が笑顔で言った。「(医療事務は)安定性も将来性も高い。スタッフの需要も増えています」

 理想と現実のギャップ――。企業がそれを広げ、自治体は見て見ぬふりをしている。

本誌・大場弘行