地域医療の経験、復興に生かす 元佐久総合病院医師・長純一さん、石巻赴任1年 尽きぬ情熱

2013.05.29

地域医療の経験、復興に生かす 元佐久総合病院医師・長純一さん、石巻赴任1年 尽きぬ情熱
2013.05.27 信濃毎日新聞 


 「信州で培った地域医療の実践を、被災地の復興に役立てたい」。県厚生連佐久総合病院(佐久市)の医師だった長純一(ちょうじゅんいち)さん(46)が、東日本大震災で被災した宮城県石巻市で市立病院の仮診療所長に就任してまもなく1年になる。転身の話を聞いたとき、地域医療に力を注いできた長さんらしい選択だと思った。この1年、被災地の現実とどう向き合ってきたのか。今月半ば、石巻を訪ねた。

   (編集委員・増田正昭)

<被災者支える仕組み目指し 「必要とされる限り」>

 プレハブ平屋の仮診療所は、海岸から7キロほど内陸に入った市総合運動公園の敷地内にある。長さんをはじめ医師4人、看護師6人、薬剤師などを含め20人近い態勢で、内科、外科の診察と訪問診療を担う。近くの仮設住宅団地には約1900世帯、4500人が暮らしている。

 「これからは、被災者の格差がますます開いていくと思う。医療と保健、介護、福祉の関係機関が一体となって支えていく仕組みをつくらなければいけない」。13日、午前中の診察を終えた昼休みに、長さんはこう切り出した。

 一日は多忙だ。朝は全員でミーティングをした後、8時半から診療開始。昼休みを挟んで診療や往診をこなす。昼休みや、診療を終えた夕方以降には、しばしば会合が入る。この日も、昼食もそこそこに市役所に出向き、認知症の患者への対応をめぐって担当者らと話し合った。

 診療所を訪れる人は、一日20人から30人。ひとり暮らしの高齢者も少なくない。長さんがとくに気を付けているのが、精神面のケアだ。「この1年で、うつとPTSD(心的外傷後ストレス障害)の傾向のある人を100人以上診ている」。風邪や元気がないといった訴えの裏に、メンタルの問題が隠れていることが多いという。

 待合室で話を聞くと―。「津波で家ごと流されたが、何とか助かった。診療所ができてありがたいけれど、ひとり暮らしで収入もなく、将来が不安」(70歳男性)。「隣近所がばらばらになってしまい寂しい。先生に話を聞いてもらうと安らぎます」(83歳女性)。家財を失った高齢の人たちが口々に悩みを訴えた。

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 長さんは、東京生まれの関西育ち。信州大医学部(松本市)を卒業後、佐久総合病院に勤務。創設者の故若月俊一さんを師と仰ぎ、同病院で19年間、地域医療を担った。

 震災後に石巻市を訪れたのを機に、転身の決意を固める。医療を単なる治療にとどめず、予防や健康管理にまで広げるべきだ―という若月さんの教え。「石巻でこそ、この教えが生きると思った」

 東北の自治体のなかで、震災の被害が最も大きかった石巻市。地震と津波で全戸数の8割が被災し、死者・行方不明者は4千人近くに上る。震災から2年余がたった今も、約7千世帯が仮設住宅に暮らしている。

 「被災した人たちは、買い物一つにしても強い負担感がある。石巻の地では、長先生のように積極的に手を差し伸べる医療が必要なんです」。市立病院の伊勢秀雄院長は、長さんの情熱に期待する。一方で、その仕事ぶりに関係者からは「あまり急ぎすぎないで」といった声も聞かれた。

 沿岸部で津波の直撃を受けた市立病院の建物は解体され、3年後の再建を目指す。仮診療所は、そのためのステップと位置付けられている。これからが正念場だ。長さんは「郷に入っては郷に従えという気持ちを持ちつつ、必要とされる限りここで頑張りたい」と話す。

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 信州が「長寿県」となった背景には、住民の健康への関心の高さと、健康管理に力を入れた医療・保健活動がある―と長さんはみる。「『長野モデル』は、東北の復興の参考となるはず。患者さんを取り巻く環境に目を向け、医療だけでは対処できない問題を介護や福祉とも連携することで、住民が最期まで安心して暮らせる地域をつくりたい」

信濃毎日新聞社