<発信2013 江別市立病院 内科医ゼロからの再生>上*崩壊*過酷な勤務 次々退職

2013.02.21

 

<発信2013 江別市立病院 内科医ゼロからの再生>上*崩壊*過酷な勤務 次々退職
2013.02.19 北海道新聞

 2月12日朝、江別市立病院1階の待合所は、100人を超える来院者であふれていた。

 「あのころは大変だった」。梶井直文院長(63)はその光景を見て、6年余り前の閑散とした院内を思い出した。

*患者の流出進む

 2006年10月、市立病院は崩壊の危機にあった。12人いた内科医がゼロになり、患者が他の病院に流出。
06年度の入院・外来患者は約27万8千人と、前年度より約3割も減った。

 背景には、04年度から始まった臨床研修医制度があった。

 同制度の導入まで、大学医学部や医大を卒業した新人医師は大学に残って研修や研究を続けるケースが大半だった。
だが、新制度では現場での幅広い診療能力の習得に力点が置かれ、さまざまな症例の患者を診察できる民間病院で研修する医師が増えた。

 市立病院が内科医の派遣を受けていた北大病院では06年度、1~2年目の初期研修医で大学に残った医師は60人。
定員115人の約5割にとどまり、大学側は医局維持のため、地方に派遣していた医師を相次いで引き揚げた。

 市立病院でも内科医が北大に戻るなどし、残った医師の仕事量が急増。06年夏ごろから、限界を感じた医師が次々に辞めていった。

残った医師7人が診察していた1人当たりの外来患者は、12人だった時の3倍以上の1日約100人。

入院患者の診察に加え、夜間急病診療所が併設されていたことが医師の負担に追い打ちをかけた。

 7人も10月には全員が辞め、内科系の常勤医はいなくなった。

 梶井院長は小児科が専門で、06年当時、院長代行を務めていた。「医師が減るごとに負担が増し、内科医の仕事を全うできる状態ではなかった」。

梶井院長は、過酷な労働が内科医ゼロにつながったと振り返る。

*市民が緊急集会

 市などは同診療所を移転。内科系の外来診療には他の病院からの出張医を充て、内科の閉鎖を免れた。

しかし、内科の入院治療はできず、90%近かった病床利用率は52・6%に低下。
入院、外来合わせた転院患者は約4千人に上り、市内の内科の開業医では待ち時間が数時間に及ぶこともあった。

 地域医療の危機に、市民が動いた。市立病院の正常化を求め、市民団体4団体が緊急集会を開いたり、同病院の元看護師らが署名運動を展開したりした。

 自治連合会の代表者らでつくる「江別をみんなで元気にする会」は07年4月の江別市長選で、道庁で長く医療行政に携わってきた三好昇石狩支庁長(当時)を擁立。

三好氏は無投票で当選した。市立病院でも、改革に意欲を燃やす梶井院長代行が院長に昇格した。

 人口12万人のまちの地域医療再生が、病院と行政が一体となって始まった。

(江別支局の竹内桂佑が担当します)

◇江別市立病院◇

 1951年4月、江別町立病院として開院し、現在の建物は98年12月に新築された。

15の診療科と7病棟があり、ベッド数は一般病棟278床、精神病床59床の計337床。

常勤医師は1月現在、内科医20人を含めて45人。入院患者は1日当たり238人、1日平均の外来患者は795人。