医療の受け手が自分らしい生を全うする治療・生き方を選択する際に、心理的内面の葛藤を認め、認識のズレを正す対話を重視する懸け橋がメッセンジャーナースである

2013.01.13

 

メッセンジャーナースとは(2012年9月 7日)

懸け橋になるのがメッセンジャーナース

突然の出来事に危機状況に陥る医療の受け手、その心理的内面の葛藤を認めた上での対話は、看護師の資格があればできるというものでもなく、誰であっても簡単にできるものではありません。だから研鑽が必要なのです。

日本では、「メッセンジャー」と聞くと、「使い走り」と受け止める人が多い、だから「メッセンジャーナースなんて嫌」というナースが居る中、あえて「あなたの使者になる。
そう思われるから良いのだ」と動き出したのが、認定協会で認定を受けたメッセンジャーナースです。
この動きが、その地域地域で、今、変化しつつジワァ~と拡大してきています。

被災地・福島のセカンドハウスよりどころ「ここさこらんしょ」へ最初に駆けつけ、作り上げたのは熊本のメッセンジャーナースでした。
岡山では、「がん患者会」からの要望により相談窓口にもなり、東京では東京の、新潟の佐渡では佐渡の・・というように、その地域のニーズを知っているメッセンジャーナースが新しい形をつくり始めています。

枠にはめられず、しかし、責任をもって看護のプロとして動く。その力を発揮していく。10月には「メッセンジャーナースの会」も発足し、いよいよ本格的に動き出しそうな予感が漂っています。


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{メッセンジャーナースの役割」

「医療の受け手が自分らしい生を全うする治療・生き方を選択する際に、心理的内面の葛藤を認め、認識のズレを正す対話を重視する懸け橋がメッセンジャーナースである」

http://www.nursejapan.com/messenger/cat22330188/index.html

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メッセンジャーナースの活動事例 2010年9月29日 (水)


1.訪問看護師からの問いに対して

 今、とても悩んでいます。
80歳代の男性で退院当初は悪液質でターミナルとのことでしたが、ポートからの高カロリー輸液で、命をつないでいます。

 その方が、今経口摂取を強く望まれています。嚥下困難があって、唾液も飲み込みにくくなっており、一度は窒息で救急搬送された事もありました。

(その頃はまだ、少量の経口摂取をされていました。その後完全に経口禁となりました。)発語は良好で嚥下困難の原因ははっきりしません。
多発性筋炎が原因ではないかと思っているのですが、主治医を含め嚥下困難についての詳しい原因検査はされていません。
VE検査は実施し、嚥下は無理とのコメントが付いています。(しかしどの程度のVE検査だったのかは不明です。)

 本人は食べたくて毎日妻に食事を作るように迫ります。妻は食べたら死んでしまうとの説明もあり、夫の訴えは無視しています。夫は無能な妻となじり、訪問のたびに妻に食事を作るように言ってくれと迫ります。
先生は声門閉鎖すれば食べることができるかもしれないと説明していますが、本人、家族ともにそれは望んでいません。
ご本人は意識レベルは多少の記憶障害はありますが、クリアなレベルです。

 ADLはほぼ全介助の状態になっており、自分では自由に動けません。
がんの進行がどの程度なのかも、詳しい検査をしていないので、不明です。
家族の生きていてほしいとの願いを、叶えながら、本人の食べたいとの想いを叶える方法ないのかと思います。
危険を覚悟で、訪問時に吸引しながら食べるか、もっと他にベストな方法はないのか、スタッフ皆で悩むところです。
主治医をどう巻き込むか、それも重要となると思います。
家族の思い本人の強い思い両方を大事にしながらどうアプローチすればいいのか良い考えをお持ちの方コメントをお願いします。



メッセンジャーナースからの助言:

 = 色々な事を感じました。死を招くかもしれない「食事」を与えて良いのかどうかという話の前にまだいくつか出来る事がある様に思いました。

 食べる事には「生きる為」「人生の楽しみ」「食事を作ってもらうという事を通して愛情を感じる」等、色々な意味合いがある様な気がします。
ご本人様の「食べたい」「食事を作って欲しい」との言葉の裏にあるもの、生きる事への執着や見捨てないで欲しいという気持ちの表れを感じました。

 唾液ですら飲み込みにくい状況ですから「食べたい」思いはあっても実際には「食べられる」とは思っていないのかもしれないと、ふと、思いました。
「ちょっと味わいたい」それもダメなのかという絶望感の様なものも感じられました。
また、食べられなくても、何十年と妻にされてきた「食事を作ってもらう」という事を通して、愛情を確認したいのかもしれない、あるいはこのまま食べられないで死ぬ位なら、最後に妻の手料理を食べて死にたい…そんな風に思っているかもしれないと感じました。

 でも、それは憶測にすぎません。
関わる者の解釈や憶測は胸にしまいつつ、ご本人の思いをもっともっと聴いてみたいなと思いました。
「食べたい」「食事を作って欲しい」と発せられた言葉だけでない状況(声門閉鎖は希望しない事や嚥下困難・窒息の恐れがある事)と照らし合わせて、この状況を本人はどの様に受止めているのか聴いてみたいなと思います。

 もう既にお聴きになられていましたら、更にご家族のお気持ちをしっかり聴いてみたいですね。
今まさに、ご本人もご家族も「生きたい!でも…」と間近にせまる死を感じながら葛藤されている様に思いました。
死ぬか食べるかではなく、生きるために味わってみたい奥様の手料理があるのかもしれません。
懐かしく味わえる思い出の一品があるかもしれません。
作る姿を見て・料理を見て・匂いを楽しみほんの少し味わう。
それで生きる希望がわくかもしれません。あるいは、生への執着から解き放たれて心穏やかに死を受け入れられるかもしれません。

 そういった事を含めて主治医には、ほんの少し味わうのにどれほどのリスクがあるのか、やはり叶わない事なのか聴いてみたい。
そんな事が頭に浮かびました。あなたが今、悩み取り組もうとされている事はナースにしかできない事だと思います。ナースの力を発揮して頂きたいと心より願っております。==


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