医師参入障壁としての医局~医師を引き揚げるが、他から採用することは許さない医療ガバナンス学会

2012.07.12

 

 

Vol.368 医師参入障壁としての医局~医師を引き揚げるが、他から採用することは許さない医療ガバナンス学会 (2012年1月16日 16:00) | コメント(0) | トラックバック(0) 

亀田総合病院 小松秀樹 
2012年1月16日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp 

南相馬市では、原発事故後、医師、看護師など医療従事者の半数が離職しました。もともと、南相馬市を含む相双地区の病院には、福島県立医大出身者が多かったので、県立医大の出身者が震災を契機に相当数いなくなりました。あるメーリングリストで、福島県立医大が医師を引き揚げたと伝わってきました。私は、この地域の事情を良く知る医師に確認した上で、原発事故後、福島県立医大は浜通りの医療機関から一斉に医師を引き揚げたと書きました(「福島県の横暴、福島県立医大の悲劇」 http://medg.jp/mt/2011/09/vol277.html )。この後、福島県立医大に勤務する知人から「引き揚げた例は知る限り1例もない」と抗議されました。そこで、様々なルートから具体例について情報を集めるべく努力しました。情報収集が困難だった上に、情報が得られても、医局と病院の間に、認識のずれがあったり、将来に向けての思惑があったりで、離職の原因を確定するのは困難でした。病院は医局に対して圧倒的に弱い立場なので、言いたいことが言えません。立場の違いと意思疎通の努力の欠如が、認識の違いを大きくしていると感じました。すべての個別人事について、双方の認識が一致することはないという印象さえ受けました。 

医局が引き揚げたように見える状況、すなわち、県立医大の医局から派遣された医師が、相双地区の病院を離職し、県立医大、あるいは、他の地域の関連病院に異動した例がいくつか確認できました。しかし、原発事故後、入院診療が認められず、先行きの見通しが立たなくなっていた時期があります。資金が枯渇して給与が一時的に大幅カットになった病院もあるほどです。引き揚げた形になっていたとしても、資金不足で、医師を雇用し続けるのが難しかったことが影響していた可能性があります。病院に残ったベテラン医師の認識と違って、実は、事務サイドが経営上の理由で、派遣を断った可能性のある事例もありました。 

医局と病院が、それぞれの事情と認識を口にしないまま、異動が決まったことも多かったのではないでしょうか。子供を抱えた医師の妻が、原発事故後の混乱期に、夫の南相馬市での勤務を嫌がる状況があれば、医局が無理させずに、他の病院に配置換えすることもあっただろうと想像します。そうしなければ、医局員を失うからです。逆に、妻の意向が表向きの理由で、事故の前からの懸案の人事を実行したのかもしれません。こうした事情は表にでてきません。 
確実なことは、南相馬市の病院関係者の間に、県立医大に医師を引き揚げられたという認識が、根深く存在することです。依存度が高いほど、病院側が弱いほど、引き揚げられたという苦い思いが強くなるのは容易に想像できます。状況をどのように見るのかは立場によって異なります。例えば人種差別では、差別する側とされる側で差別についての認識が同じということはありえません。 

トインビーの『歴史の研究』では、旧訳聖書の記述が、実在した一群の認識として大きく扱われていました。さらに言えば、歴史とは、書き手を介した過去の一時代の写像です。書き手のない歴史はありません。医師の離職原因を調べていて、認識は認識主体によって異なるという当たり前のことを痛感しました。 

従来、日本の多くの病院は、医師の供給を大学の医局に求めてきました。医局は、今も日本の最大の医師紹介機関です。医師の派遣主体は、大学ではなく、個々の医局です。医局は、自然発生の排他的運命共同体であり、法による追認を受けていません。この意味でやくざの組織に似ています。医局の勢力、すなわち、医局出身の教授数、派遣病院の格と数、医局出身者の病院長の数、そして何より医局員の数を、他の医局と争っています。勢力が大きくなると、運命共同体の個々のメンバーの利益も大きくなると思われてきました。外部からのチェックが効きにくいため、原始的な権力として行動します。派遣病院は縄張りとして、医局の支配下にあるものとみなされます。医局出身者以外、あるいは別の大学から院長を採用したり、他の医局の医師を採用したりするだけで、医師を一斉に引き揚げることがあります。全国で、医師の供給を大学だけに求めてきた病院が苦境に陥っているのは、医局員の数がニーズに対し相対的に減少したことに加えて、医局が医局外の医師の参入障壁になっているためです。 

何年か前、南相馬市立総合病院から、心臓カテーテルなどの技術を持った循環器内科の医師が、福島県立医大の医局に引き揚げられ、地域の急性心筋梗塞患者に対処できなくなりました。困った院長が、県外の病院に医師の派遣を依頼しました。赴任してくれる医師が見つかり、話がまとまったところで、福島県立医大の医局から横やりが入りました。他から採用することはまかりならぬというのです。南相馬市立総合病院は、従わざるをえませんでした。しかし、現在に至るまで、循環器内科医は欠員のままです。 
注目すべきは、福島県立医大最大勢力の整形外科医局に起きつつある変化です。数年前、忘年会旅行の余興の問題映像が外部に流出して大騒ぎになりました。破廉恥な余興を若い医師に強いる背景には、絶対服従の人事権があったと想像します。強力な人事権が、地域の病院への医師の派遣を支えてきました。ところが、震災後、医局員が、南相馬市の病院を辞めただけでなく、医局を辞めて他県で就職したと聞きました。 

福島県立医大の多くの医局は、臨床研修義務化の後、かつての力を失っています。無理な人事を強行しようとすると、医師は医局を辞めてしまいます。時代の変化の中で、支配などということは考えずに、医局にとってメリットがあるかどうかだけで、医師の派遣を決めていると聞きました。大学の医師は薄給ですが、医師不足なので、医局員のアルバイト先に困らないとのことでした。実際、利害は支配-被支配関係より合理的です。メリットは、金銭や医師のキャリア上の価値だけではありません。被災地への支援は、自らの存在意義を示すことで、メリットになりえます。利害を判断基準にすることが、利他行為を排除するわけではありません。 

被災地の医療を再建する上で、医局の排他性は阻害要因になります。従来の行動を続けていると、福島県民に見放されかねません。どう克服するのか、福島県立医大の力量が問われます。