住民の感謝、医師の支えに

2012.02.28

住民の感謝、医師の支えに http://mamorusyounika.com/chart6.pdf 
 
 崩壊寸前の危機に瀕(ひん)する日本の小児医療。兵庫県立柏原(かいばら)病院(丹波市)で奇跡が起きた。小児医療が再生したのだ。 

 前もって断っておく。すべてが解決したわけではない。柏原病院の常勤医師はピーク時43人いたが、今は20人を切った。 
地域医療の現場は危機的状況が続いている。国が医療費抑制政策をやめ、病院医療の立て直しをしない限り、真の解決はできないだろう。 

 丹波地域の人口は11万人。三つの病院に7人の小児科医が働いていた。三つの病院で、小児科の夜間救急外来を分担する丹波地域小児科輪番制を開始した。しかし、医師不足のなかで、一つの病院の小児科がつぶれた。 
もう一つの病院も、小児科医が1人になった。 

 輪番制も機能しなくなった。柏原病院も3人から2人になり、うち1人が院長に就任。孤立感に襲われた小児科医和久祥三は、絶望のうちに辞職宣言をする。 

それを聞いた地元の丹波新聞社の足立智和記者が、医療キャンペーンをはった。 
この男がキーパーソンになる。この頃、和久は精神的に消耗の極みにいた。 
足立の後方支援がありがたかったと言う。 

 2007年4月、住民が立ち上がる。 
柏原病院小児科を守る会が、お母さんたちの手によってつくられた。スローガンを三つ掲げた。 

 「コンビニ受診(コンビニを利用する感覚で安易に病院に駆け込むこと)を控えよう」「かかりつけ医をもとう」「お医者さんに感謝の気持ちを伝えよう」 

 小児科の時間外受診者数は4分の1まで減り、軽症者の受診も減った。救急患者のうち入院する割合は40%と高くなった。病院本来の機能が戻ってきた。重症の患者をていねいに診ることができるようになった。 

 行政が動いた。丹波市に地域医療課が新設された。医療関係者も立ち上がった。「丹波医療再生ネットワーク」ができた。地域が変わりはじめた。 

 和久は言う。地域が気づき、医師と地域の対話がはじまるのに、正確な情報を共有しあうことが大事だった。この役を足立記者がしてくれたという。 

 短期間で信じられないような数、5万5366筆の署名が集まった。守る会から、和久に会いたいと電話がかかってきた。辞めないでくださいと一方的に懇願されると思っていたら、和久の体のことを心配してくれた。「今までよく診てくれてありがとう」と言ってくれた。 

 心があたたかくなった。やがて病院のなかに「ありがとうポスト」がつくられた。 

 「先生、ありがとう」「いつも心のなかで応援しています」などと、子どもやお母さんから手紙が届いた。 

 「診てもらって当たり前と思っていた自分が恥ずかしい。今まで子どもの命を守っていただき、ありがとうございました」 

 和久医師は「何度泣いたかわからない」という。そして、辞職を思いとどまった。この病院に小児科医が集まりはじめた。今、小児科医は5人になった。あったかな連鎖が起き始めた。 

 日本中の地域医療の崩壊が報じられている。医療崩壊をどう防ぐか、ここにヒントが見えるような気がする。住民が感謝して支えてくれる地域は医師にとって魅力的な所だった。給与や待遇や環境や都市という便利さだけで働き場を決めていない。 

 患者さんの感謝が、疲れた医師の心を支えてくれたのだった。日本もまだ捨てたもんじゃないと思った。(2009年2月15日読売新聞)