小児科に特化して学ぶ研修医 未来ある命を見守る

2012.01.17

 

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心に太陽を持て:/13 小児科に特化して学ぶ研修医 未来ある命を見守る /千葉 
2012.01.16 毎日新聞  


 ◇放射能の影響、注意深く診察へ 

 未来ある命を預かるということ。「成田赤十字病院」(成田市飯田町)の研修医として、医の道に歩み出したばかりの土持(つちもち)太一郎さん(27)にとって、東日本大震災は、自らの人生について、あらためて、深く考えるきっかけとなった。 

 浦安市で生まれた。県内の進学校で受験勉強に明け暮れた10年ほど前、ふと読んだ漫画「Dr・コトー診療所」の世界観にひき付けられた。 
東京の大学病院から、離島に赴任した主人公が、島でただ一人の医師として奮闘する物語だ。 

 受験競争の勝者が進むような大学病院で、最先端医療に携わりながら、あえて、地味だが人との触れ合いを大切にする道を選ぶ生き方。 
東シナ海に浮かぶ鹿児島県の下甑島(しもこしきじま)で、地域医療に人生をささげた実在のモデルがいると知り、さらに興味がわいた。 

 そんな高校生活の2年目。級友のひとりが白血病に侵された。若いほど進行が速い血液のがん。 
はた目にもつらそうな姿に周囲も遠慮し、声さえかけにくい。次第に登校が難しくなり、やがて、床に伏した。 

 不確かだが、夢もある未来への期待と不安を抱えている仲間のなかで、ただ一人、フェードアウトするように教室から消えた級友が忘れられない。未来を奪う病から、若い命を救いたい。使命感がわきあがった。 

 高額の授業料を考えると、私大医学部は論外。実家を離れれば、下宿代もかかるため、首都圏の国立大も考えたが、結局、進学したのは、実在の「Dr・コトー」も学んだ鹿児島大医学部だった。 

 夏休みに帰省した。級友を見舞ったが言葉を交わせる状態ではなく、間もなく亡くなった。級友に導かれるような運命を感じた。 

   □   □ 

 「未来ある命。子どもの命を救いたい」という思いをかたちにしたい土持さん。 
一昨年春、医師としての最初の2年間の研修先に小児科に特化したプログラムがある成田日赤を選んだ。 

 昨年3月の震災の日は救命救急関係の部署にいた。入院患者を余震に警戒しながら病棟まで送り届けた後、ざわめく病棟のテレビの映像に息をのんだ。 
あまりに高い津波、子どもは逃げ切れないと考えた。実際、犠牲者の大半は溺死とされ、救急医療が救える命は限られた。 
多くの幼い命が波にのみ込まれた。 

 5月、成田日赤の救護班として、岩手県釜石市の避難所で活動した。 
発生から2カ月近くが経過し、がれきの撤去作業があちこちで行われ、粉じんなどでぜんそくを患う人が目立つ。 

 心理的ストレスを抱え、せきを切ったように看護師に症状を説明する患者も少なくなかった。 
地味だが人との触れ合いを大切に。話をさえぎらず、じっくり向き合う。そう心がけた。 

   □   □ 

 白血病を含む子どもの血液腫瘍をテーマに選んでいる土持さんにとって、東京電力福島第1原発の事故は、新たな課題を突きつけている。 
この事故は、千葉県を含む広範囲に放射能汚染をもたらし、大人より、放射能汚染の影響を受けやすい子どもの健康への長期的な影響が懸念されるからだ。 

 放射線影響研究所によると、原爆投下後の広島では、白血病の発生率は約2年後から通常より高くなり、6~8年後にピークに達した。 
「被ばくによる症状が今後表れるかどうか、注意深く診察しなくてはいけない。 
私たちの世代の医師に与えられた課題です」。歩み出した道の先。震災の影はずっとついて回る。 

 釜石の被災地の病棟や街角で見た子どもたちの笑顔が忘れられない。「起こったことは不幸だからこそ、助かった子どもたちは強く生きてほしい」と強く思う。震災は、子どもの命と関わる重みを土持さんに問いかけ続けている。【西浦久雄】=つづく