(ニッポン人脈記)自宅で病気と向き合う・・ 「夕張モデル」広げたい

(ニッポン人脈記)自宅で病気と向き合う:9 「夕張モデル」広げたい 
2011.12.06 朝日新聞 


 かつて炭鉱の町として栄えた北海道夕張市。人口約1万1千人の1・2%にあたる130人以上の住民は今、病院ではなく、自宅で病気の治療を続けている。人口に占める在宅患者の割合だけでいえば、夕張は日本の「在宅医療先進地」だ。 

 2006年に財政破綻(はたん)した市が財政再建団体になったのと同じころ、医師不足に端を発した医療崩壊が夕張で起きた。07年、病床数が171あった市立総合病院はわずか19床の診療所に縮小された。 

 「夕張の医療を再生する切り札は、在宅医療だ」 

 この診療所を立て直すために来た医師の村上智彦(むらかみともひこ)(50)は、最初からそう確信していた。破綻前の市立病院には長期入院者が多く、経営を圧迫していたからだ。 

 彼らを自宅に帰さなければ診療所の経営はできない。 

 「でも」と村上は言う。 

 「問題はお金だけではない。高齢者にとって、長期入院は寝たきりになるなどの弊害が大きいんです」 

 退院をしぶる患者一人ひとりに対し、村上は「何かあればいつでも入院できるよ。自宅に僕が診察に行くから」と説得してまわった。同時に予防医療にも力を入れた。肺炎球菌ワクチンの効果を説き、胃がんの原因になるピロリ菌の尿検査を勧めた。肺炎や胃がんを防げば、医療費を減らせるからだ。 

 村上が打ち出した地域医療の3本柱はこうだ。 

 (1)まず住民自らが健康を保つ努力をする(2)病気になったら自宅で家族が看病する(3)家族の手に余る対応は医療と行政が担う――。いわゆる「夕張モデル」である。 

 「3者が互いに汗をかく関係があって初めて、在宅医療が可能になるんです」 

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 全国に例がない地域ぐるみの在宅医療に心ひかれて夕張を訪れる医師は少なくない。森田洋之(もりたひろゆき)(40)もその一人だ。 

 一橋大経済学部を出たが、医療経済と地域医療に興味を持ち、宮崎医大に入り直して医学を学んだ。 

 09年、村上の講演録を知人から渡された。「地域全体を考えながら診療している」と共感した森田はすぐに村上に連絡し、村上のもとで一緒に働くことを決めた。 

 1年後、森田は宮崎県延岡市の夜間急病センターに転職した。「在宅医療が普及していないところで夕張モデルを実践してみたい」。勇んで延岡へ向かった。 

 在宅診療専門の診療所を開こうと意気込む森田は、地元の医師会や関係者に会いに行った。だが、医師会の反応は「在宅診療? そんなことより、若いんだから当直のある県立病院で働けば」。市側も「『在宅医療を推進しろ』と国もいっている。いい考えだ」としながらも前向きに動こうとはしなかった。 

 破綻した夕張と違って、延岡には「地域医療を今変えなくては」という危機感や切迫感がないと森田は感じた。 

 「無関心」の壁に阻まれ、無力感にさいなまれている時、東大の公共政策大学院が医療政策を研究する会の参加者を公募しているのを知った。「一歩引いて、出直そう」。願書を出し、わずか1年で延岡を去って、夕張の村上のもとに戻った。 

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 森田は4月から、夕張での勤務を続けながら月に数回、東大に通っている。 

 研究テーマは「在宅医療の経済効果」だ。在宅医療をめぐっては「医療費を押し上げる」「安くなる」と両論がある。その一方で事実に基づいた研究がない。どちらが正しいか、数字で示せれば「無関心」の壁を突破できるのではないかと考えたのだ。 

 夕張で実践的に積み上げたデータを分析する森田は、夕張の高齢者一人あたりの医療費が、在宅医療を始めた07年から大きく減少し、全国平均の8割程度になったという中間結果にたどり着いた。 

 このデータを「武器」に、「新たな挑戦の地」を探したいと森田は考えている。 

 「夕張でできたことを日本全体に広げるには、もう一つぐらい成功している所が必要ですよね」(中村通子)