指定管理者の交代で地域医療再生へ

 指定管理者の交代で地域医療再生へ 

共立湊病院組合議員 山田直志

 

ⅰ 共立湊病院とは

共立湊病院は、伊豆半島の南端・南伊豆町にあります。一般病床数150床・感染症4床の賀茂医療圏の唯一の公立病院で、地域医療の中核病院と位置付けられる病院です。

この病院は、平成9年10月1日に国立湊病院の委譲を受けて下田市・賀茂郡の1市5町(当初は6町村)による一部事務組合の病院となりました。管理運営は、社団法人(当時)地域医療振興協会(以下=協会と言う)が担った公設民営の病院です。

ⅱ 地域医療振興協会の病院運営

開設時に、管理運営をどうするか大きな問題でした。大学病院の名前もあがっていたようですが、当時病院1か所と診療所2か所を運営していた協会と管理運営の契約を結ぶこととなりました。

この時も、病院組合議会では、「大きな病院を運営できるか?」「赤字になったらどうする?」「減価償却費の負担は?」などと意見が続出して、議員全員協議会(以下=全協と言う)が度々開催され、予算などの議決は難航の末、議決されました。

この時の契約は、①医業収入の全部を受託者に。②政策交付金、補助金の全額を受託者に。③公立病院の運営にかかる地方交付税算入額の7割を受託者に。④30万円を超える施設改修は組合。⑤100万円を超える医療機器の購入は組合。⑥赤字補填はしない。減価償却費相当は支払わない。主な内容は以上の6項目で、その後膨大な黒字の状況から協定を結び一部負担金を収め、地方交付税算入額も支払わないこととなっていました。

国立時代は、十分な医師の確保がされず数人の医師で大半の診療科目は閉店休業でした。

協会は、常勤医師13名を確保して病院運営に当たられました。

平成10年の入院と外来の患者数は、入院で44,375人、外来で88,197人でしたが、入院では平成16年度45,723人、外来は平成13年度116,724人と最高の利用実績を記録しました。

この頃には、『地域医療の奇跡』と言われたようですが、①国立時代には十分な医師の配置が行われていなかったこと、②人口8万人弱の医療圏に一般病院は湊病院しかない環境の中では、当然の実績なのかもしれません。  また、この利用者の85%以上は所在地の南伊豆町と隣接する下田市の患者さんでした。

しかし、その後は入院・外来とも患者さんの減少に歯止めがかかっていません。平成22年の実績は入院30,753人・外来62,975人と移行調整もあるが、開院直後の実績を大きく下回る利用状況である。

この状況を協会では、「病院が医療圏の端にある。人口減少の影響」と説明している。

一方、契約による運営では協会が一方的に利益を上げる枠組みであることが分かった。

平成10年度病院の税引前当期純利益は2億4,987万円、その後も3億1,644万円、2億7,364万円と大きな利益を上げ続けその後減少はしたが赤字を計上した平成18年度までは1億円を超える税引前当期純利益を計上し続けた。

 この間のお金の流れを見ると、病院組合は国や県の補助も受けて施設改修や医療機器購入などに約28億円を投じました。

湊病院は、法人税4億4,592万円余を納め、協会本部に7億6,1183200万円を上納等しながらも、繰り越し未処分利益は8億4,989万円余となっている。

 組合と組合議会でも、「減価償却費相当の負担を」の声が大きくなり、契約の更新時には負担の在り方がいつも議論されました。結果、平成15年度からは協会が5,000万円を負担することとなった。

ⅲ 公益法人理事長の撤退発言

組合では、平成15年度から、構成市・町の首長、議会、保健所、医師会と協会理事長・病院長で構成する新病院建設検討委員会を設置して新病院建設に取り組んできました。

この中で、コンサルタントに新病院の試算させたら、1床2,728万円で建設や医療機器購入などによって総事業費90億円となると推計された。

丁度この時期に、賀茂郡と下田市の市町村合併が浮上しており、新病院建設を合併の目玉事業にしようとする動きもあったが、離脱する町が続出して、合併も新病院構想も破たんした。

平成19年に新たな指定管理者契約を締結する交渉が行われた。組合では、一部負担金でなく、減価償却費相当額の負担を求めていた。平成20年2月6日、新たな指定管理者契約を協議する病院組合の運営会議(市・町の首長で構成)に、協会の吉新理事長が参加して、理事長は、一向に進まない新病院建設について、「医師の負担が大きい。人口減少などで現在地での経営は厳しいので、1年以内に下田市に新しい病院を建設する計画を決めてほしい。でなければ来年3月末で湊病院から撤退する。理事会の決定だ。」と発言した。

このことは、新聞やテレビを通じて、地域住民に知れ渡った。     

この事態を協議した全協で、ある議員は、「医師の心がない発言だ。」と怒りを露わにした。


ⅳ 第3者委員会を設けて進もう!

新病院建設の動きが鈍いことにはいくつかの理由があった。

管理者である南伊豆町長は、町民と再三病院の存続を決議する町議会の間に立たされ身動きが取れない状況にあった。各市町は財政状況が厳しく市町財政から病院組合への負担が増えることを警戒しており利用者も少ないことから様子見を続けていた。

一方、下田市と河津町は、下田市への移転は地域住民の利便性が良くなると言うことから建設の意向を強く主張していた。

しかし、協会からの新病院構想の提案もなく何も決めることがない状況にあった。

そんな中、6月17日下田文化会館で、青年会議所と天城会の共催による「共立湊病院の存続を考える!」と題した地元出身の長隆氏の講演会が行われた。新聞報道を通じて病院の行く末を心配する市民などが大勢押しかけ立ち見が出るほどでした。この時、市・町長だけでなく、私や伊藤議長、保坂副議長など組合議員も多数が参加した。

振り返ってみると、この講演会が湊病院の再生の第一歩となったように思われる。

私たちは、連絡を取り合い、将来構想調査特別委員会(以下=委員会と言う)に長氏を呼ぶ事や解決方向を模索し始めました。

7月8日に委員会に参考人として長氏を呼ぶ事を決ました。意見聴取後の委員会では、「利害が反する市町が入った会では結論が出ない。」「この際、医療の専門家に任せてみてはどうだろうか」と言う意見が出され、その方向に従うことも確認しながら「専門家による委員会を設置して検討すること」を管理者に提言することを全員で確認しました。

議会からの提言に、管理者の南伊豆町長や副管理者石井下田市長は理解を示したが、もう一人副管理者桜井河津町長などからは、長氏に対する疑念や独立行政法人の起債の保障など課題が出された。運営会議は、再三の協議の末に独立行政法人化はしない事を確認して、長隆氏をはじめとする共立湊病院改革推進委員会の設置に合意した。
 

ⅴ 改革推進委員会は何を決めたのか

委員には、長隆氏の他に、明石勝也氏(聖マリアンナ大学)、粟谷義樹氏(山形・酒田病院機構)、岩堀幸司氏(東京医科歯科大学大学院)、遠藤誠作氏(三春町)、亀田隆明氏(医療法人鉄焦会)、小出輝氏」(順天堂大学)、小山田惠氏(全国自治体病院協議会)と豪華な委員会でした。(敬称・役職は省略)

 委員会の答申は、①中核病院としての機能として、2次救急を担うこと。入院150床、外来手術機能充実。②建設地を下田市内の南高跡地として、建設方式は、設計・施工一括プロポーザル方式による建設。③指定管理者を公募によって選定することを求めた。

公募の条件は、①交付税の政策分を交付する。②利用料金制を採用する。③①を除き赤字補填は行わない。④減価償却費は徴収する。⑤常勤医師は10名以上確保する、でした。

組合は、12月13日の土曜日に運営会議と全協を相次いで開催して答申を基本方針として確認しました。

 その後に、当時の知事の意向を受けた企画部長と一部の首長は、協会と相談して作った県独自の計画案を示し、建設費や医療機器購入が安すぎると言って、公募やプロポーザルによる建設は困難ではとの意見を出してきた。また、議長や私は、県の出先である支援局長に呼ばれて、「協会に何かわだかまりでもあるのか?」と質問なども受けた。

組合では、答申に基づく計画案と県の計画案のシュミュレーションを行った。

県の案では、25億円の建設費と14億円を超える医療機器購入費に加えて、6年毎の医療機器の更新に数億円が見込まれ、市・町は21億円の手持ち資金の用意や毎年1~2億円程度の市町負担が避けられない案でした。これには県と一緒に答申に疑問を呈していた首長も支持の声を出すことは出来ず、市・町負担のない答申通りに進めることで解決し公募に進んだ。

指定管理者選考委員会(以下=選考委員会と言う)を設置して行われた公募には、2医療機関の申し込みがあった。意外にも協会は公募に応じては来なかった。協会の理事会は湊からの撤退を決定したとのことでした。

選考委員会は、指定管理者に「医療法人社団 聖勝会(以下=聖勝会と言う)」を選定したが、地元でクリニックを経営する法人であったために、一部の首長が「病院経営」「医師確保」などに疑問を出す事態が起きました。運営会議や全協でも厳しいやり取りが続きましたが、8月17日組合の臨時会は、新病院の指定管理者に聖勝会をする議案を賛成多数で議決しました。

移行準備を進めていた12月18日に、聖勝会は緊急の記者会見を行いました。聖勝会の理事長と代理人弁護士は、「医療機器購入などに妨害がある。一部町長の敵対的な姿勢」をあげて、指定管理者の辞退を組合に通告したことを表明しました。

組合議会では、急遽100条調査を行った。調査では、妨害行為と思われる事実は認められたが、証拠の適法性を検討した結果、告訴告発は見送ることとした。

ⅵ SMAで再出発を迎えた。

正副管理者は、協会の撤退期限まで1年2か月余りしかないことなどから、現在の指定管理者である協会に要請を行いましたが、「100条の調査中であること、市・町の首長と議会の意見集約がされていないこと」から正式な回答を保留されました。

協会には、新病院の建設に遅れが出てために「医療空白期間が生じる」ことから現行契約を延長することもお願いしましたが、「理事会で検討する」としたが、2か月待っても結論を頂けなませんでした。

その一方で、協会は同じ医療圏にある伊豆下田病院(60床)を買取り、自己資金で河津町今井浜に新病院を建設することが明らかになった。既に5月22日に新病院の起工式が行われた。2次救急までの医療を自前でやろうと言うことに感謝して良いのか、競合を危惧すべきか。この公益法人の計画は、人口が減少する地域で評価の難しい問題だ。

私は、公益法人でありながら、湊病院から膨大な利益をあげ続けた協会が、口頭ではあったが利益は地元に返すと約束したことを忘れていない。

新指定管理者は、保坂議員が知り合いの医師の紹介で知り合った杉原理事長が率いる社会医療法人ジャパンメディカルアライアンス(以下=JMAと言う)に何度となくお願いして、承諾を頂いた。正式には、昨年7月5日に臨時議会で議決を行い決定した。その後に、協会との契約が切れる23年4月からの指定管理者についても条件付きでお引き受け頂くことにもなった。

この間に、社会医療法人の要件についての指導などもあり、静岡メディカルアライアンス(以下=SMAと言う)を設立してからとなり、平成22年12月5日の臨時議会で空白を回避するための指定管理者の指定を議決した。引き継ぎまで4カ月を切っての対応でした。

共立湊病院は、23年4月1日にSMAの運営による病院として再出発しました。

短い準備期間や大半の職員が伊豆下田病院へ移動するなど厳しい条件の中ではありますが、私たちは「安心できる医療を提供するためにやってきました。」という杉原理事長のあいさつに象徴されるように,地域に希望の灯を燈す取り組みが始まっている。

ⅶ むすびに

 国立の委譲を受けて、病院経営が始まった。

 しかし、構成市町では提供される医療内容より赤字・負担ばかりに目が向けられた。

 医師の苦労や医療水準の低下も目に入らなかった。医療を担って頂いているという思いから、おかしいと思う契約も受け入れてきた。

 今回は、撤退発言などもあり地域医療の存続に管理者や議員が危機感を持ち、その在り方を真剣に追求する契機になった。

また、長氏が指摘するように建物にお金をかけ過ぎてはいけない。持続できる医療の提供。救急や産婦人科など公的病院の機能と市町の役割など答申に込められた先生方の思いを関係者で絶えず共有してきた。

逆流や妨害と思えるような動きは続いているが、管理者や議員・事務局もぶれることも諦めることもなく進んできた。

地域医療を守り、地域の再生をいう目標に向かって、今後も結束して進んでいきます。