岐路に立つ薬事行政: PMDAは改革されるか?



岐路に立つ薬事行政: PMDAは改革されるか? 
東京大学医科学研究所  先端医療社会コミュニケーションシステム 社会連携研究部門 上 昌広 
※今回の記事は村上龍氏が主宰する Japan Mail Media(JMM)で配信した文面を加筆修正しました。 
2010年2月20日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行   


【ドラッグラグと薬害克服】 
  薬は医療になくてはならないものです。近代医学の進歩は、新薬の開発と共にあったと言っても過言ではありません。 
  ところが、我が国の薬事業界は、大きな問題に直面しています。それは、薬害、ドラッグ・ラグです。今回は、この問題を解説させていただきます。 

【我が国の薬事行政は薬害の歴史】 
  薬害は、サリドマイド、キノホルムから始まり、薬害エイズ、薬害肝炎は社会問題となりました。多くの薬害事件では、被害者が救済されるためには、集団訴訟で国に賠償を請求せざるを得ませんでした。 
その訴訟を通じて、厚労省や製薬企業の隠蔽体質が明らかとなり、その度に薬事行政を担当する官僚組織が改革されてきました。我が国の薬事行政は、まさに薬害の歴史と言っても過言ではありません。 
   
例えば、薬害スモン事件をきっかけに、1979年に「医薬品副作用被害救済基金」が設立され、1987年には「医薬品副作用被害救済・研究振興調査機構」に改組されました。 
また、ソリブジン事件と薬害エイズ事件をきっかけに、1997年、国立医薬品食品衛生研究所の中に、「医薬品医療機器審査センター」が新設されます。 
医療機器については、1995年、医療機器センターが新設され、2004年、小泉政権の行革の一環として、この三つの組織が合併して、独立行政法人 医薬品医療機器総合機構(PMDA)となりました。 

このPMDAが、医薬品と医療機器の審査を行っています。 

【薬害肝炎委員会(寺野委員会)】 
  現在、PMDAの安全対策、つまり薬害対策のあり方が問われています。 
その舞台は、2007年の薬害肝炎訴訟の和解を受けて設けられた、「薬害肝炎事件の検証及び再発防止のための医薬品行政のあり方検討委員会」です。 
  
 この委員会は、舛添前厚労相が主導し、座長には寺野彰 獨協学園理事長が就任しました。 
寺野氏は、1966年東大医学部卒の内科医。弁護士資格も持ちます。 
在学中は、学生運動の闘士として名を馳せた、反権力の象徴です。 
舛添氏以外なら、彼を座長に起用することはなかったでしょう。 
世の中も変わったものです。多くの厚労省の委員会の座長は、厚労省が「支配」するナショナルセンターや国立病院機構のスタッフが就任することを考えれば、寺野人事のインパクトがご理解頂けるでしょう。 
  医療、司法、経営に通じた寺野氏が座長を務めたことが、この委員会の議論を深めました。 

【日本版FDA論争】 
  2008年3月、この委員会が発足した当初の厚労省の目標は、「日本版FDA」の設立、つまり独法であるPMDAを厚労省内の組織に戻すことでした。 
このため、寺野委員会では、当初、薬害肝炎の原因究明や再発防止などそっちのけで、PMDAを厚労省に戻すか否かが議論されました。 
   
当時、自公政権は天下り禁止を検討しており、PMDAを仕切る薬系技官たちは、ポジションの確保が急務でした。 
社会保険庁の解体が目前に迫っていたため、あわよくば、2009年度の予算案に浮いたポジションを分捕るための予算を盛り込みたいと考えていたのでしょう。 
一部の学者が主張していた「日本版FDA」に悪乗りし、2008年6月の中間取りまとめでは、PMDAを現行の独法で残す案と、厚労省が吸収する案の両案が盛り込まれました。 
  しかしながら、この企ては挫折します。官僚の意図を察知した舛添前厚労相や、民主党の医療政策をリードする仙谷氏が反対したのです。 
仙谷氏は、2008年7月16日の日経バイオテクノロジー河野修巳記者のインタビューで、「これまでの総括なしに、医薬品行政の組織をいじっても意味がない」と答え、反対を表明しました。この時点で「日本版FDA法案」が、民主党が多数を占める参議院を通過する可能性は消えました。 

【PMDA職員アンケート】 
  このような厚労省の態度は、やぶ蛇になりました。 
役人や御用学者の態度に業を煮やした、薬害被害者や弁護士たちを中心とする、心ある委員たちが、PMDAのプロパー審査官たちの「本音」を聞くための、アンケート調査を要求したのです。 
   
PMDAは、プロパー職員と霞ヶ関からの出向者の混成部隊。 
特徴的なのは、出向者の占める割合が高いことです。2009年11月現在、515人のスタッフのうち、119人が現役出向。幹部に限っては、41人中、33人です。 
   
PMDAのコアは専門知識を持つ審査官です。 
そして、審査官の多くは、大学薬学部や薬学系大学院を卒業したプロパー職員です。 
しかしながら、彼らは、キャリア組と同じ仕事をしても評価されず、幹部への昇進は稀です。 
今や、医薬品審査に疎いキャリア官僚が、専門家を支配する構造になっています。このため、プロパー職員の間には、不満が溜まっていました。 
  この不満が、アンケート調査で吹き出します。結果の一部は既に公表されていますが、「PMDAは本省の植民地」「厚労省から出向で来ている人に問題が多い」など、手厳しいコメントが並びます。 
   
官僚たちも無抵抗ではありません。 
寺野委員会に参加する御用学者を通じて、アンケート結果の公表を遅らせようと画策しました。 
  しかしながら、この動きもオピニオン誌「選択」2月号ですっぱ抜かれてしまいます。

また、ロハスメディカルも「何を恐れる?公開するかで再び悶着、PMDAアンケート」とのタイトルで、委員会の様子を解説しました。 
さらに、2月13日には週刊ダイヤモンドに「医薬品審査の実態公開めぐり 独法改革恐れる厚労省が猛反発」という記事が出ます。繰り返すメディア報道によって、その  舞台裏が、誰の目にも明らかになりました。 
  不都合な事実を隠蔽しようとする厚労官僚の姿には、薬害問題の本質を見る気がします。 

【患者の声が実現させた薬価維持特例】 
  薬害と並ぶ、もう一つの問題がドラッグ・ラグです。 
  昨年末の予算編成で、この問題に風穴が空きました。それは、薬価維持特例制度が認められたことです。 
  我が国では、薬価は政府が決定し、時間が経てば、薬の種類や評価にかかわらず、ほぼ一律に下げられます。 
ところが、この制度が導入されれば、画期的新薬の薬価は据え置かれ、高い薬価が続きます。 
この結果、新薬メーカーの開発インセンティブは高まり、ドラッグ・ラグの短縮が期待できます。 
   
しかしながら、この制度の導入は、古い薬(長期収載品)の値下げを伴うため、長期収載品が占める割合が高い中堅メーカーには不利です。 
高い確率で、製薬業界が再編します。 
このため、「護送船団」方式の製薬業界は、これまで価維持特例制度の導入に合意できませんでした。 
   
実は、今回の動きを主導したのは患者たちです。 
特に、卵巣がん患者の片木美穂氏、元白血病患者で、社会保障審議会の委員を務める大谷貴子氏は、各地で、この制度の導入の必要性を訴えました。 
  
 この制度の導入は、製薬業界では意見が割れても、患者の評価は「ドラッグ・ラグ解消に有用」で一致します。 
一方、「患者が薬価をあげろ」と言っているわけですから、厚労政務三役の政治コストは下がります。 
これまで、一部の製薬企業が要望しても動かなかった薬価維持特例が、あっけなく実現しました。 
 ところが、薬系技官は、ここでも抵抗しました。 

製薬企業が、薬価維持特例の扱いを受けたければ、厚労省が指定する薬剤の承認申請するように義務づけようとしたのです。 
巨額の費用が掛かる治験を要する薬剤も出てきます。製薬企業が承認申請しない薬剤は、それなりの理由があることが多いのですが、そのような背景には全く考慮せず、どさくさに紛れ権限を獲得しようとした感じです。 
製薬企業にとっては、「江戸の敵を長崎で討たれた」感じでしょう。 
これでは、薬価維持特例は骨抜きになるか、PMDAに「不要不急な」申請が殺到し、パンクしてしまうかの何れかです。結局、患者が泣きをみます。 
  実は、この件も患者と医療者の動きで盛り返しました。最近、国立がんセンターの理事長に内定した嘉山孝正氏は、中医協の場で、この問題を取り上げ、メディアが広く報道しました。さらに、前述の片木氏も、論陣を張りました。この結果、厚労省は、対応を変更せざるを得なくなり、落としどころを探っています。 

【押し寄せる事業仕分け】 
  ところで、民主党は、PMDA、さらに薬系技官を改革の対象と見なしています。 
例えば、長妻厚労大臣は、PMDAの改革について、「劇的にやらないとだめだ。最重要課題としてプランを立ててもらいたい」(毎日新聞 1・31)と述べています。 
また、4月以降、内閣府では仙谷大臣が主導して、独法の仕分けが行われる予定ですが、PMDA・薬系技官は当然、対象になるでしょう。 
  天下りを禁止された薬系技官にとり、多数の現役出向ポジションを持つPMDAは絶対に死守したい組織です。 
ところが、出向役人が「お荷物」であることが知れ渡れば、民主党が強権を発揮するのは避けられません。 
  厚労官僚の動きは、ちぐはぐです。 
まるで、患者の命よりも、組織や制度の維持にウェイトを置いているかのようです。 
そして、そのような動きが各種メディアを通じて、国民に筒抜けています。自分たちが置かれた状況など、まるで理解していないようです。 

【医薬品安全対策重視へ舵を切れるか?】 
  ところが、彼らにも一縷の望みがあります。それは、本気で薬害対策をすることです。医薬品の安全対策を徹底すると言い換えても構いません。 
   
薬害対策を本気でやれば、新薬審査より、遙かにお金がかかり、多数の専門家が必要になります。 
それは、昨今、話題になる薬害が数千人から数万人に一人生じるような、頻度の低いものばかりだからです。 
膨大な情報を収集する必要があり、現在のPMDAの規模では間に合いません。 
  ちなみに、このような低頻度の副作用は、承認申請目的の治験ではチェック出来ません。 
なぜなら、治験は数百人から千例程度で行うことが多く、稀な合併症は引っかかってこないからです。 
  薬害撲滅は、世界中の患者の願いです。 
このため、世界各国は、市販されている医薬品に発生する稀な副作用に対して、市販後調査を通じて、積極的に情報を集めようとしています。例えば、昨年、カナダで新型インフルエンザワクチンによるアナフィラキシーが報告されましたが、これはグラクソ・スミスクライン社の市販後調査の結果、わかったものです。大規模な市販後臨床試験には金がかかり、その費用を調達するために、製薬企業は再編し、巨大化し続けています。 
  昨今の世論を鑑みるに、薬害対策への資源投入に反対する国民は少ないでしょう。 
ところが、これまでPMDAでは、安全対策は日陰のポジションでした。 
花形は新薬審査です。新薬審査が「頑張りすぎた」ことが、ドラッグ・ラグを悪化させた側面すらあります。 
  舛添前厚労相が政治任用し、民主党からも信頼されているという、近藤達也理事長は、安全対策の重点化を訴えています。 
彼がリーダーシップを発揮し、PMDAの文化を変えることが出来るか。 
そして、彼を取り囲む現役出向理事たちが、どのような立ち位置をとるか。PMDAから目が離せません