テレビ放送情報「命めぐる対話"暗闇の世界"で生きられますか」



テレビ放送情報 「命めぐる対話 “暗闇の世界”で生きられますか 」 
放送日時:3月21日(日)21:00~21:49 
番組名:NHK総合テレビ『NHKスペシャル』 

 亀田総合病院広報誌『Kameda』で長年「1号からのメッセージ」と題してエッセイを寄稿して下さっていたALS患者の照川貞喜さん。 

照川さんがわずかに動く頬でパソコンを操作し綴った「意思疎通が出来なくなったら人工呼吸器を外してほしい」という要望書をめぐり、人間が生きるということはどういうことなのか。 
番組では照川さんの訴えに関心を抱いたノンフィクション作家の柳田邦男さんが、照川さんを訪ね、「いのちとは何か」を巡って半年にわたって対話を行った様子が放送されます。 



放送の内容に関する事例の記事↓ 

「人工呼吸器外し」の社会的議論が必要 - 亀田総合病院院長・亀田信介氏に聞く 

臨床倫理の妥当性を評価するフレームの構築が不可欠 

2008年12月11日 聞き手・橋本佳子(m3.com編集長) 

 「意思疎通ができなくなったら、人工呼吸器を外してほしい」。 
亀田総合病院(千葉県鴨川市)はこの10月、記者会見を開き、同院の倫理問題検討委員会が、このALS(筋萎縮性側索硬化症)患者の要望を尊重するよう、院長の亀田信介氏に提言したことを公表した。 

亀田氏は、「現行法では、人工呼吸器を外せば刑事責任を問われる可能性がある」とし、その上で「延命治療中止の是非などを検証するフレームが必要」と強調する。臨床倫理に関する社会的議論の必要性を指摘する亀田氏と、ALS患者の主治医である地域医療管理部長の小野沢滋氏に聞いた(2008年11月26日にインタビュー)。 


――先生がお考えになっている「延命治療中止の是非を検証するフレーム」とはどんな仕組みでしょうか。 

 亀田 一度付けた人工呼吸器を外すのが妥当かどうか、その答えを出すことは容易ではありません。第一の理由として、医学は常に進歩するため、その回答は時代とともに変化し得ることが挙げられます。 

 例えば、私が医師免許を取得した1982年当時、「死産」と「流産」の境は妊娠24週でした。その後、新生児医療の進歩に伴い、現在では妊娠22週になっています。 

 今回、当院の倫理問題検討委員会に諮られたのは、ALSの患者さんです。米国や日本でも国立身体障害者リハビリテーションセンターでは、筋肉が動かない状態であっても、脳波を基にコミュニケーションを図るツール、「Brain Computer Interface」(BCI)が実用化されつつあります。現時点の技術を基に「意思疎通ができなく 
なったら、人工呼吸器を外してほしい」と考えたとしても、技術が進歩すれば、患者の意向は変わる可能性があります。 

 また第二の理由として、個々の患者の考えは多様であることが挙げられます。患者本人の性格、家族構成、社会的背景、金銭的背景などにより、左右される部分が大きい。 

 したがって、今回のような臨床倫理が関係する問題に対しては、第一の理由と第二の理由、それぞれを踏まえて検討する二段階のフレームが必要だと考えています。医学の進歩の観点から治療の妥当性を専門的に検討する組織、また個々の患者が持つ様々な要因を踏まえて、延命治療中止の妥当性などを検討する組織です。 

 その際、重要なのは、これらの組織は、「プロセス」で定義することです。いったんルールを作成したら、容易には変更しないのが日本社会の欠点。そうではなく、技術の進歩、時代の変化を踏まえてフレキシブルに対応できる組織が必要です。 

 ――「プロセス」で定義するとは。  

 亀田 脳死判定と同様の考えで、「○○という条件を満たしたら、人工呼吸器を外しても可」などと「条件」を規定するのではなく、踏むべき手続き、プロセスを定めるということです。例えば、患者本人あるいは家族からの申し出を受け付ける窓口を作る。その後、医療者などから成る委員会で、患者や家族の意見を聞いたり、医学的な検討をする。一連の検討の過程は記録に残す。このように一定のプロセスを経て得られた結論は、オーソライズする。つまり、こうした組織に権限と法的根拠を与えるというフレームを作るというイメージです。 

 ――なぜ「条件」ではなく、「プロセス」で定義することが重要なのですか。  

 亀田 私は、人間には自己決定権が絶対にあると思っているからです。例えば、癌の末期になり、疼痛管理のためにモルヒネを使いたいと考える。「仮にモルヒネの使用でわずかでも死期が早まる可能性があっても、モルヒネで痛みを取ってほしい」と訴える人に、「No」と言えるでしょうか。 

 「条件」の議論は、この「No」と言える範囲、さらに言えば「生きる権利」「死ぬ権利」の議論であると言えます。しかし、これを決めることができるのは「神」だけではないでしょうか。「AやBの条件を満たしたら、人工呼吸器を外すことができる」などの議論をしていても、永遠に結論は出ません。しかも、「マイナス」を被る人が出てきます。 

 ――「マイナス」を被るというのは、どんな意味ですか。  

 亀田 先ほどもお話しましたが、あるべき「条件」は時代とともに変化するため、それに対応できなくなる可能性があります。また、仮に「A」「B」などの条件で決めた場合、本当にその条件に合致したのか、どのように検証するのでしょうか。 

 ――では、こうした組織はどこに置くべきだと思われますか。 

 亀田 様々な意見があると思いますが、行政に置くことだけはダメですね。保身に走りますから、時代の変化や個々人のニーズに対応できません。 


 ――現状ではこうした組織は存在しません。 

 小野沢 私は約16年前からALSの患者さんを診ています。幸い、私の場合、当院には倫理問題検討委員会があったので、そこに相談し、諮ることができました。しかし、多くの医師は、患者さんやその家族から「人工呼吸器を外してほしい」などと訴えられても、どこに相談すればいいか、その窓口がなく困っているのが現状ではないでしょうか。 

 この患者さんがALSを発症したのは1991年です。私が担当することになり、最初に患者さんを診察したのは、人工呼吸器を装着した後のことで、「外したくなったら、外せるんだよね」などと既にその頃から言われていました。 

 その後、現実味を帯びて「外したい」と言われるようになったのは、ここ2、3年のことでしょうか。次第に筋肉を動かせる場所が少なくなり、話すことも、まばたきもできなくなってきた。今は寝たきりで、頬をわずかに動かすことができるのを利用して、パソコンを使って意思疎通を図っています。それも難しくなった事態を想定して、「意思疎通ができなくなったら、人工呼吸器を外してほしい」と訴えられたわけです。 

 ただし、この患者さんは、仮に筋肉が動かなくなっても、BCIで意思疎通ができるようになれば、「人工呼吸器を外さなくてもいい」との意向も示しています。つまり、先ほど、亀田先生が指摘されたように、患者さんの考えは時代によって変わり得るのです。 


 ――倫理問題検討委員会ではどんな検討を行ったのでしょうか。 

 小野沢 委員会は当院内外の医師ら14人で構成しています。私もメンバーの一人です。この患者さんは2007年5月に要望書を提出しており、今年3月までに委員会で計3回議論しました。その間、患者さんのこれまでの経過を私が説明した上で、海外の事例を検討したり、刑法学者などに話をお聞きしたほか、熊本大の臨床倫理・教育・対話促進プロジェクト(同大大学院医学薬学研究部生命倫理学分野教授の浅井篤氏らが実施)にも、意見をお伺いしました。 

 慎重論も出ましたが、最終的には14人全員一致で、「患者の意思を尊重することは、倫理的に問題はない」との結論に至りました。ただし、(1)人工呼吸器を外した人は刑事訴追される可能性がある、(2)患者本人の意向や機器の発達を含めて、周囲の状況は変化する可能性があり、継続的に意思を確認する必要がある、などの意見も付けています。 

 亀田 今回の件について、誤解されている方がいるのですが、倫理問題検討委員会が「患者の意思を尊重する」としたのは、あくまで今回のALSの患者さんについての判断です。一般論化して、他のALSの患者さんにも当てはまるとしたわけではありません。 

 ――ところで、「人工呼吸器を外す」ことは議論になっても、「人工呼吸器を付けるかどうか」、その判断基準などについては議論されていないのが現状です。 

 亀田 その通りです。「人工呼吸器を外すかどうか」の問題と同時に、主治医によるDNR指示(Do not resuscitate;蘇生処置拒否指示)や、患者のリビングウィル(Living will)についても、その妥当性を検証するフレームが必要だと考えています。これらはすべて関連する話でもあります。 

 小野沢 実は、ALSの患者さんの中には、家族に迷惑がかかるなどの理由から、「人工呼吸器を付けない」という選択をする人が結構います。しかし、「人工呼吸器をいったん付けても、外すことができる」という選択肢があったら、「付けてみよう」と考える人もいるはずです。 

 亀田 人工呼吸器を「付けるか」「付けないか」、つまり「all or nothing」ではなく、その間の「いったん付けるが、外す」という選択肢があっていい。物事は一方向から見ていたらダメで、様々な角度から見る必要があります。そのためにも「条件」で縛るのではなく、一つひとつの症例について、丁寧に判断プロセスの妥当性を検証することが大事なのです。それを可能にする社会システムが必要です。 

 とかく「付けるか」「付けないか」、その善悪の議論になりがちですが、それは次の段階でしょう。プロセスの妥当性を担保し、リーズナブルな判断を重ねた上で、その結果得られた「結論」の善悪を検証するというステップで進めるべきではないでしょうか。