最先端医療都市・上海の富裕層が、わざわざ日本の医療を受けに来る理由



最先端医療都市・上海の富裕層が、わざわざ日本の医療を受けに来る理由
【第61回】ダイヤモンド オンライン 2010年10月22日 姫田小夏 [ジャーナリスト] 
  
今年の国慶節連休(10月1日~7日)の訪日ツアーは、尖閣問題をめぐりこれほど物議を醸したにもかかわらず、壊滅的な影響とまでは至らなかったようだ。 
メディカルツーリズム(医療観光)においても、日本の一部の受け入れ先からは「キャンセルもなく予定通り決行した」とのコメントもあり、日本の優れた医療技術に寄せる中国人の関心の高さを伺わせている。 

 2010年には9兆円規模の市場になるといわれるメディカルツーリズムだが、なぜ中国人は日本の医療にこれほどまでに注目しているのだろうか。 

中国でも「3分診療」が一部で常態化 
診察に疲弊する上海の医師たち 
「3時間待って診察は3分」――。上海市内の大病院を形容する言葉だ。 
誰もが診察の質に疑問を持つ。 
だが、3時間待ちならまだいい方だ。 

腫瘍の専門治療を受ける張民生さん(仮名、男性・74歳)は朝5時半から列に並んだ。 
付き添いで病院に来た実の娘は言う。 
「11時頃にようやく順番が回って来ますが、診察はあっという間に終わってしまう。全国から患者が集まってくるから仕方がないのですが」 

 上海市の病院は大きく三級、二級、一級病院に分類される。 
一級病院はいわゆる“町のお医者さん”、二級は区立の総合病院、三級は国立病院に相当する(つまり三級がランクとしては最高位となる)。 
市民は「単なる風邪」でも三級の大病院に駆けつける傾向が強く、一日数千人の患者が殺到する。 

 その三級病院を辞めた中国人医師がいる。 
李月華さん(仮名、女性・50歳)は、その理由を「毎日80人近くを診察しなければならない、正直これに疲れました」と打ち明ける。 
彼女は今、「患者との対話」を大切にした診療を求め、市内の民間の病院で働いている。 

 最先端医療では中国でも群を抜く上海市、その医療環境や技術は日進月歩だ。 
医師も日々、限界に近い数の診察をこなすことで経験を蓄え、外科医ともなれば、日本人医師を上回る腕前の持ち主もいる。 

 医療設備も日本よりも最新のものが揃う。 
例えば、上海市の三級病院として知られる華山病院では、ほぼ3年に1回の割合で最新設備を入れ替えるといわれている。 
入院施設も充実し、病室を「党幹部」「外国人向け」「一般富裕層向け」と分け、それぞれのクラスに適した“サービス”を提供している。 
清潔さはもちろん、病室の豪華さや食事の内容も充実、医療設備や受け入れ環境としてはかなりの高水準に達するようになった。 

 施設も増えている。 
昨今、中国では「検診ブーム」だ。上海市長寧区でもすでに台湾資本、シンガポール資本が検診専門の医療機関を開設した。 
昨今ではこうした「検診」は「年に一度の贈り物」という側面をも持ち、贈り主が費用負担をしての“盆暮れの付け届け”に使われるケースもあるという。 

中国の病院になく、 
日本の病院にはあるものとは 
 これほどまでに発達した上海の医療現場だが、なぜ中国人は日本で検診を受けたいと思うのだろうか。 

もちろん日本には、上海にもない高度な先端医療が存在し、がんの早期発見法として注目されるPET検査や、陽子線や重粒子線を使ったがん治療が注目されていることは確かだ。 

 だが、答えはそれだけではない。中国人富裕層が期待するのは日本人の「ホスピタリティ」なのである。 

 日本のある医療関係者はこう話す。 
「日本の優れた医療技術やシステムを見たいと中国人医師が日本の病院を訪れますが、そこで彼らが驚くのは技術よりも患者さんへの対応なのです」 

 日本の病院では注射1本でも看護師は患者に常に声を掛ける。「ごめんね、チクッとしますからね、でもすぐ終わりますから」――。 
医師も同じように対応する。中国人からすれば、とても信じられない現象なのだ。 
患者の恐怖や痛みを取り除こうという医療スタッフ側のあり方、あるいは“人としての道”という観念を、少なくとも中国の大病院でも求めることは難しい。 

 実際に総合南東北病院(福島県郡山市)でPET検査を受けて帰国した王偉さん(仮名、男性・50歳代)はこう指摘する。 
「上海の医療技術は確かに設備、技術ともに充実していますが、それを見る医師に気持ちというものがこもっていません。 
中国の医師には知識やテクニックも備わっていますが、万事において“お粗末”なのです」

 王さんは今回のPET検査に20万円を支払ったという。上海での検査に比べれば倍の値段だが、「その価値は十分ある」とコメントする。また、横浜市立大学医学部形成外科で経験を積み、上海で開業した医師の盛虹明氏はこう加える。 
「すべてを手に入れた富裕層が今最も敏感なのが自分の健康。 
日本の設備、技術、診断力に大きな関心を持ち、日本そのものを『医療大国』と受け止めています」 

中国人患者を受け入れる 
リスクはないのか 
 日本のお家芸でもある「ホスピタリティ」が日本の医療に付加価値を添える。早晩、医療滞在ビザが創設されれば「訪日治療」に追い風も吹くだろう。 
だが、リスクもある。 

 ある中国人医師は、簡単に訴訟に持ち込む中国人の気質を危惧する。 
「中国人は日本の患者のようにおとなしくはありません。 
医師の話を素直に聞き入れない傾向があります。 
中国人同士でもトラブルはしょっちゅう、ましてや通訳を介在させるとなると、誰が責任を取るのかは必ず問題になってきます」 

 賠償金を目当てに大騒ぎをする患者もいるという。「さまざまな手段を使って病院側を困らせます」と同医師は続ける。大病院には「騒ぐ患者」専門の対策本部と専門の部屋が設けられているほどだ。 

 そうは言っても現実には中国の患者は国境を越え始めている。検診だけではない。 
実際の治療でもすでにその動きは始まっている。 

「娘や息子が日本にいれば、親を中国から呼び寄せて日本で治療を受けさせたいというのは自然な感情です」と語るのは中国で開業する眼科医師。 
日本に縁のある家族や親戚を頼りにして日本で治療をする傾向が散見されるという。 

一過性のブームに終わらせず 
国境を越えた継続的な治療も視野に 
 その眼科治療においても「日本で手術、上海でフォロー」という体制が出来上がりつつある。東京の眼科医が複数名の中国人の白内障手術を行ったことをきっかけに、その後のフォローを引き受けた前出の眼科医とともに、今、双方で受け入れ態勢の整備を始めているのだ。目下、東京の眼科医では、中国語版ホームページの制作を手がけている最中で、患者との間にトラブルを防止するためのシステムも構築中だ。 

 一方、「日本で手術、上海でフォロー」という動きには、10万人はいるだろうと言われる上海の日本人駐在員にも朗報をもたらす。 

「一時帰国中の限られた時間の中で専門医を探すのは困難。カルテも共有されていない状況だと、自分で説明するのも一苦労」と上海に駐在する日本人が話すように、国境を越えると同時に、診療もまた一度リセットされてしまうのが常だった。 

 上海の医療現場では、こうした「国境や地域を越える患者」のサポート体制も構築されつつある。上海市のある二級病院では、クラウドコンピューティングを駆使した電子カルテの開発に取り組んでいる。あるページをクリックすると世界地図の上に都市名が出てくるのだが、いずれここに患者名が網羅される設計だ。 

 ビジネスや移住などを理由に移動性を高める中国人、国際都市上海でますます多国籍化する患者と国境を越えた移動……、患者の転居、転勤、帰国などをいかにフォローするかは上海の医療機関における共通の課題だ。 

 この秋、ある日本企業が中国からのメディカルツアーを受け入れた。同社幹部はこう語る。「メディカルツーリズムがあろうとなかろうと、中国人は日本に検診や治療に来る。その流れは止められません」。その先には「患者の行き先についていく医療」が構築されようとしている。メディカルツーリズムの枠を超えた、医療における新しい時代が見えてきている