福島孝徳記念病院 亀田総合病院 経産省、観光庁も外国人受け入れに本腰へ

目下、発展途上! 
外国人患者を受け入れる日本の病院( 週刊朝日 2010年2月19日号) 
  

メディカルツーリズム 最終回 日本編 
  
「世界標準」めざす福島孝徳記念病院、亀田総合病院 経産省、観光庁も外国人受け入れに本腰へ 
  
国境を越えて治療を受ける「メディカルツーリズム(医療観光)」。アジア諸国に大きく後れをとった日本だが、少しずつ扉が開かれつつある。シリーズ最終回では、発展途上にある日本の動きをリポートする。 
トラベルライター岩瀬幸代 
  
  
◆「ラストホープ」の手術を求めて 

 頭に包帯を巻いたイタリア人の若者が、不自由な足を引きずりながらリハビリ室から出てきた。私の姿に気づくと、彼は気さくな表情で手を差し出した。 
  
 ここは、日本の病院だ。しかも、東京駅から特急で約1時間、外房線の茂原駅からタクシーで約20分という千葉県長柄町。この若者はなぜ、はるばるイタリアから日本の病院にやってきたのだろうか。 
  
 実は、この病院の名称は「塩田病院附属福島孝徳記念病院」。「ラストホープ(最後の切り札)」と呼ばれる世界的な脳外科医・福島孝徳医師を最高顧問に迎え、世界最高水準の脳疾患治療を提供しようと07年に設立された。 
  
 米国デューク大学脳外科教授などを務める福島医師は、救いを求める患者を手術するため、米国、日本をはじめ、世界各国の病院を飛び回っている。 
千葉の同院にも月に2日ほど滞在し、指導と手術にあたっている。 
  
 イタリアの若者、レオナルド・パッイーさん(23歳)も、救いを求めてやってきた患者の一人だ。 
レオナルドさんを襲ったのは「星細胞腫(せいさいぼうしゅ)」という脳腫瘍。命が脅かされ、半身まひや感覚障害、目の運動障害などにも悩まされていた。 
この病気自体はさほど珍しくはないが、問題は「中脳」という頭の奥の非常に危険な場所に腫瘍ができていたことだった。 
  
 「とてもむずかしいので、イタリアの担当医に『私では手術できない』と言われました。 
福島医師のことは、兄がインターネットで見つけて教えてくれました。 
担当医も福島医師と面識があり、日本で手術することをすすめてくれました」(レオナルドさん) 
  
  
治療費が10倍に 米国と日本の差 
  
 もうひとつの問題は、治療を受けるのに必要な費用だった。レオナルドさんが住むトスカーーナ州の村から支援の輪が広がり、地元紙、テレビ、インターネットを通じて、約10万ユーロ(日本円で約1240万円)の募金が集まった。そのお金で治療費、20日間の入院費、渡航費、同行した家族3人の滞在費、通訳料などをまかなった。 
  
 今年1月3日に来日したレオナルドさんは、3日後の6日に福島医師の手術を受けた。11時間の難手術となったが、腫瘍の7割前後は切除できたという。 
  
 「目が覚めたとき、山を歩けるぐらいに治っていればと願ったのですが、残念ながらかないませんでした。 
もちろん、事前に『完全にはよくならない』と聞いていたので、結果には満足しています。 
同じような病気に苦しんでいる人には、手術は無理だと言われても、あきらめずに医師を探してと言いたいです」 
  
 北原功雄院長によると、07年に開院してから昨年12月までに受け入れた外国人患者は84人。そのうち25人が海外から来院したという。 
  
 前号で紹介したタイの病院で聞いた、何千、何万という数に比べれば、外国人患者ははるかに少ない。 
だが、福島医師を頼って、アメリカ、インド、パキスタン、ウクライナ、イギリス、台湾などから、海を越えて患者が来ているのは事実だ。 
  
 福島医師は米国に拠点を構えている。にもかかわらず、ある米国人の患者はわざわざ日本にやってきて、福島医師の手術を受けたという。 
「母国だと治療費が日本の10倍かかる」というのがその理由。公的な医療保険が整備されていない国ならではの、なんとも皮肉な話だ。 
  
 福島医師のような名医の治療を受けたいという外国人患者は大勢いるだろう。だが、国内にも福島医師の手術を待っている患者はたくさんいる。 
多くの外国人患者を受け入れるようになったとき、私たちはどう考えればいいのだろうか。福島医師を師匠と尊敬する北原院長はこう言う。 
  
「病気になれば、だれもが最高の医療を受けたいと思うのではないでしょうか。病の苦しみは、日本人も外国人も同じです。手術の順番は、病気の切迫性で決めます」 
  
 千葉の田舎町の病院が、世界中から患者が集まる国際的な医療センターとなる日が来るかもしれない。 
  
  
◆海外を視野に国際認証を獲得 
  
 同じ千葉県に「世界標準」をめざす病院がもうひとつある。亀田総合病院だ。関東の人には水族館の「鴨川シーワールド」でおなじみの鴨川市。同じ海沿いに立地する同院を訪ねた。 
  
 同院の病棟"Kタワー"13階にあるレストラン「亀楽亭」からは、南房総の海が一望できる。病室も、まるでリゾートホテルのよう 
だ。 
ベッドサイドの端末で自分の電子カルテにアクセスできるだけでなく、レストランにルームサービスを注文することもできる。 
うわさには関いていたが、日本の病院には珍しい充実した設備と環境に驚いた。 
  
 実は、同院にはすでに、年間約200人(健診含まず)の外国人患者が訪れている。特命副院長のジョン・C・ウオーカーさんは言う。 
  
 「こうした設備は、アメリカの病院ではスタンダードなんです」 
  
 外国人患者が増えたのは02年に国際関係部を設けてから。この部署では、外国人患者のために治療の説明や保険申請の代行をしている。 
以来、外国人患者は毎年2倍ずつ増えていった。ただし、その約9割は在日米軍の家族など、日本に暮らしている人たちだそうだ。 
  
 しかし、同院の目はすでに、海外に向いている。ウォーカーさんの名刺には、ゴールドメダルのようなマークが輝いていた。 
  
「昨年8月、日本の病院で初めてJCIの認証を受けました。これをとるの、天変だったんですよ」 
  
 と、誇らしげだ。 
  
 「JCI」(国際病院評価機構)とは、米国の国際的な医療評価機関のこと。09年9月現在、世界36カ国264病院が認証されており、海外で治療を受けることが多いアメリカ人にとって、JCIの認証を受けているかどうかは、病院選びの最低条件になっている。 
  
 タイの病院では、1階フロアの目立つところに、この認証マークが掲げてあるのを何度か見かけた。韓国の病院でも、「JCIの認証をめざしている」という話をたびたび聞いた。やはり、JCIを取得しているかどうかで、訪れる外国人患者の数が違うらしい。 
  
 ただし、その審査は甘くないようだ。医療安全、感染管理、職員の資格確認、組織のリーダーシップなど350の評価基準にパスする必要があり、さらに3年ごとに再評価がある。亀田総合病院も認証を受けるのに1年以上かけて準備したという。ウォーカーさんは言う。 
  
「JCI取得の第一目的は医療の質と安全性の向上のため。日本の病院も、JCIの取得をめざすべきです」 
  
 ただ、JCIを取得したからといって、日本の病院に来る外国人患者が、すぐに増えるというわけでもない。日本には、さまざまな「規制」の壁が立ちはだかっているからだ。そのひとつが広告だ。医療機関は広告できる内容が制限されているので、ホームページなどで海外患者向けの宣伝をするのがむずかしい。 
  
 もうひとつは入国審査。日本には医療用ビザがない。以前、日本での脊椎手術を希望するインド人患者が同院にアプローチをしてきた。 
病院として受け入れの準備を整えたが、申請から1カ月たっても、日本政府がビザを発給しなかった。 
このため、その患者は泣く泣く来日をあきらめたという。ウォーカーさんが嘆く。 
  
「日本の医療技術は高く、しかも衛生的で、テロなどの危険性も低いので、タイやインドの病院より、外国人患者を呼べるはずなんですが……」 
  
  
◆超豪華健診ツアーを受ける中国人 
  
 100万円以上する健診ツアーが売れているという。しかも、ツアーに参加しているのは中国人だ。 
  
 日本の医療を目的に訪れているのは、重い病気に苦しむ人たちだけではない。 
がんのPET(陽電子放射断層撮影)検診を含む人間ドックと、日本の観光をセットにしたツアーが中国人に人気なのだという。 
  
 このツアーは日本旅行が中国の現地業者と共同で手がけるもので、昨年3月の販売開始から12月末まで15組36人が参加した。 
  
 大阪市にある医療法人聖授会で人間ドックを受けた後、観光はオーダーメード。 
東京だろうが、札幌だろうが、参加者の行きたいところに行けるよう手配する。 
  
 中国人で、こんなに高い料金を払えるのは、いったいどんな人たちなのだろう。 
日本旅行国際旅行事業部アジア・オセアニア担当部長の青木志郎さんはこう話す。 
  
「われわれが想像していた以上の超富裕層です。ホテルのデラックスルームや箱根の隠れ家的な宿に泊まり、移動はリムジン、食事は三つ星レストラン。 
健診を受けたことを知られたくない人が多いので、中国人同士が重ならないようにスケジュールを組んでいます」 
  
 PETやCT(コンピューター断層撮影)などの医療機器自体は中国にもある。 
しかし、日本の人間ドックは本国より精度の高い診断ができると、中国で評判になっているそうだ。 
  
 昨年、このツアーのことが日本の新聞やテレビで紹介された。すると日本旅行には、外国人を呼び込みたい医療機関や地方自治体などから、たくさんの問い合わせが入った。同社も「反響の多さに驚いた」という。 
  
 病気が見つかったら、当然、治療ということになる。健診ツアーだけでもこれだけの引き合いがあるのだから、次は本格的にメディカルツーリズムに進出か。と思いきや、日本の旅行業界は慎重なようだ。 
  
「治療となると、なにかトラブルが起こったときに、旅行会社として対処するのはむずかしいかもしれません。私たちが扱う範囲を超えていると思うので、今は考えづらいですね」(青木さん) 
  

◆「医療観光」で患者を呼び、外貨を稼げ 
  
 アジアで起こっている国際的な患者獲得競争を見て、日本の政府も重い腰を上げ始めた。 
  
 経済産業省は今年度中に、中国人とロシア人の計20人に日本で健診を受けてもらい、問題点を洗い出す実証調査を行う計画だ。同省商務情報政策局サービス産業課の長谷川裕也・課長補佐はこう話す。 
  
「日本の国民医療費は現在34兆円。国費と患者の負担が医療費の原資となっていますが、このまま医療費が上がれば国民負担はさらに増えてしまいます。それなら原資を国外で稼ぐ部分があってもいいのではないか、という着想が原点にありました。他国のメディカルツーリズムの成功は刺激にはなっています」 
  

「文化の違い」が海越える理由に 
  
 経産省に続いて観光庁も「医療観光」に関する研究会を立ち上げ、今年度中にアンケートとヒアリングで、訪日外国人患者の調査を実施する。 
こちらは「訪日外国人2千万人実現」のための施策という位置づけだ。 
  
 政府だけでなく、民間にもメディカルツーリズムの扉を開こうという動きがある。 
外国人患者の受け入れや、日本人が外国で治療を受けるコーディネートをする「メディカルツアー・インターナショナル」代表取締役の藤本和法さんだ。 
  
 実は、藤本さん、長野県の病院で救急医療に携わるお医者さんでもある。 
  
 藤本さんがメディカルツーリズムに関心をもったのは、06年にアラブ首長国連邦のドパイを訪れたのがきっかけだった。 
当時、好景気に沸くドパイには、商社やメーカーの日本人駐在員が多かった。 
  
「クリニックを開けば、日本人患者だけでなく現地の患者も集まるよ」 
  
 現地の医師に言われた藤本さんは一念発起、08年にドパイの医師免許を取得。 
だが、いざクリニックを開こうとしても、日本の銀行がお金を貸してくれない。 
  
「だったら逆に、海外の患者さんを日本に呼んでみればいいじゃないか、と思い始めたのです」 
  
 現実的に、心臓手術などを受けに、タイ、シンガポール、ドイツなどに渡る中東の患者は多い。 
藤本さんは、心臓病や乳がんの患者は日本に呼べると見る。 
  
「中東の人も、心臓はなるべく手術ではなく、カテーテルで治療したいと思っています。 
また、宗教上の理由で、男性が女性の乳房を見るのはタブーなので、現地には乳がんを診療できる医師が非常に少ないのです」 
  
 文化の違いが、海を越えて医療を受ける動機をつくるとは、意外だった。 
  
 果たして日本にも、メディカルツーリズムの文化が根付くのだろうか。 
日本の医療は鎖国状態だが、それが、国民だれもが平等に一定の医療を受けられる環境を守ることにつながっている面も否定できない。 
  
 だが、他の産業と同様に医療のグローバル化か進んだとき、日本の医療が設備やサービスも含め、より高い水準に引き上げられはしないか、それは淡い期待にすぎないのか--国の外から医療を見ることの重要性に気づかされた旅だった。