急成長する医療ツーリズム市場 

 

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急成長する医療ツーリズム市場 2010.09.21 毎日新聞 〔エコノミストリポート〕      

国境を越える受診 急成長する医療ツーリズム市場 医療のグローバル化が進んでいる。 

2012年には1000億ドル市場と予想される医療ツーリズム。アジア各国が先行しているが、日本でも外国人患者の受け入れを進める方向に進んでいる。 

うえむら かよ 
植村 佳代 
(日本政策投資銀行産業調査部副調査役) 

国境を越え、国外の病院を受診する患者が増加している。 
医療を受ける目的で他の国へ渡航することを意味する「医療ツーリズム(メディカル・ツーリズム)」は、世界約50カ国で実施されており、2008年には年間約600万人の医療ツーリストが国外へ渡航している。 

海外で受診する理由 

 では、なぜ国境を越えて患者が移動するのだろうか。 
  
医療ツーリストの渡航目的をみると、医療の提供体制が整っていない国から、「最先端の医療技術」や「より良い品質の医療」を求めて先進国へ患者が移動するケースが約7割を占めている。 

こうした先進国へ向かう患者の流れは、以前からあったが、現在は先進国から新興国へ向かう新たな流れが加わっている。 
 その目的は、医療ツーリストの居住国における医療事情によって異なっている。 

例えばイギリスやカナダでは、治療を受けるまで時間がかかるため、「待機時間の解消」を目的として渡航する場合が多い。 

一方、米国では多数の無保険者がいることに加え、雇用者側が医療保険の負担軽減のため、従業員に対して医療費の低い国外での治療を推奨しており、「低コストの医療」を求めて渡航するケースが目立つ。 
  
また、近年、医療ツーリストが増加している背景には、インターネットの普及や国際交通網の発達がある。 
特にインターネットの普及は、これまで容易に得ることができなかった世界各国の医療機関の情報に瞬時にアクセスすることを可能とした。 
医療ツーリストを受け入れている病院の多くは、多言語に対応したホームページを持ち、手術などの価格情報を開示しているほか、診察・治療の申し込みもホームページ上で受け付けている。 
  
さらに、国を挙げての取り組みが活発化していることも、医療ツーリズム市場の拡大を後押ししている。 
アジア各国では、02年頃から、外貨獲得や内需拡大を目的に、国策として積極的に医療ツーリズム推進に向けた取り組みを開始している。国の後押しもあり、現在では、医療ツーリストの渡航先として、アジアが目的地となっている割合が高い(表1)。 
  
こうした動きを背景として、国外へ渡航する患者は増加を続けており、世界の医療ツーリズムの市場規模は06年の600億ドル(約5・0兆円)から、米コンサルタント会社のマッキンゼー&カンパニーによれば12年には1000億ドル(約8・4兆円)へ拡大する見込みである。 

受け入れ進むタイ、韓国 

 アジア地域の主要国には、近隣アジア諸国から品質の高い医療を求めて渡航するツーリストや、低コストの医療などを求める米国などからのツーリストなど、概ね年間300万人(07年)の医療ツーリストが訪れ、医療ツーリズムの一大拠点となりつつある 
  
国策としてのプロモーション活動や制度改革といった後押しがあったことに加え、アジアでは営利企業として経営を行っている民間病院が多く、病院側にも新たな収益源として医療ツーリズムに積極的に取り組むインセンティブが強くあった。 
  
例えば、タイでは、10以上の民間病院が株式上場しており、病院は営利企業として経営を行っている。また、シンガポールでは、1990年代に公立病院が民営化され、株式会社として運営されている。 
  
これらの病院のなかには、世界各地に進出し、医療サービスを提供している病院もある。 
  
株式会社として運営されているタイのバムルンラード国際病院(バンコク、80年設立、病床数554床、職員数2900人)は、東南アジア最大の私立病院であり、年間100万人以上の患者を受け入れている。 
そして、そのうちの43万人が世界各国から訪れる医療ツーリストである。医療ツーリストからの問い合わせは、毎日500~1000件に上るという。 
  
病院施設は、高い吹き抜けのロビーや6カ国の料理を提供するレストラン、ショッピング施設などがあり、ホテルのような造りになっている。 
さらに、院内にはイスラム教の礼拝室のほか、ビザ延長や観光案内を請け負う施設もある。
病院の受付は言語ごとに整備され、10言語程度に対応が可能な通訳が100人以上常駐している。 
また、病院のそばには同伴した家族向けに長期滞在用のマンションも併設している。 
  
同じくタイにあるバンコク病院(バンコク、72年設立、病床数500床、職員数2200人)は、年間20万人の医療ツーリストを受け入れているが、それに加えて、20人程度のマーケット担当者が世界各地で医療ツーリストの誘致活動を積極的に行っている。 

このようにタイでは、観光資源が豊富で、滞在費も安く、語学対応も十分で、アメニティの高い病院が多いことなどから、受け入れ数が他のアジア諸国を大きく上回っている。 
  
また、近年、韓国では、医療ツーリストの受け入れに積極的に取り組んでいる。 
09年には、医療技術をPRするため、「メディカル・コリア」を標榜し、医療先進国のイメージを確立させて、13年までに20万人の受け入れを目標として掲げた。 
 食べ物や宿泊、宗教など異文化に対応した病院施設の拡大に加え、24時間、5カ国語に対応したコールセンターの設置なども実施しているほか、都市部のみならず、地方における受け入れ体制の支援も進めている。 
  
例えば、韓国国内で初めて西洋式の医療を取り入れた延世大学医療院(ソウル、1885年設立、病床数2076床、職員数8000人)では、年間100人程度の医療ツーリストを受け入れている。 
外国人専用の国際診療所を設け、英語、日本語、中国語など、多様な言語を使いこなせる医師や看護師が常時待機し、それぞれの文化に合った食事を用意するなど、受け入れ体制の整備に取り組んでいる。 
  
また、医師が遠隔操作によりロボットアームに取り付けられた内視鏡や手術器具を操作するロボット手術を韓国で初めて導入しており、ロボット手術件数のうち約15%を外国人患者が占めるなど、最先端の医療技術を導入することで、積極的に誘致している。 


世界で進む 新たな医療拠点整備  医療ツーリストの受け入れ拡大も視野に入れ、アジアなどでは新たな医療拠点の整備が進みつつある。 
  
例えば、ドバイでは、中東の先端医療センターを目指した「ヘルスケア・シティ」に、世界各国から最先端医療を集積させており、ボストン大学やハーバード大学の医学部なども進出している。 
  
韓国の済州島では北東アジアの医療ツーリズムの受け入れ拠点を目指した「ヘルスケアタウン」を建設中である。 
ヘルスケアタウンは、国際自由都市として特区指定を受け、韓国で初めて外国法人の営利病院の開設が許可されたほか、外国人医療関係者(医師、看護師、医療技師)の従事認定や医療法人の付帯事業の範囲を広げるといった規制緩和が実施された。 
  
また、中国・北京市では、病院(3000床)、国際老人ホーム(1万2000床)、研究機関などを集め、医療の国際化に対応するアジア最大級の医療施設「燕達国際健康城」が今年オープンする。 
  
米国にはUPMC(ピッツバーグ大学医療センター、ペンシルベニア州)やTMC(テキサス医療センター、テキサス州)、メイヨー・クリニック(アリゾナ州)など、医療ツーリストを受け入れる医療産業集積地があり、各地では年間数万人程度を受け入れている。このような医療産業集積地を中心として、最先端の医療技術を求めて、年間40万人以上(08年)の医療ツーリストが米国に渡航している。 
  

日本では、今年6月に観光庁が外国人を対象に空港で実施したアンケートによると、医療を目的として来日した外国人は全体の約0・1%であった。 
わが国の訪日外国人数は年間概ね800万人であり、この調査結果をもとにして、わが国を訪れている医療ツーリスト数を推定すると8000人程度となる。 

日本の潜在市場規模 
5500億円 
 現時点では、わが国において、医療ツーリスト受け入れのための組織的な活動や体制整備を行っている医療機関は限定的である。 
一部の医療機関を除けば、海外の患者が口コミなどを通じて独自に入手した情報を頼りに、患者自身がわが国の医療機関に直接アクセスすることで受け入れが実現しているケースが多いと考えられる。 
 従って、現状では、少人数の医療ツーリストを受け入れている医療機関が全国に点在するような状況であり、1つの医療機関で数十万人を受け入れているタイなどとは規模が大きく異なっている。 
  
一方で、09年度には、健康診断を中心に国内の9医療機関で、中国・ロシアなどの富裕層をターゲットとした医療ツーリスト24人を受け入れる実証実験が行われるなど、関係各省庁も取り組みを開始している。 
  

6月に閣議決定された政府の「新成長戦略」でも、「国際医療交流」(外国人患者の受け入れ)を進める方針が盛り込まれている。 
具体的な取り組みとして、医療滞在ビザの設置や、外国人患者の受け入れに役立つ医療機関認証制度の整備、医療言語人材の育成、医療ツーリストの受け入れを支援する新会社設立などが予定されており、12年度から本格的に受け入れを開始するとしている。 
  
このような政策方針が示されたことで、国内の医療機関や地方自治体において医療ツーリズムに対する関心が高まっており、積極的に医療ツーリストを受け入れようとする試みが増えつつある。 
  
わが国における医療ツーリズムに対する潜在的な需要としては、 
(1)より良い品質の健診・検診を求める新興国富裕層、 
(2)最先端の医療技術を求める世界の患者、 
(3)低コストの医療を求める米国など先進国の患者――などが想定される。 
このような潜在需要を、一定の仮定を置いて試算すると、わが国に渡航する医療ツーリストは、2020年時点で年間43万人程度あるとみられ、医療ツーリズム(観光を含む)市場の規模は約5500億円に拡大し、経済波及効果は約2800億円に上るだろう。 
  
ただし、実際に潜在需要を取り込むためには、さまざまな分野での受け入れ体制の整備が前提となる。 
に、医療機関を中心に異文化・多言語への対応を図ることが重要かつ必要不可欠な条件である。 
さらに、これらの条件が整い、受け入れが進展した場合にも、国内の勤務医不足の問題と整合性を取るといったことも課題になるであろう。 
 医療ツーリストの受け入れが進展すれば、わが国経済の発展に寄与するだけでなく、医療費の抑制傾向が続き、赤字経営を余儀なくされている国内の医療機関にとっても、検査機器の稼働率向上や保険外収入の増加による経営改善が期待できる。 
  
また、医療機関と自治体の連携による医療産業集積の形成は、医療ツーリストの呼び込みだけでなく、地域経済の活性化やわれわれ国民が受ける医療技術の向上につながる。一方で、受診難を懸念する声が高まる可能性もあり、われわれが受ける医療が阻害されない仕組み作りを行うことも必要となるだろう。 
  
医療ツーリズム市場が拡大し、医療の国際化が世界的に進展するなか、高度な医療技術・設備と豊富な観光資源を有するわが国も、多くの医療ツーリストを呼び込むことができる可能性は十分にあり、今後の動向が注目される。