「聖域」にせず産業化急げ 質向上図り成長加速 政策の決定、新たな機関で

日本経済新聞 2010年4月8日

「聖域」にせず産業化急げ

質向上図り成長加速 政策の決定、新たな機関で

土屋 了介 (財団法人癌研究会顧問 東京財団研究員)

 

ポイント

・医療を産業としてとらえ、成長の原動力に

・混合診療、医療ツーリズムなどの工夫必要

・国民が望む医療体系実現へ「官主導」脱却を

 

国民が求める医療サービスが提供できていないといわれて久しい。多くの診療所は国民が望む日常の診療や健康管理の質を満たせず、その結果、病院の外来に受診者が殺到、診療所との機能分化や高度医療の集約が進まない。国民本位の医療サービスをどう実現していけばよいのか。

その際に欠かせないのが、医療を産業としてとらえ、成長の原動力にしていく発想だ。現場の医師と病院の経営者という立場からみた医療・介護改革の方向性について、産業の視点を軸に論じたい。

 

本社提言でも医療・介護は有望な成長産業であると指摘されたが、筆者は、医療・介護の現場で起きている問題の解決につながる点にも注目したい。すなわち、IT(情報技術)の利活用をテコにした高度技術によるイノベーションが加速すれば、国民が享受できる医療の質は格段に高くなる。世界一のロボット生産国という優位性は、医療・介護分野の人手不足の緩和に武器となる。知識集約型・高付加価値型産業として低迷する日本経済のけん引役になるという面も見逃せない。

ところが例えば2兆円市場といわれる医療機器産業では、輸入が輸出の2倍という大幅な輸入超過である。

画像診断システムは輸出の主力だが、その中でも消化器用内視鏡は、オリンパスなど3社が国内の90%、世界シェアも7割を占める。だが液晶画像装置のように周辺機器が他国製品に置き換えられ、腹膜鏡の手術で使われるステイプラー(手術用ホチキス)などの消耗品を輸入に頼るので、入超になっている。寡占状態の内視鏡自身の競争力も安閑とはできない。競争優位の状況を維持し、周辺分野も含めた産業政策を企画・立案・実行することが望まれる。

医療産業を発展させようとすれば、医療費自体の規模は増大することになる。その中で、例えば日本のコンピューター断層撮影装置(CT)や磁気共鳴画像装置(MRI)の保有台数の多さは非難の的になってきた。しかし、それががんの早期発見に寄与して国民に利益をもたらしている点も忘れてはならない。特に世界に先駆けて行われたCTによる肺がん検診で、早期肺がんを見つけやすくなり、治癒率は飛躍的に向上した。消化器内視鏡による検診も胃がんや食道がん、大腸がんの早期発見に寄与している。

これらの検診技術が世界に普及すれば、「恩恵」は一般にも及ぶ。例えばわが国は早期がんに対する低侵襲手術を得意とするなど、手先が器用で質の高い手術を施せる優れた技術をもつ外科医が少なくない。そこで、いい医療を求めて患者や検診受診者が国境を越えて移動する「メディカル(医療)ツーリズム」が広がれば、病院の収益力が高まって経営が安定し、医療サービスの質が改善しよう。

ただし、単に医療の質が高いだけでは海外の患者や検診受診者をひき付けられない。メディカルツーリズムの動機は低価格が大きな要素となっているからだ。そこで、優れた検診技術を提供する「アンテナ診療施設」を在留邦人の多い海外主要都市に設置し、在留邦人を対象とした検診を実施し、質の高い検診を求める現地の富裕層にも普及させる工夫をしてはどうか。

例えば日本政府の支援で設立された中日友好病院(北京)などは、「アンテナ診療施設」としてふさわしい。そのノウハウは上海、広州、ハノイなどの東アジアの主要都市に展開できるはずである。診断・治療技術が移転する先では日本人の医療従事者も必要となり、それが医療機器・医薬品の輸出にも結び付く。

 

医療産業を考える上でもう一つ重要なのは、高度医療技術をどう深化させていくかという点である。日本では医薬品・医療機器の審査・承認に時間がかかり、せっかく新薬開発に成功しても薬価が低く抑えられがちだった。その結果、投資に見合う利益が上げにくく成長を阻んでいるといわれてきた。外資系製薬企業の営業や研究拠点の縮小や撤退も相次いでいる。

審査・承認の遅れに対し、審査要員の増員や審査機構の効率化だけでは問題は解決しない。審査・承認が遅れるのは提出される臨床試験の規模が小さく成績も不十分なことが原因の場合が多いからだ。

したがって、医療機関の臨床試験体制の整備が急務になる。ことに開発段階での臨床試験について短期間で質の高い十分な症例数のデータを集積できる医療施設が必要だ。これこそが高度医療提供病院の集約化にほかならない。

また医療機器の開発に向け医療施設内に機器を設け、臨床医と開発技術者の共同研究が無理なく行われる体制を整備する必要がある。それには、医療機関と医療関連企業の集積した「医療クラスター」や、介護や健康産業まで含めた「健康・医療・介護による町づくり」を構想するとよい。地域内で医療が産業として機能するとともに、救急医療や医療難民など医療崩壊の原因が排除され、多くの医療問題の解決にも寄与しよう。その際重要なのは、厚生労働省が地域の医療計画を押し付けるのではなく、地域に任せ、医療圏の設定や病床数に関する規制を改革することだ。

忘れてならないのは、そもそも医療自身の[産業化」も遅れていることだ。これまで医療産業とは、医療機器産業、医薬品産業、医療サービス産業を意味し、医療行為自身は含まれないと考えられてきた。この結果医療は、診療報酬(プライス)が費用(コスト)と関係なく決まり、「聖職者」である医師によって行われる領域とされてきた。そして、医療施設の多くは、単年度予算・決算に基づき、自治体や半官半民、独立行政法人が運営してきた。その結果、効率的な運営や無駄の排除に目が向けられてこなかった。これこそが今日の医療崩壊を招いた一因である。

医療産業の成長は医療との連携なしにはあり得ない。医療と医療産業とは一体であり、医薬品・医療機器の開発には医療本体にも産業の視点をもつべきだろう。

先進的な診療に対する私費負担を公的保険に併用する「混合診療」の導入も検討すべきだ。混合診療として国民の期待に応えられうる医療分野は限定的で、医療負担増大を賄う効果も限られるかもしれない。しかし、私費診療によって的確な先進医療が進めば、技術革新が誘発される。

現行の保険外併用療養費制度のように個々の診療について事前に選択して例外的に混合診療を認める仕組みでは、国民の多様なニーズに応えられない。患者・被験者を保護するために、厳格なモニタリングを通じて予期せぬ副反応を早期発見して迅速に対応する仕組みを確立し、これらのデータを集積することで標準化へ向けた審査申請に結び付ける必要がある。混合診療に伴う補償・賠償制度の整備も求められよう。

さらに、従来のように増大する医療費負担を抑制するとの視点ばかりではなく、健康増進産業や検診などの健康管理分野の成長を促し、その結果得られた周辺産業の利潤が本来の医療本体に投資されるメカニズムを模索すべきだ。

こうした医療体系を実現するには、従来の厚生労働省と日本医師会の綱引きで医療政策や医療制度が決定されている現状を変革する必要がある(図)。官(厚生労働省)が決定するのではなく、医療にかかわる官と民との多様な関係者によって運営されるべきである。その中心に新たな公的機関を設けることを提案したい。財務省や金融庁だけでなく中央銀行として日銀が存在するように、医療でも時の政権や一部の利益代表者に左右されない「医療の日銀」ができれば、安心で安全な信頼される医療政策が実現する。