山田勝麿小樽市長は、2007年8月30日新市立病院新築に係る市民説明会で、、建設場所は変えず、方針通り「築港地区での建設推進」を明言していた・・・




山田勝麿小樽市長は、2007年8月30日新市立病院新築に係る市民説明会で、、建設場所は変えず、方針通り「築港地区での建設推進」を明言していた・・・ 
ところが2009年12月18日 山田勝麿市長は、市民の前で、病院建設地問題について、「現在地プラス量徳小跡地が一番いい」と述べた。漸く 政策変更を決断した事だけは評価したい 
国の選択と集中方針に全く耳を貸さず 又 ほとんどの小樽市民が再編ネットワークを願っているにも拘わらず並木昭義病院局長に権限を全て任せていないようである。 
このままでは 小樽市が財政健全化法の適用をまぬがれない。夕張についで 小樽が破綻する日は近い。 


病院・学校適配の懇談会 市長が初出席  (小樽ジャーナル2009/12/18) 
 「病院問題と学校配置適正化計画についての懇談会」が、12月18日(金)18:30~20:00、量徳小学校体育館(若松1)で開かれた。山田勝麿市長は、市民の前に初めて出て、病院建設地問題について、「現在地プラス量徳小跡地が一番いい」と述べた。 
同懇談会は、量徳小PTAが10月に行った「病院問題についてのアンケート」の市の回答に対する質問や意見を聞く場として設けられた。山田勝麿小樽市長・並木昭義病院局長・菊譲教育長の3者が出席した。関連記事 

 新病院の建設地として現在地と量徳小学校の敷地が再浮上してから、市長が、市民の場に出るのは初めて。このため、PTAと地域住民約70人(うち市議会議員18人)が会場を訪れ、市長の発言に注目した。 

 市長は、「病院局の並木先生から、2つの市立病院を統合する新病院の場所として、地域医療連携・患者の利便性・立地条件を考えると、現在の病院と量徳小学校の敷地を合わせた場所が最適だということで、建設地について再考して欲しいという話が私にあった。 

 築港地区で計画を進めておりますが、現在計画を一時中断しております。元々病院建設地としては現在地と量徳小跡地を第一候補として考えてましたので、並木先生の意見を重く受け止めた。 

 同時に、築港地区での建設に反対する多くの声、量徳小関係者と話し合いをして欲しいという市民の声があり、PTAの皆さんのアンケートで回答したので、これに対してご質問を伺えればと思っている。 

 市長の気持ちを聞きたいということがありましたが、今日は市の方針を決定して説明にあがったものではありません。ただ、私としては、正直に申し上げまして、新病院の建設候補地としては、現在地プラス量徳小跡地が一番いいなという気持ちは持っている。最終的な判断は今日の皆さんのご意見を伺いながら、病院と教育委員会と十分協議して決めていきたい」と挨拶した。

 会場からは、「小樽市の将来に対するビジョンが見えてこない。目の前のことばかりで、20年後、50年後、100年後のことが何も考えられていない。行き当たりばったりで、量徳小の卒業生として悲しくなる」。 

「便利なところに学校が必要だ」。 
「前回は、学校と病院問題は別だと言っていたのに、今になって病院と適正配置は一緒になっているというのはぶれ過ぎだ」。 
「なんで市の考えはコロコロ変わるのか」。 
「市長をはじめ市の皆さんが、病院を建てた責任を取るなら良いが、皆さんは定年でいなくなる。その時に責任を取るのは市民」。 
「ウイングベイ小樽のハコモノは有効活用されず、望洋のジャンプ台も使われていない。この先、5年や10年後にどうしたら良いかを考えないとだめになる。病院を建てたがパンクしたじゃ困る。良く考えてもらいたい」。 
「適正配置で学校がなくなったのに、病院が建っていないというのは困る」。 
「意見を聞いて決めるということは結構だが、こうしたいんだけど協力をして下さい、お願いしますという真摯な対応で臨んで欲しい」。 
「施設よりも組織に問題がある」。 
「病院建設は、早く結論を出さないといけない」などと様々な意見が出された。 

 市長は、「皆さんの意見を真摯に受け止めて、方針が決まればまた懇談会を開催してお話しを伺いたい」と述べた。 
出席した主婦は、「そもそも小樽には協会病院、エキサイ会病院、済生会病院などがあるので、小樽病院の機能はほとんどいらない。第二病院の機能に少し追加するだけで良いのだから、学校を残して子供を育て、若い人たちが小樽に住めるような環境作りが大事。高齢者のために病院が必要だというが、その高齢者を支える若者がいないのではどうなるのだろうか」と話した。

 市長は、2010(平成22)年の3月議会までには一定の方針を決めたいとしているが、この日、「私としては、正直に申し上げまして、新病院の建設候補地としては、現在地プラス量徳小跡地が一番いいなという気持ちは持っている」と述べ、これまでの築港地区から180度の転換を明らかにした。これにより、2007(平成19)年4月の市長選の選挙公約で、何が何でも築港地区に新病院を建てると言っていた方針は、簡単に捨てられ、対立候補の公約であった現在地と量徳小での規模・機能を縮小した建設に、歩み寄らざるを得ない破目に陥った。 

 先の市長選では、築港か量徳小・現在地かが最大の争点となっていた。この日の発言で、市長は、相手候補の公約にそっくり乗らざるを得なくなるという、みっともない対応を見せた。 

 山田市長が11年もかけて進めてきた病院計画のズサンさが、自業自得となって、自らの身に振りかかっている。