平成22年3月発行 那覇市立病院医学雑誌 創刊号



平成22年3月発行 那覇市立病院医学雑誌 創刊号 
「地方独立行政法人 那覇市立病院」への道 

那覇市立病院 理事長・兼病院長 
與儀實津夫 

要 旨 

那覇市立病院は,昭和55年に開設され今年創設30年を迎える.開院以来赤字経営が続き,病院開設から10数年を経た当時,赤字に陥った市立病院廃止,身売り,県立病院との合併論などが,市議会で議論された.自ら病院改革をし,市民に必要とされ,存続する市立病院を目指して再出発をはかった。その結果,平成11年には,不良債務の解消を果たすことが出来た.平成15年に地方公営企業法の全部適応を実施し,自治体病院中では採算性の高い病院と評価されるまでになった。しかし,その後医療を取り巻く情勢は悪化をたどり診療報酬の切り下げなどによって平成18年後は,5000万の赤字を計上することになった。看護師の配置を「7対1」にすれば診療報酬の加算が得られ赤字解消の一助になると考えられたが,定数条例に縛られそれもかなわなかった。毎週開かれる管理会議のなかでたどり着いた最善と思われる打開策が非公務員型の地方独立行政法人であった.病院長として,なぜ「地方独立行政法人 那覇市立病院」への道を選ばなければならかなったかを那覇市立病院のこれまでを振り返りながらまとめた。 

Key Words : 地方独立行政法人,病院経営,7対1看護基準 

はじめに 

 今年,那覇市立病院は創設30年目を迎える。人間であれば30才,開設以来当院で働いて来た者として,ここまでよく生長し生き残ってきたものだとの感慨がある.今の若い医師,職員には思いもよらぬ事であるが,当院が開設された30年前の昭和55年は,医師・病院がとても不足していた時代であり県内初の市立病院の誕生として,それこそ鳴り物入りで迎えられたことが今では夢のようである。それだけに当時は,公立病院の経営状況が取りざたされる事は全くなかった。 

病院経営の赤字化 

 しかし,平成6年に初代の田端辰夫院長が定年退職された後,次第にその経営状況の悪化が問題となった.当院は開院以来ずっと赤字経営が続いたが,それまで問題にされることはなかった。 
 しかし,やがて収入の10%以上の赤字である不良債務13億3千万円が発生するに至り,平成7年には医療機器や診療材料の購入にも支障を来すようになった.開院以来累積した赤字はついに61億円に達し,本庁・市議会で大問題として叩かれ,また新聞紙上等マスコミで大々的に取り上げられる事態となった。 
 今でも忘れられないのは,某日突如,那覇市会議員連が当院に乗り込んできて,3階講堂において臨時「厚生経済委員会」が開かれたことである.何事か分からないままに市会議員の前に全診療科部長は連座させられた.そして,なぜこのような赤字経営に至ったのか.医者としての無能がなしたものであり,責任をどのようにとるつもりかと各議員から次々に糾弾を受けた。 
 私を含めて議員の糾明に誰も満足な返答が出来なかった。ただただ,困惑と屈辱感を抱いたことを思い出す。

病院経営の改革 

 市立病院開設から10数年を経た当時,周囲には民間総合病院が相次いで建設され,当院を取り巻く医療環境は一変していた。 
 赤字に陥った市立病院廃止,身売り,県立病院との合併論が市議会では飛び交う中で,病院内部では自分たちの今後と,地域の医療をどうやって担うのかについて連日の協議が行われた.その結果,自ら病院改革をし市立病院として存続する道を選ぶしかないと,平成7年11月に県知事より「第四次病院事業経営健全化団体」の指定を受けることになった.。
 平成8年,医療調整官を経て第三代目院長に就任した内間荘六院長を先頭に,市民に必要とされる市立病院を目指して再出発を図った。 
 平成11年「急病センター」の病院統合など,病院あげての様々な取り組みの結果,第四次病院事業経営健全化計画に基づく不良債務の解消もわずか3年で達成することが出来た.オーダーリングシステムの導入で外来待ち時間の劇的な削減,院外処方の実施など積極的に機能的な病院への転換も進めた. 
 また24時間365日診療体制を病院の基本方針とし,市民のニーズが高い小児科専門医常駐による救急対応にも取り組んでいった。 
 医療の質向上が病院経営の根幹であるとして,平成13年臨床研修病院指定,平成15年病院機能評価認定,平成17年地域がん診療拠点病院,平成18年電子カルテシステムの導入を果たした。 

医療制度改革の衝撃 

 しかし,医療を取り巻く情勢は悪化をたどり,医療制度改革の名の下に矢継ぎ早に出される診療報酬の切り下げは,病院経営を直撃していった。その結果,平成16年までは全国に1000あった自治体病院は,統合や閉鎖などで,4年間で957まで減少した。 
 平成15年に地方公営企業法の全部適用を実施し,自治体病院中では採算性の高い病院と評価されるまでになった当院も,過去最大3.16%の診療報酬切り下げにあって,平成18年度は5,000万円の赤字を計上することになってしまった。 
 さらに追い打ちをかけたのが,同年厚労省から出された「7対1新看護基準」であった.これは,国が看護師の割合を「10対1」から「7対1」にすれば診療報酬を上げるという政策で,民間病院は即それに次々対応していったが,自治体病院である当院は為す術がなかった。 

独立行政法人化への模索 

 厚労省の方針通り看護師の配置を「7対1」にすれば診療報酬の加算が得られ赤字解消の一助になると考えられたが,定数条例に縛られる本院はそれがかなわなかった.さらに総務省は国と地方公務員の定数を削減するという方針を出し,那覇市も4.6%の削減目標を掲げ病院も聖域ではないといわれた. 
 このままでは,「7対1」どころか,「10対1」看護体制も維持出来なくなるという中森副院長兼看護部長の悲痛な訴えに対して,直ぐなる打開策も見つからなかった.総務省と厚労省の相矛盾する政策のはざまで身動きが取れない状況になり,病院幹部は病院崩壊への強い危機感を抱くに到った。 
 毎週開かれる管理会議のなかで解決策への模索が続いたが,たどり着いた最善とおもわれる打開策は「非公務員型の地方独立行政法人化」しかないという結論であった。 

独立行政法人化へ始動 

 独立法人化に向けた活動の第一歩は市長からの了承を得ることであった。 
平成18年11月,院長,3名の副院長,事務局長,次長9名の管理会議のメンバー全員で市長・三役へ「市立病院の地方独立行政法人化」の必然性,制度,将来性等について3回に渡る説明の場を設けて頂いた。 
 終始丁寧に耳を傾けられていた翁長市長は最後に,「わかりました.やりましょう」と最終判断を下された.しかし続けて「これは大変な事業です.ここに出席した病院の皆さんは,全員最後まで逃げずにやり遂げる事が出来ますか」と不退転の決意を求められた.もちろん,今更後へ引けなかった.一同感謝して辞し,それこそ不退転の「那覇市立病院独法化」への準備を開始した。 

独立行政法人化への道 

 平成19年1月17日,翁長市長と共に独立行政法人化へ向けての記者会見に臨んだ.それに続く1年間は,12回に及ぶ組合との団体交渉,5回の職員説明会,市議会での嵐のような質疑応答に追われる年となった. 
 しかし,6月議会で定款が議決され,平成20年3月中期目標議決,中期計画議決を得ることが出来た時は,一つの大きな山を越えた思いであった。 
 そして設立登記に漕ぎつけることが出来,ついに平成20年4月「地方独立行政法人那覇市立病院」がスタートした。 

独立行政法人化後 

 平成18年度に続き,独法化前年度の平成19年度も赤字2億7200万円を計上したが,独法化初年度平成20年度は,予期せぬ1億7600万円の黒字となった。これは,独法化のみによるものでなく同時に取り組んで来たDPC対策など,診療報酬対策が効をそうしたものと思われたが,全職員にとって大きな喜びであり,早速報告を受けた翁長市長からも激励の言葉を頂いた。 
 平成20年度10月に,念願の「7対1」看護基準を導入することが出来,医療スタッフも以下のように充実した。 
総職員数795人(89人増) 
医師133人(11人増),看護師474人(51人増),薬剤師20人(4人増),検査技師27人(2人増),放射線技師23人(4人増),事務部60人(7人増),その他60人(13人増) 

「地方独立行政法人 那覇市立病院」はその端緒についたばかりであり,正念場はこれからであることは心している。職員,関係者の益々の御指導,御協力を期待する。