生き残る意思が無ければ、全適だの独法だの手段の論議は無意味です。


 

生き残る意思が無ければ、全適だの独法だの手段の論議は無意味です。  

独法推進友の会ニュース6.那覇市立病院提供 
第6号 平成21 年2 月2 日 

シリーズ独法雑感 その6 

生き残る意思 
前回、首長側と病院側で赤字の責任をなすり合う構図があるという話をしました。 
こういう責任論はよく聞く話です。ところで、責任とはそもそも何でしょうか。 
民事上の責任といえば、不法行為や約束を守らなかたために生じた相手方の損害を自らの金銭でもって支払うことです。刑事上の責任といえば、犯した犯罪の結果を罰金の支払いや刑務所で懲役に服することで責任を取ったことになるのでしょう。それでは公立病院の赤字の責任とはなんでしょう。誰がどのように取るのでしょうか。 

病院側から言わせれば、医療制度が悪い、繰入金が少ない、権限が無い、従って病院に責任は無い、というのが大方の主張でしょう。首長側からはコスト意識が無い、放漫経営、繰入れ基準の繰入金は出している、従って病院側の責任、というのが大方の主張でしょう。 

そして、いずれにせよ責任を取るといえば、せいぜい院長又は首長の辞任や事務方トップの更迭(異動)ぐらいのものではないでしょうか。これで病院経営が良くなるのでしょうか。 

肝心なのは病院経営にあるにもかかわらず、特に議会 
においていつも改善策より優先して議論されているのがこの責任論議です。首長の辞任ともなれば、敵対する政党側は鬼の首でも取ったような大手柄です。政策よりも政局が優先される世界です。 

私たちが見落としていけないのは、公立病院の赤字・不良債務及びそれに伴う医療の劣化のツケは、必ず市民・県民に回されるということです。 
これらのツケを辞任した院長・首長、更迭された事務方トップが支払うことは決してありません。 

議員もまたしかりです。このように、公立病院における責任論は、トップの顔ぶれを更新する効果ほどしか 
ありません。トップが交代するのは、それなりに意義がある場合もありましょうが、 
責任論に拘泥していては泥沼に足を取られることになりかねません。 

ところで、医療制度が悪い、繰入金が少ないという病院側から最もよく聞かれる主張は、この際きちんと整理する必要があります。 

まず、医療制度が悪い、医療にもっと税金を投入すべきだという主張は、医療界の総意といえるでしょう。医療にもっと税金を、というのは医療界のパイを増やせ、ということです。しかし、医療界の総意としても社会的合意ではありません。極めて政治的な問題です。 

民間病院の経営者の場合はそのように主張しつつも、日々の経営においては合理化などをして黒字化又は赤字の縮小に懸命でしょう。その努力の成果が民間病院の赤字比率32%という数字(黒字は68%)に表れています(全日本病院協会「平成20年度病院経営調査報告」)。 

これに対し公立病院の巨額の赤字は医療制度のせいでしょうか。制度が悪い・システムがおかしいということが事実であれば、民間病院を含めた大多数の病院が努力しているにもかかわらず赤字決算になってしまう、このままでは医療システムが全崩壊してしまう、ということでしょう。 

確かに一部のおかしい部分はあるかもしれませんが、全体をみれば国民医療システムの全崩壊というレベルではないことは明らかでしょう。公立病院の赤字金額の大きさと民間病院の経営状況との比較から、とても公立病院の巨額の赤字の主たる原因が医療制度とは思えません。 

赤字の公立病院の経営者がそのように主張しても市民・国民から到底納得してもらえないでしょう。数字は後ほど紹介しますが、公立病院の高コスト体質こそが最大の問題なのです。 


次に、繰入金が少ないという主張も必ずといっていいほど聞かれます。繰入金が多いか少ないかの一つの目安は、総務省の繰入基準です。この繰入基準とは、地方公営企業法第17条の2及び地方公営企業法施行令第8条の5で定められている一般会計(すなわち税金)で負担すべき経費で、救急医療や離島・へき地医療などの経費が該当します。実際に繰り入れている金額がこの繰入基準で計算した金額より多いか少ないかで判断できます。 

ところで一般の素人の方でもこれが一目でわかる資料があります。 
毎年度決算終了後、総務省に地方公営企業の決算の状況(いわゆる決算統計)を報告しますが、その報告書の40 表「繰出し金に関する調」中「2 繰出金合計」の「基準額」と「実繰入額」がそれです。そしてその差が「7 基準外操出金合計」に現れますので、確認してみてください。これがマイナスであれば、国が想定している経費よりも繰入金が少ないということになります。しかし多くの病院事業が大幅なプラスになってい 
るでしょう。 
もっともこれは総務省の指し示す一つの基準にすぎないと言うのもそのとおりです。この基準以外の市民の税金で負担すべき経費や地域特性によってはこれに現れない経費もあるかもしれません。その場合はその経費の妥当性を一つ一つ丁寧に検証・精査して積み上げるしかないでしょう。検証・精査すればわかるはずです。確かに離島・へき地医療や精神医療など該当する経費があるかもしれません。しかしそれにしても、公立病院の累積赤字・不良債務が大きすぎます。少々積み上げてもとても間に合わないでしょう。基準外操出金合計が大幅なプラス(総務省の繰入基準以上に繰入 
金をもらっている)にもかかわらず繰入金が少ないということであれば、赤字を補填しないから黒字にならないのだという乱暴な主張と同じように聞こえるは、私だけでしょうか。 

もっとも財政に余裕のある自治体はそれで全くかまわないと思います。 

当市においては以前から財政危機で、病院に繰入基準以上の繰出金を出余裕はありませんでした。このことは本院自体も共通認識として持っています。健全化団体時代を除き、本院から基準以上の繰入れをくれと要求したこともありません。 


脱線しましたが、自治体病院と民間病院の主な費用比較を紹介しましょう。 

右表は全国自治体病院協議会調査による2005 年6 月100 床当たりの比較(読売新聞2008 年2 月24 日)です。収入は官民とも約1億3500 万円でほぼ同じですが、費用はこの表のとおり約2300 万円も高くなっています。公立病院の高コスト体質は、火を見るより明らかでしょう。 

繰り返しますが、そこをどうにかしないと公立病院の経営は良くならないのです。このように、自覚を促すためのアジテーションをすると病院側のボヤキが聞こえて来るようです。それは分かっているけれども、どうにもならないのだと。 

病院側から言わせれば、権限が無い、経営のノウハウもない、人もいない、心の準備ができていない、など主体的に経営する環境が整っていないことも事実かもしれません。しかし、最初から環境が整っている改革はほとんどありません。ゼロからスタートするしかないのです。 

「心の準備ができていない」というのが一番のポイントです。誰が、改革をなすべきでしょうか、ここをよく考えていただきたいものです。やはり、病院当局がやるしかないと思います。やれるのは院長・副院長以下の病院現場しかないと思います。ほかでもない自分や仲間が働いている病院のことです。民間委譲や廃院などの最悪の事態になるのは自らの病院にほかなりません。 

苦境において本当に頑張れるのは当事者しかありません。病院は潰れても行政(病院管理局)が潰れることはありません。医師その他の病院スタッフが自らの病院に愛着を持ち、この病院は残そう又は残さなければいけないと思うことができるかどうか、にかかっているのではないかと思います。 
覚悟を決めて毅然として立つこと、これが出発点と思います。 

経営ノウハウなどは謙虚に学ぶ姿勢があれば自然に身についてくるものです。 
事務局の人材も5年ほどの派遣期間で優秀な人材の派遣を首長にお願いすると大体聞いてもらえるはずです。私どもの健全化時代の場合も、市は金はないが人は送ろうということになりました。 

トップが腹をくくると次は病院職員の意識や行動をどう変えていくかです。ご承知のように組織の2 対6 対2 の原則というのがあります。組織の一般的な構成として2割は積極的に働き、6 割はまあまというかそこそこ、2 割は反対又は怠け者という構成比率です。 

余談として言うと、蟻の世界でもこの比率はあるそうです。しかも働き者の2 割を集めた集団を人為的に作りしばらく観察すると、やはり2 対6 対2 になって 
いくという面白い観察記録があるそうです。脱線しましたが、要は、結晶が出来る時の核のような存在の2割の意識を変えると組織は変わるということです。10 割を変える必要はありません。変える手段としては先進病院の視察、グループ勉強会、職員説明会などがあるでしょう。以上のように考えれば、病院自らが意思決定の主体になる心構えも固め易くなるのではないでしょうか。 

公立病院が生き残っていくには、病院自らが意思決定の主体として自覚することが極めて大切だろうと思います。医療制度が悪い、繰入金が少ないと病院の外ばかり向いていては内なる改革はできません。存続が問われているのは病院だということに思い至るべきです。 

特に、職員の給料カットまで及んでいる自治体は、財政がかなり切羽づまっている証拠です。自治体行政にとって病院事業は数ある行政分野の一つにすぎません。自治体のカバーすべき範囲は、教育、福祉、保健衛生など数限りなくあるのです。自らの自治体の現下の財政状況を直視する必要があります。 

私が思うに公立病院の一番いいところは、黒字である限り(勿論ちゃんとした医療を提供した上でのことですが)病院職員による自主経営がやりやすいということではないかと思っています。診療上の情報は勿論の事、給与等の情報も公開され、自由に議論ができ、タブーがない環境が整っています。地域住民からの信頼も得られやすい地位にあります。 

公立病院は、医療者がその気になれば理想とする医療環境を整えることが出来る土壌があるのではないかと思っています。その模範例が国保旭中央病院です。このような土壌にある公立病院をつぶすのは、地域住民にとっても病院職員にとっても大きな損失と思うのです。十分に存在価値はあるはずです。これからの公立 
病院の存立は、病院当局の生き残る意思の有無にかかっているといえるのではないでしょうか。 

生き残る意思が無ければ、全適だの独法だの手段の論議は無意味です。 
編集後記 

本院に視察で訪れる病院関係者に、本院の独法化は本院が決めて病院側から市の首脳部を説得したいきさつを説明すると大体驚き、感心されます。事務職のなかにはうらやましいという方もいらっしゃいます。大方の自治体は執行部側が改革に熱心で、病院現場が消極的という構図があるように感じ、それで今回このテーマにしました。 
視察に来られた議員さんとの懇談での話です。その議員さん方の市は県境に接している小都市で、その市立病院にはその県と隣接県の両方の国立大学から内科系と外科系にのDrが来てもらっていましたが、普段から仲が悪く苦労していたそうです。院長を隣接県の大学出身者から出すのが慣例ですが、年齢などもからんで、ついには当該県の内科のDrが引き上げてしい、地域医療も経営もずたずたと嘆いておられました。 

こちらも同情するしかありませんでした。生き残る意思以前の問題ですね。ほんとに地方公立病院の医師確保、何とかならないものでしょうか。 
次回の独法推進友の会ニュースで最終回です。次回は3月末に発行予定です。 
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