銚子市長は、ご自分の人脈につながる医師や弁護士ら"専門家"などで「銚子市立病院再生準備機構」を設置し、億位単位の報奨金をこの組織に支払って医師や看護師の確保をはじめとした病院の再生を委託した・・

銚子市長は、ご自分の人脈につながる医師や弁護士ら“専門家”などで「銚子市立病院再生準備機構」を設置し、億位単位の報奨金をこの組織に支払って医師や看護師の確保をはじめとした病院の再生を委託した・・成功しなければ報奨金は零なのであろうか?着手金は不成功でも返還されない?(2009年9月1日銚子市議会だより 
問 病院再生監理委員会の役割と構成について、伺います。 
答 一緒に計画をまとめ上げた上で、有償で医師を集めていただくということで、その業務を委任契約し、その成果が出なければ成功報酬は支払わず、全体として支払った場合には返していただくようなペナルティー付きの関係というようなイメージです。そしてその経営主体の経営の審査業務も行うこともイメージしています。委員の構成は、医師、弁護士、税理士、公認会計士、企業経営の経験者、病院事務局長の経験者を想定しています。) 
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医師のスカウトのためにブローカーまがいのことが同機構の名前のもとで行われることも意味している。 
銚子市民の病院を再生してほしいという切実な願いを利用して、ご自分の人脈に属する方々に億単位のビジネスの場を提供しているというイメージや、「お金が問題解決の最善の手段」との価値観をここに感ずる 
http://www.city.choshi.chiba.jp/shisei/byouinsaikaijoho.html 
未曾有(みぞう)の危機を乗り越えるために 確固たる 公立病院経営の理念と熱意が銚子市長に有るのだろうか? 
自分の命を捨ててでも 命の絆を守る責任を取る覚悟があるのだろうか?  



2009年09月21日(光を目指してブログ) 
銚子市野平市長と病院問題 

野平市長様、市民病院再開の成功を願って思うところを述べます。(ご尽力ご苦労様です)

再生準備機構は“プロの集団”であり“高度な職業人の集団”であると言いますが、それではこの機構のなかに破綻の危機に陥った自治体病院の現場に出向き、現場のスタッフから事情を聴取しながら問題点を整理し、知恵も絞って汗もかきながら自治体病院再生の取り組みに実績を残しておられる人材がおられるのでしょうか。 

私には準備機構にそのような方がおられるという情報は入っておりませんし、聞いたことがありません。 

例えば、5月の市長選挙において松井稔候補の後見人となった元総務省公立病院改革懇談会座長であったO氏はその良い例であります。 

O氏は最近では破綻しかけた富山県の氷見市民病院の再生を成功させ、また独立行政法人化による国保成東病院の存続に向けて尽力しております。 
さらに、現在は長崎県の破綻しかけた壱岐市民病院の再建に尽力しており地元新聞では連日のように報道されています。 

このO氏は自治体病院再建では日本一の実績を持っているといってよいでしょうが、O氏に限定せずとも自治体病院再建の実績を残しているスペシャリストは他にもおられます。 

再生準備機構に自治体病院再生の実績を持ったスペシャリストをその一員として加え、このプロフェッショナルを中心にして運営されてこそ、再生準備機構が文字通り“プロの集団”であり“高度な職業人の集団”としての実質を持ちえるのではないでしょうか。 

そして、再生準備機構の議論をオープンにして情報公開に努力しなくては全国の大学病院関係者をはじめとした医療関係者の信頼は得られないと思いますので、情報のデスクロージャにご尽力してください。 

月に一回ぐらいは再生準備機構の会議を銚子市で公開のもとでおこなうことも必要ではないでしょうか。 

また、市長自身も認識しておられますが、銚子市にたいして全国の医師の抱いているイメージは最悪なものがあります。 
前市長が突然に市立病院を閉鎖したり、それにたいしてリコール運動がおこり政治闘争にあけくれた銚子市の印象は医師にとってけっして良いものではありません。 

市民自身の選んだ市長が病院閉鎖を決めたのであり、それは市民の自己責任であるという受け止め方が一般的でありますし、この自己責任を棚上げして前市長にその責任のすべてをかぶせてリコール運動に“狂奔”した銚子市民の“身勝手さ”は、銚子の実情に疎い市外の医師の眼から見て許容範囲の限界を超えるものであったのでしょう。 

また、自治体病院そのものについても一般の医師には良い職場とのイメージはありませんし、むしろ赴任したくない医療現場の代表格が自治体病院の現場であります。 

全国の自治体病院には救急車をタクシー代わりに使う不心得物の住民の横行や、入院患者のケアや救急患者の搬入に備えた夜間当直の医師のもとに「昼間の診療は混むから」とか、「昼間は仕事だから」といって診療に訪れる“コンビニ医療”を平然とおこなう非常識な住民も後を絶ちません。 

これが現場の医師を疲弊させ自治体病院の現場から立ち去らせる大きな要因となっており、医師の目線から見れば病院つぶしの責任の一端を住民自身もまた負うべきものと見えているのです。 

そこに市立病院の閉鎖と“リコール騒動”ですから全国の医師の銚子市に抱く印象が最低ランクに落ちているのはまぎれもない現実であり、これが病院再開に当たっての大きな障害となっていることは間違いありません。 

そこで、この問題を解決するためにも官民を挙げ、またリコール運動に賛成した市民も反対した市民もすべてを含めて銚子市のもてる総力を挙げて医師招聘キャンペーンに取り組んではいかがでしょう。 

銚子市民がいかに医師を大切にするか、再開する銚子市民病院では医師の待遇を日本一にしたいとか、来てくれる医師を市民がいかに歓迎し、また感謝するかなどをマスコミも使ってフルにキャンペーンをおこなう必要があります。 
また、市民が直接に全国の医療関係者に手紙などの方法で誠意を示すことも必要ではないかと思います。 

とにかく早急に、市の行政や議会、そして病院再開を願うすべての市民が医師招聘キャンペーンに一丸となって取り組んで銚子市に対する全国の医師のマイナスイメージを払拭する必要があります。 
そして、再開する銚子市民病院で働きたいと思う医師を掘り起こしていかなくては病院再開の展望は開けないのではありませんか。 

以上は長文であり、はなはだお粗末ですが私の思うところを述べさせていただきました。 
恐縮に存じますが失礼の段はご容赦下さい。 
                                                              
敬具
西岡三郎 拝



2009年07月12日 

野平市長と病院問題 
野平市長 深沢晟雄資料館(旧沢内村)を訪れる!深沢晟雄その人について 

読者は深沢晟雄という人物をご存知であろうか。 
戦後復興がひと区切りついて、人々が都市部では豊かな暮らしを享受しはじめ、また月にロケットが飛ぶようになった昭和30年代にあっても、地方では生後間もない赤ちゃんがたくさん死んでいく現実が存在していた。 

その当時、全国で乳児死亡率が最も高かったのが岩手県であったが、なかでも山村である沢内村では、100人の新生児のうち7人までもが1歳を迎える前に亡くなるほどの深刻な状態をかかえていた。 
当時、高校教師であった深沢晟雄はこの状況を深く憂えて村長をこころざし、昭和32年(1957年)に村長に当選した深沢は状況を少しずつ打開し、現状を変えていく。 

特に乳児医療費の無料化の導入は、治療に必要な費用の半分を患者が負担するとした国民健康法の条文に違反していることを岩手県から指摘され、待ったをかけられながらも深沢村長がその実現に尽力した結果、昭和36年(1961年)に実現し、さらに60歳以上の医療費の無料化にも踏みだした。 
この深沢村長のたゆまぬ努力の結果、ついに昭和37年(1962年)に全国に先がけて沢内村では乳児死亡率ゼロが達成される。 

これにより深沢晟雄の名前は「命はなにものにも優先する」という信念のもと、全国に先駆けて乳児死亡率ゼロを達成するという歴史的偉業とともに、歴史に刻まれることとなった。 
以上が深沢晟雄という人物についてのごく大雑把な説明であり、ご存知の方も多いかと思う。 

また、この深沢晟雄の業績を顕彰する「深沢晟雄資料館」が旧沢内村(現岩手県西和賀町沢内)に建てられ、この施設には「生命尊重こそ政治の基本」の信念のもとで、病や貧困から村民を守ることに命をかけた深沢晟雄の精神を学び伝えるという目的が込められているという。 

野平氏の深沢晟雄資料館訪問とその後 
さて、今年の3月2日にこの資料館にやってきたのが誰あろう、現銚子市長である野平匡邦氏であったことを最近になって筆者は知るにいたった。 
野平市長は資料館に備えつけのノートに「一部の市民から出馬を要請されており、決断に当たり深沢晟雄氏のオーラの一部を浴びるべく思い立って本館を訪問した」と記していたそうである。 
野平市長はこの資料館訪問で市長選出馬の決意を固めたらしく、この資料館の発行する「深沢晟雄の会ニュース 6・15号」では当選した野平市長を祝して、「生命尊重こそ政治の基本」という深沢精神が銚子市に輝いたとのエール文が記されている。 

このことは、訪れたその地で市長選出馬を決意した野平氏の市長当選を、資料館の関係者が深沢晟雄の歴史的偉業と重ね合わせて見つめていることを意味しており、銚子市民のみならず旧沢内村の住民からもこれだけ期待されて市長に当選した野平市長であるから、ぜひとも深沢精神に恥じない形で市立病院再生を果たしてもらいたいと筆者は考える次第である。 

ところで、深沢晟雄が村長に当選した後に力を注いだのが、母校である東北大学からの医師の招聘の実現であった。 
深沢村長は文科系の学部出身であり医学部にコネがないにもかかわらず、助役とともに時の医学部長に日参し直訴を続けた結果、ついに学部長が折れ、優秀な医師の招聘に成功したのであった。 
愚直一本やりの深沢村長の誠意が東北大学を動かしたのである。 

では我が野平市長はどうしたかというと、ご自分の人脈につながる医師や弁護士ら“専門家”などで「(仮称)市立病院再生事業機構」を設置し、億位単位の報奨金をこの組織に支払って医師や看護師の確保をはじめとした病院の再生を委ねることにしたという。 
このことは、医師のスカウトのためにブローカーまがいのことが同機構の名前のもとで行われることも意味している。 

銚子市民の病院を再生してほしいという切実な願いを利用して、ご自分の人脈に属する方々に億単位のビジネスの場を提供しているというイメージや、「お金が問題解決の最善の手段」との価値観をここに感ずるのは私の偏見であろうか。 
野平市長にしても、同じ「生命尊重こそ政治の基本」という“深沢精神”から出発しての医師招聘であろうが、深沢晟雄本人の手法と比較してこれほどにも好対照と落差が出るのはどうしてなのだろうか。 

野平市長の病院再生に崇高な深沢精神を本当に生かすためには、違ったやり方のアプローチが必要ではと感じるのは私だけか。 
もう一度、深沢精神に立ち返って病院再生の構想を再考する必要がありはしないか。 
そう感じるのも私だけか。