山形県 酒田市立病院は当初、単独改革を目指したが・・



山形県 酒田市立病院は当初、単独改革を目指していたが、05年10月に酒田市立病院の改築外部委員会が出した結論http://www.higashinihon-group.com/data/data_k/k070409_41.pdfは、「山形県立日本海病院との経営統合と一般地方独立行政法人化」による共倒れの回避だった。同年12月に酒田市が県に申し入れた。山形県が独自に依頼した外部監査でも1年近く結論は遅れたが 国会審議に後押しされ同様の結論が出されたことで 山が動き始めた 
民主党の地域医療再生 公立病院改革のモデルとされていくであろう 
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民主党 古川元久 衆議院議員は 国会質問で 川崎厚労大臣に「山形県は 改革先送り 後ろずたいしている」と厳しく糾弾 ・・厚労省は医政局指導課長を山形県に派遣したり 当時の山形県知事 酒田市長に上京いただき 連携を要請した。  
今全国でもっとも注目されている改革の先駆け役を果たしてくれました 



2006年5月10日 (水曜日)民主党 古川 元久議員の当時のブログ 

厚生労働委員会で質問しました。今日は自治体病院改革に関する質問が中心でした。というのも今回の法案では都道府県の役割が重視されているのですが、そのようなリーダーシップを都道府県に期待するのは、遅々として進まない自治体病院の改革を考えると、きわめて非現実的に思えるからです。都道府県が設営主体である県立病院の改革・再編が進まない状況でどうして他の病院に対して指導できるのでしょうか。まず隗より始めよ、です。 



〔2009.09.01 エコノミスト        塚崎 朝子(ジャーナリスト) 

山形県 
日本海総合病院の誕生 

診療科を集約 初年度から 大幅収益改善 

山形県酒田市では2008年4月、県立日本海病院と市立酒田病院が統合し、独立行政法人山形県・酒田市病院機構の下に日本海総合病院(528床)が誕生した。全国の自治体病院の統合・再編の先駆けである。 
  
日本海総合病院は、日本海病院の建物をそのまま活用して、混成スタッフによる21科からなる新たな急性期病院として生まれ変わった。一方、酒田病院は日本海総合病院酒田医療センター(235床)として、内科、消化器科、整形外科、神経科・精神科に縮小された。 

11年に日本海総合病院の増築工事(120床)が終了すれば、急性期の診療はすべて日本海総合病院に移転・集約され、酒田医療センターはその後方支援を行う110床規模の亜急性期の病院に転換する。 

これにより、機能分化と病床再編が一気に実現することになる。 
  

山形県は、域内で一般的な医療が完結するとされる2次医療圏として、全域を4つに分けている。1969年に建てられた酒田病院(400床)は、ながらく庄内医療圏の唯一の中核病院だった。 
しかし、高齢化が進行し慢性的な病床不足が続くなかで、91年に徳洲会系の庄内余目病院(一般202床、療養122床)が進出。 
93年には、県立病院を医療圏ごとに整備したいとする県の計画により、5番目の県立病院として日本海病院が開院した。 
 わずか2キロの距離にある日本海病院と酒田病院には、圏内の6割を超す患者が集中したが、診療科の重複のため、激しい競争が生まれた。 

その結果、93年以降、酒田病院は赤字に転落。 
一方、日本海病院の医師は、地元の山形大学出身者で占められ、関連病院として医師供給が優遇されていた。 

酒田病院は、医師集め、患者集めと課題が山積し、潰れるのは時間の問題ともささやかれていた。
  
そこで、酒田病院の診療部長で98年に院長に就任した栗谷義樹氏が採った対応策が、職員一丸となって医療の本質に立ち返り、サービスを強化したことだ。 
また、業務のワークフローを見直し、さまざまな職種が医師をサポートすることで医師本来の業務に集中させた。 

職員の雇用を守ることを宣言し、酒田病院と競合する日本海病院の2病院の経営指標を全職員に公開し、情報も共有した。これにより、患者への説明などサービスの充実が工夫され、医師が本来業務に専念できる環境が徐々に整備された 
。こうした施策が奏功し、00年度下期には酒田病院は黒字に転じた。しかし、一方で施設の老朽化が進み、建て替えは必至だった。 
 かたや、日本海病院は93年の開院以来赤字続きで、累積債務が100億円を突破した。 
税収も豊かなバブルのころに計画され、長期的な展望は見出せなかった。地域には病床は充足していても、最重症者を診る3次救急医療(高度救命救急センター)がないといった課題もあった。 

岩手県から学んだ教訓 

 酒田病院は当初、単独改革を目指していたが、05年10月に酒田病院の改築外部委員会(委員長 長 隆)が出した結論は、「日本海病院との経営統合と一般地方独立行政法人化」による共倒れの回避だった。同年12月に酒田市が県に申し入れると、県が独自に依頼した外部監査でも同様の結論が出されたことで、統合の流れは一気に加速。06年9月には両者が合意に達し、11月には統合再編協議会が立ち上がった。 
  
再編協議会では、統合後の経営形態として一部事務組合と独立行政法人などが検討された。 
一部事務組合は自治体が広域で行政サービスを運営する組合を作るもので、特別地方公共団体となり、議会も作られる。 
一方、独立行政法人になれば議会の審議を仰ぐこともなくなり、意思決定は迅速になり自由度も高まる。 
このため、独立行政法人化が再編の最終決定となった。職員の身分は、公務員ではないが、完全な民間ではないため、独立行政法人は自治体病院としての最後の砦ともいえる。 
  
他県の前例も詳細に調べた。例えば、07年に経営を統合した岩手県の県立釜石病院と釜石市民病院の例では、05年に統合が決まると、実質的に吸収される側となった市民病院から続々と医師が退職し、統合の目的だった医師不足解消の見込みが外れた。 

こうした事例も、統合再編に向けた短期間での決着を促した。 
  
独立行政法人化後の理事長には、黒字化の手腕が認められた栗谷氏が就任。 
日本海病院の医師と管理職は全員法人職員となり、看護師をはじめとするほかの職員はすべて県からの派遣とした。 
酒田病院は事務職員30人だけが市からの派遣で、残りは法人職員となった。 
最終的に全員が法人職員となるが、すでに勤務している職員の給与水準は保証される。 
 新たに法人職員の採用も開始された。法人は業務実績のみで給与を定められる。 
国立病院機構に準じた給与体系に移行するため、極端な変更はない。 
だが、実際に昇任しなくても年功で昇級していた“慣習”が是正され、将来的には人件費削減が見込まれる。 

多少の人員整理も必要だが、法人設立前で08年4月入職の採用ができなかったため、自然減となった。 
病床も165床減少したため、看護師配置も7対1(患者7人に対し看護師1人)基準を満たすことができるようになった。 

人件費は前年度比11億円減少 

 栗谷氏は、新病院でもワークフローを改善し、医師が仕事に集中できるよう、クラーク(医師事務作業補助)や看護助手を積極的に採用した。 
かつては夜9時まで勤務していた看護師が6時で帰宅できるようになった。これにより、人件費は前年度比で11億円減少している。 
  
経営基盤の安定は、合併により債務が帳消しとなったことが大きい。 
赤字だった日本海病院からは建物、土地、医療機器などの固定資産が引き継がれた。 
黒字の酒田病院には流動資産があったため、新たな資産評価で累積欠損金が相殺された。 
残る累積債務は、公立病院改革に伴う「公立病院特例債」として、県が長期借入金に振り替えている。 
  
診療科の集約、高度な手術の実施、病床削減による実入院患者の増加、7対1看護体制、地域連携の強化により、在院日数の短縮などが奏功して、初年度の08年度には日本海総合病院の入院単価(患者1人の1日当たり入院収益)は前年度比で5000円アップした。 
営業損益は1億2400万円の赤字だが(図)、両自治体からの繰入金を合わせると、当期純利益で1億2200万円の黒字を計上、劇的な経営改善といえる。 

統合後も、4年間は従来どおり山形県から18億円、酒田市から7億円の、年25億円の一般会計繰り入れが続く予定だ。 
 栗谷氏は、「この規模の地域で、きちんと医療を提供できることを証明したかった。 
少子高齢化が進行し、日本の国力低下とともに地域の力も弱っていくなかで、病院だけがよければそれでいいのではなく、社会保障全体の枠組みのなかの病院の役割を検討していく」と抱負を語る。