野平市長が立ち上げる「銚子市立病院再生準備機構」なる組織の問題点とは!医師紹介業界の現状("医療マーケット"の実態)



 週刊ダイヤモンド2009・8・15・22合併号P32で、改革が出来なかった銚子市立総合病院について、コメントさせていただきました。 
さらにP60~p61には詳細が報道されています。 
どうあるべきだったかについて、的確なコメントをしている「光を目指して」ブログを引用させていただきました(以下) 
ダイヤモンドとあわせて読まれると参考になります。 


2009年07月20日21:32 カテゴリ銚子市政について 

野平市長が立ち上げる「銚子市立病院再生準備機構」なる組織の問題点とは!医師紹介業界の現状(“医療マーケット”の実態) 

秋田県にあるO市民病院は人口3万6千人あまりのO市における唯一の市民病院であるが、この病院も例にもれず医師不足は深刻であった。 
05年度に10人いた常勤医師は06年からは6人に減ってしまい、O市の副市長は東京にいる秋田県出身者や親類などあらゆる“つて”を使って医師を探していた。 

そこへ現れたのが東京の某医師紹介業者の自称「医療コンサルタント」のA氏であり、紹介料630万円と2年間にわたってコンサルタント料を毎月30万円払ってくれれば医師を連れてくると副市長に請け負った。 
実際にそれから一ヶ月もたたないうちにA氏は1人の女医を連れてきたのだが、履歴書には「防衛医科大学出身、現在某大学病院付属病院で研修中」と記載されていた。 

副市長はA氏と契約し、紹介料および2ヶ月分のコンサルタント料690万円を支払い、女医はO市民病院勤務を始めたが、直後に彼女がアルバイトを禁止された防衛医務官であることが発覚し、4日間で病院を去らねばならないはめとなったが、A氏は契約を盾に支払った金の返還には応じなかった。 
さらに、悪いことにこのカネの支出は事を急ぐあまりに議会の承認を受けていなかったことから、副市長は自腹で市の病院会計に補填し、退職に追い込まれるはめとなる。 
だが、副市長は自称「医療コンサルタント」のA氏をそれほど悪く思っていないという。 
なぜなら、過去にもっとひどい「医療コンサルタント」にたくさん会っており、あるときは紹介された医師と会ってみると「開業に失敗したので、その借金1億5000万円を肩代わりしてください。そうすれば働きます」と言われたこともあり、今回は実際に医師が来てくれたのだからずっとましだとのことだ。 

04年に研修医制度が変わり、大学の医局に残る医師が激減して医局に依存していた関連病院は医師の派遣を受けられなくなったため、各病院は独自に医師を探さねばならなくなったことが医師紹介業の激増の要因だが、問題は医療関係の人材紹介業にたいする法的規制が何もなく、悪質な業者の横行が野放し状態にあることだ。 
そして、深刻な医師不足に悩む秋田県のO市民病院関係者のようなワラにもすがる思いの人たちの足元を見てつけこむ悪質業者はあとを断たない。 

しかし、一般的に大学からも国からも県からも医師の派遣を期待できない状況では、人材紹介業者に頼みをつなげる他はないのも現実であり、それが“医療マーケット”の実態である。 
(以上、医療財務協会のHP掲載記事をアレンジしました) 

“医療マーケット”と「銚子市立病院再生準備機構」 
さて、野平市長は「銚子市立病院再生準備機構」なる組織を立ち上げて全国の“医療マーケット”から医師などを調達する仕事を請け負わせ、さらにこの組織がそれらの人材をもとにして再開後の市立病院の運営を一手にひきうける医療法人をも立ち上げるという“構想”を公にした。 
そして、野平市長ご自身や配偶者につながる人脈のなかから選びぬいた“専門家”を同機構に招聘し、“医療マーケット”から医師などの調達を始めるという。 

だが、“医療マーケット”は前章で述べたとおり、法的規制がなく悪質業者が横行する大きなリスクを伴なった世界であり、このような世界で銚子市の地域医療の中核を担い市民の命と健康に責任を負えるモラルの高い医師を見出すことができるかは疑問だ。 
これは同時に野平市長が医療スタッフの招聘を最初から人材紹介業界に頼らざるを得ないことを意味しており、選挙中の言明とは裏腹に野平市長が医師の世界でいかに人脈(人望か?)がなかったかを告白するものである。 

また、“身内”を集めて「銚子市立病院再生準備機構」の名で新たな医師紹介業組織を作ることは、この方たちへのおいしいビジネスチャンスの提供を意味する。 
医師確保などに成功すれば同機構に億単位の報酬が市民の税金から支払われるのであり、これでは市民の病院再開といった切実な願いを利用して、“身内”にビジネスの場を提供する市行政の“私物化”といわれてもしかたがあるまい。 

所詮、医師などの招聘を人材紹介業の世界に頼らざるを得ないのであれば、リクルートなど業界大手の老舗に委任すればよいのであり、リクルートに人材登録した医師の数は8千人にも上るという。 

また、同機構が新しく立ち上げる医療法人には再開後の市立病院の指定管理者を予定しているらしいが、この法人のトップである理事長にも“身内”の就任を予定しており、市立病院が「野平ファミリー病院」となる恐れが大きい。(当然利権も発生しておかしくない) 

銚子市議会の7月臨時議会について 
去る7月の臨時議会において同機構を立ち上げるための予算措置が野平市長から提案されたが、共産党の市議3人を除く22名がこれに賛成してしまったようだ。 
この予算措置に賛成した圧倒的多数の市議は野平構想の本質を理解したうえでこの予算措置に賛成しているのか。 

旭中央病院を見ればわかるが、諸橋芳夫という1人の医師が東大から小さな寒村の診療所にやってきて一生懸命に地域医療に献身した。 
そして、その志に共鳴した全国の医師が集まってきてあれだけの病院となったのであり、これこそが銚子市立病院再生のモデルにふさわしい。 

また、最近では破綻した夕張市立病院に独自の地域医療に関する哲学を持った村上医師が赴任したことで、病院自体は診療所に格下げされたにもかかわらず、彼の哲学に共鳴する少なからぬ医師が参集して夕張の地域医療が守られたという事例もあるが、これも銚子市立病院再生のモデルとすべきだ。 

前市長ではないが、この公立病院再生の分野でこそ銚子はすすんで「第二の夕張」となるべきだ。 
市会議員はただ執行部の提案に賛否を表明するだけの存在に留まっていては、市民にたいする責任を果たしたことにはなるまい。(すべて賛成する方も多いと聞くが) 
前向きで積極的な政策提案を市民にもわかるようにおこなうべきであり、そのためにも破綻した公立病院の再生に成功した各地の事例を調査研究するための視察を積極的におこなうべきだ。 

 2009年07月16日21:59 カテゴリ銚子市政について 

公設民営こそが銚子市立病院を救えた!(突然死を阻止できた)愛知県の過疎の町に公立病院を立派に立て直した事例がある! 

愛知県の北東部に東栄町という人口4400人の小さな町があるが、この町は木曽山系の南端に位置し、町の総面積の90%以上が山林で占められ、人口の4割が65歳以上という高齢化のすすんだ過疎の町である。 

ここに国保東栄病院という病床数70ほどの公立病院があり、同病院は病院内でおこなう医療だけではなく、医師不在の隣接する村々の患者に対して年間1000件以上の訪問診療をおこなうなど、愛知県のへき地医療を支える拠点病院の役割も果たしているという。 

だが、この病院もかっては非常に苦しい状態が続き、02年度から04年度まで経常収支の赤字が連続した結果、04年度末には6億円近い累積赤字を抱え込むまでに財政状態が悪化していた。 
東栄町は一般会計予算の総額が25億円ほどで財政基盤が弱体であり、すでにこの時点で町から病院赤字への補填は限界点にまで達しており、病院は破綻寸前の存続の危機に立たされていた。 

そこで、医療スタッフは病院再生委員会を立ち上げ、重大な決断に踏み出す。 
それは、病院を公設民営の運営に移行させることであり、同病院に勤務する病院職員を中心にして新たな医療法人を設立し、この法人が病院の運営を引き受けるというものであった。 

このことは医療スタッフ全員が公務員の身分から離れ、給与も民間レベルに下がることを意味しており、病院長も当初は給与の低下は職員の退職と医療レベルの低下につながることを懸念したが、病院存続のためにはこれしかないとの判断から踏み出したという。 
また、これは同時に、それまでは公務員定数や年功序列で機械的に上がっていく給与体系のために難しかった非正規職員(非常勤や委託職員)の正規職員化を可能にした。 
病院の公設民営化は非正規職員でありながらも献身的に頑張っていた彼らや彼女らに正規職員化の道を開き、これまで以上の頑張りへと士気を高めた。 

07年の4月には病院職員を中心として設立された医療法人「せせらぎ会」が東栄病院の運営受託を開始し、公設民営の病院がスタートしたが、現在では町の一般会計からの補助金の繰り入れがほとんどなくても病院の運営が可能となっているという。 

これを可能としたのは機械的に年功序列で上がっていくかっての給与体系から開放されたことであり、硬直的な“人件費構造”を克服したことが補助金繰り入れの大幅な削減を可能にした大きな要因であることは事実だ。 
こうして、破綻の瀬戸際にあった東栄病院は立ち直り、今では奥三河地方の医療・保健・福祉の中核的な病院として期待されるまでになっている。 

06年度には公設民営化に踏み出すべきだった銚子市 
さて、愛知県の東栄町とは対照的に、銚子市では前市長が選挙時の公設公営での病院存続という公約にこだわり、自分のメンツを保つことを第一に考えて、末期の進行ガンのように急速に悪化していた病院の状況を放置していたことが、08年の9月末の病院休止という突然死を招いた。 
06年度の時点で医師の数が6年前のピーク時から10人も減少し、患者数も大幅に減少するなかで、市の財政から毎年9億円の補助を受けなければ経営を保つことが出来なくなり、同年度末ですでに20億円を超える累積債務を病院が抱えるまでにいたった。 
また、医師の減少は病院の収入の大幅な減少につながり、収入に占める人件費比率が05年度末の時点ですでに70.5%にも達し、採算ラインといわれる50%はもちろん、公立病院の全国平均54.7%さえも大きく上回っていた。 

これらの指標は前市長が就任した06年度前後のものであり、さらなる悪化が予想されるこれらの指標を踏まえながら、前市長がそのリーダーシップを発揮して、この時点で公設民営化による抜本的な病院立て直しに着手しておれば、医師の立ち去りも止めることができたし、休止という最悪の結果の招来を防ぐことができた。 
どんなに遅くても、07年の10月に日大から医師の引き揚げ通告があった時点で抜本的な立て直しのための検討を直ちに始めるべきであった。 
また、その際には先に紹介した愛知県の東栄病院立て直しの事例をそのモデルとすべきであったし、他にもモデルとする事例は夕張市民病院など複数存在した。 

だが、前市長は状況を把握できず、公立病院として伝染病・精神科などの不採算医療を経営することを隠れ蓑にして銚子市からの補助金の投入を際限なく拡大し続けたが、この補助金は本来、不採算部門への繰り出しであり放漫経営を穴埋めするためのものではなかった。 
また、状況を認識できない前市長は、根拠のない楽観論に立ってなんとかなると高をくくっていた節がある。 
県知事に頼めば医師やお金をなんとかしてくれるし、また教え子にも医師がいるから声をかければ駆けつけてくれるだろうと能天気にも思い込んでいたようだ。 

また、市の幹部職員は職員の非公務員化を意味する公設民営化を提案できずに市長の顔色を伺うのみに終始したため、大事な病院職場を失ってしまった。 
また、議会議員も破綻寸前から立ち直った公立病院の先例を視察研究し、抜本的な提言をおこなうことで市民に対する責任を果たすべきであった。 

今にして思えば、早い時点での公設民営化による抜本的な病院立て直しの実行こそが銚子市立病院を存続させるための最善の策であったし、当時の常識に反し、逆説的ではあるが「民営化」と「効率化」こそが公的医療を守る決め手であった。 
だが、そのための最大のチャンスだった06年度や07年度に銚子市の関係者から公設民営化の提言がなされたとの記憶は私にはない。 
銚子市立病院の再生にむけての取り組みや提言はこの教訓を踏まえなくてはならない。 


(写真は国保東栄病院) 

なお、富山県の氷見市民病院での公設民営による自治体病院立て直しを取材した富山チューリップテレビによる追跡レポートが視聴できるサイトがあります。 
下記にそのサイトのURLを貼り付けましたので、興味のある方はご高覧を! 
http://video.google.com/videoplay?docid=5269470766964710255&hl=en