黒木登志夫・岐阜大学前学長は「大学病院は今や単なる大きな病院。研究もできず、高度な診察のための機器も買えない大学病院から医師が離れるのは当然。すでに『破綻のスパイラル』に入っている」と警鐘を鳴らす。



運営交付金の削減で、07年度の段階で42の国立大学病院のうち、16が赤字に転落した。「キャッシュフローベースではこの時点で28の大学病院が赤字であり、09年度には33病院が赤字となる見通し」(国立大学附属病院長会議の櫛山博・東大病院副院長)だという。こうした状況に黒木登志夫・岐阜大学前学長は「大学病院は今や単なる大きな病院。研究もできず、高度な診察のための機器も買えない大学病院から医師が離れるのは当然。すでに『破綻のスパイラル』に入っている」と警鐘を鳴らす。 

 注目される名大方式は、市中病院が卒後3~6年の研修を一貫して担い、その後初めて大学病院に異動、そこで勤務した後、次は指導医として市中病院に戻る。その結果「研修医、上級医、大学を経由した指導医といった指導システムが多くの市中病院に確立する」(植村教授)ことになる。こうした上下の指導体制を医療界では屋根瓦方式と呼んでいる。 市中病院としては、若手を育てて大学に帰せば、代わりに指導医が送られてくるため、研修医に選ばれるよう魅力的な研修プログラムをつくるようになる 
     
  

特集 徹底ルポ 病院・診療所--大学病院の苦闘--研修制度見直しでも大学病院の窮状続く
2009.07.18 週刊東洋経済 

特集 徹底ルポ 病院・診療所 

大学病院の苦闘・研修制度見直しでも大学病院の窮状続く・大学はエゴ丸出しで医師確保に走る。そこには採算を意識せざるをえない事情がある。 

 宮崎県内の救急医療で「県内の最優等生」と称されてきた宮崎県日向市。そんな同市の関係者に衝撃を与えたのは、今年4月、急性心不全の65歳男性が通報を受けてから病院に搬送されるまで1時間以上もかかったことだった。心肺停止状態だった男性は病院で死亡が確認された。救急隊は7病院から延べ10回、「受け入れ不能」と回答されていた。日向市消防本部は「10回も要請を断られ、搬送まで1時間もかかったことはまずなかった」と話す。 

 公的な救命救急センターのない、日向市を中心とする日向入郷医療圏で2次救急を長年担ってきたのは、民間3病院だった。輪番制で夜間、休日の時間外救急を支えてきた。3次救急は近隣の県立延岡病院が当たっている。ところがこの3病院のうち、2006年に済生会日向病院が、昨年には和田病院がこの輪番制から離脱し一部支援に転じた。 

 宮崎大学が派遣医師を大学病院に引き揚げたことなどで、2病院で医師が足りなくなった。和田病院の和田徹也院長は「医師が減る中での3日に一度の輪番の重圧感が、残る医師を疲弊させていた」と実情を語る。日向市によれば、ピーク時と比べて済生会日向病院で13人、和田病院で4人の医師が減っている。 

 唯一残る千代田病院の千代反田(ちよたんだ)泉会長も「土日、祝日は個人的なつてで、東京などから非常勤の医師を招き、かろうじて救急を維持している。年間7000万円の出費となるが、自治体からの補助金は焼け石に水。使命感だけでやっているが、正直限界を感じている」と語る。県立延岡病院も医師不足から診療科の休診が相次ぎ、大揺れに揺れている。 

 日向市や地元医師会も手をこまぬいてきたわけではない。日向市はこの4月、全国的にも珍しい市立の「初期救急診療所」を設置した。平日夜間の2次救急の負担を軽減するためだ。 

 ここで診察に当たる地元医師会も「従来からの日曜当番制に加え、初期救急診療所も全員で対応する」(日向市東臼杵(うすき)郡医師会の甲斐文明会長)と協力体制をとってきたが、冒頭の受け入れ不能が起きたのが開設の3日後。市立救急診療所がカバーしない土曜日だったとはいえ、市民にとって崩れつつある救急医療を実感させる出来事になってしまった。 

 日向市の黒木健二市長は「輪番制が崩れたのは宮崎大学が医師を引き揚げたのが主因。医師の臨床研修制度が医師引き揚げを招いた。地元の大学は、責任を持って医師の人事機能を果たしてほしい」と訴える。 

地元に定着しない 宮崎大の卒業生 

 04年導入の臨床研修制度は新卒の医師が内科や外科、小児科、産婦人科など、2年間主な診療科を回り、医師としての技量を身に付けるもの。幅広い分野の診察能力の修得を主眼としていた。

 ところが研修医は研修先の病院を選べるため、大学病院ではなく都市部の大病院や有力病院に研修医が集中してしまった。それまでは出身大学の医局に属して研修するパターンが多かったため、とりわけ地方の国立大学病院で研修医が足りない事態が生じた。08年度の宮崎大学医学部卒業生のうち、研修医として県内に残ったのはわずか20~25%。定着率は全国最低ランクだ。 

 宮崎大学医学部(当時は宮崎医科大学)は国の「一県一医大構想」に基づいて1974年に設立された。80年代には入試倍率が2倍を割り込むこともあった。そこで90年に導入したのが「ユニーク入試」だった。定員の半分を小論文や甲子園出場など高校時代の活動を評価して採るという、いわば一芸入試。小論文で50代の社会人が入学するなど話題となり、全国から志願者が殺到。94年には倍率は19倍までハネ上がった。反面、地元学生が減り続け、96年から3年間は県内出身者が1割以下に落ち込んでしまった。危機感を抱いた大学側は98年にユニーク入試を中止したが、地元受験生は戻らなかった。それが県内の医師不足となって今に及んでいる。 

 池ノ上克医学部長は「今から振り返ると壮大な実験だった。魅力的な医師が育ったのは事実だが、皆県外に去ってしまった」と総括する。 

 卒業生の県外流失は宮崎大だけの話ではない。臨床研修制度の導入以降は多くの地方国立大が同様の悩みを抱えており、県内の高校出身者を対象にした地域枠を設けている。地域枠の入学者は、04年度は5大学で43人程度だったのが、09年度は47大学で704人と急拡大している。 

 宮崎大でも06年度から県内の高校生を推薦枠などで優先的に入学させる地元枠を導入した。現在は地元出身者は3割にまで戻っている。 

 大学や地域医療の関係者にとり臨床研修制度は医師不足を招いた元凶とされる。全国医学部長病院長会議や日本医師会は研修制度を見直し、従来のように大学病院が地域の病院へ医師を派遣する役割を担うべきと主張してきた。 

 こうした声を受け、厚生労働省と文科省の「臨床研修制度のあり方等に関する検討会」は、今年2月、必修診療科は内科、救急、地域医療にとどめ、診療科目の選択制を広げる見直し案をまとめた。そして2年目からは将来進む専門にほぼ特化した研修も可能とすることで、2年目の研修医を特定診療科の研修医として事実上活用することが可能となった。2年研修は維持されたが、日本医師会が求めていた研修期間の1年短縮が実現されたとの解釈もできる。 

臨床研修制度見直しで地元への定着狙うが… 

 また、大都市圏への集中を防ぐため、都道府県別に研修医の定員の上限を設けることも盛り込まれた。厚労省はこうした見直しを行った新制度を10年度から適用する方針だ。 

 これを歓迎する声も上がるが、他方で基本的な医療技術を修得させることに効果を上げてきた研修制度を形骸化させるものだと批判の意見もある。研修制度のあり方検討会でも「研修制度が地域の医師不足を招いたと言われることに信憑性があるかどうか」とする意見が相次いだ。 

 研修制度が医師不足の元凶なのか、研修医を集められない大学病院のせいなのか。立場によって見方は分かれる。そんな中、衆目が一致するのは「優れた指導医や研修体制があればそこに人が集まる」という意見だ。大学病院でありながらそれを実践していると評されるのが名古屋大学だ。研修医に強い人気がある。 

 「名大方式」と称される独自の医師育成システムが始まったのは今から40年前。研修先となる市中病院は研修医が選択し、1年間はそこで主要診療科を回るというもの。現行の研修制度の雛形となったものだ。 

 最大の特徴は「地域中核病院と大学病院が協同で若手医師のキャリアパスをつくり、同時に地域の医療体制を築いてきた点」(名大病院・関連病院卒後臨床研修ネットワーク事務局長の植村和正教授)にある。 

 今の名大方式は、市中病院が卒後3~6年の研修を一貫して担い、その後初めて大学病院に異動、そこで勤務した後、次は指導医として市中病院に戻る。その結果「研修医、上級医、大学を経由した指導医といった指導システムが多くの市中病院に確立する」(植村教授)ことになる。こうした上下の指導体制を医療界では屋根瓦方式と呼んでいる。 

 市中病院としては、若手を育てて大学に帰せば、代わりに指導医が送られてくるため、研修医に選ばれるよう魅力的な研修プログラムをつくるようになる。 

 大学側も市中病院に信頼を寄せており、愛知県内の研修病院は年間450人から500人程度の研修医を採用するが、名大付属病院の募集定員は20名にすぎない。こうした方式の前提となっているのは、地域と大学病院、医師の3者の信頼関係だが、それが機能している。 


法人化により急悪化 赤字続出の大学病院 

 臨床研修を機に、研修医は大幅に減ったにもかかわらず、地域からの医師引き揚げ等によって、国立大学病院の医師数は着実に増加している。批判を受けようとも大学病院には医師を増やさければいけない事情があった。04年の国立大学の独立行政法人化である。大学法人化によって、大学病院は毎年1%の運営交付金が減らされ、さらに病院収入額に対応して毎年2%ずつ運営交付金が減らされるというダブルパンチに見舞われている。減収を補おうとすれば、人件費は増やさずに平均在院日数を縮め、新規入院患者の受け入れや外来患者を増やすしかない。 

 しかし運営交付金の削減で、07年度の段階で42の国立大学病院のうち、16が赤字に転落した。「キャッシュフローベースではこの時点で28の大学病院が赤字であり、09年度には33病院が赤字となる見通し」(国立大学附属病院長会議の櫛山博・東大病院副院長)だという。こうした状況に黒木登志夫・岐阜大学前学長は「大学病院は今や単なる大きな病院。研究もできず、高度な診察のための機器も買えない大学病院から医師が離れるのは当然。すでに『破綻のスパイラル』に入っている」と警鐘を鳴らす。 

 こうした実態から目を背け、研修医の自由な選択を諸悪の根源と見立て、地域枠で入り口、都道府県別の定員上限で出口を規制さえすれば万事解決というのは現実的でない。医療制度の持続可能性が揺らぐ中で、大学病院に「稼ぎ」を求めることが妥当なのか。国のグランドデザインが問われている。