公設民営こそが銚子市立病院を救えた!



 公設民営こそが銚子市立病院を救えた!(突然死を阻止できた) 愛知県の過疎の町に公立病院を立派に立て直した事例がある!2009年07月16日光をめざしてブログ 
病院の公設民営化は非正規職員でありながらも献身的に頑張っていた彼らや彼女らに正規職員化の道を開き、これまで以上の頑張りへと士気を高めた・・・それまでは公務員定数や年功序列で機械的に上がっていく給与体系のために難しかった非正規職員(非常勤や委託職員)の正規職員化を可能にした。 

愛知県の北東部に東栄町という人口4400人の小さな町があるが、この町は木曽山系の南端に位置し、町の総面積の90%以上が山林で占められ、人口の4割が65歳以上という高齢化のすすんだ過疎の町である。 

ここに国保東栄病院という病床数70ほどの公立病院があり、同病院は病院内でおこなう医療だけではなく、医師不在の隣接する村々の患者に対して年間1000件以上の訪問診療をおこなうなど、愛知県のへき地医療を支える拠点病院の役割も果たしているという。 

だが、この病院もかっては非常に苦しい状態が続き、02年度から04年度まで経常収支の赤字が連続した結果、04年度末には6億円近い累積赤字を抱え込むまでに財政状態が悪化していた。 

東栄町は一般会計予算の総額が25億円ほどで財政基盤が弱体であり、すでにこの時点で町から病院赤字への補填は限界点にまで達しており、病院は破綻寸前の存続の危機に立たされていた。 
そこで、医療スタッフは病院再生委員会を立ち上げ、重大な決断に踏み出す。 
それは、病院を公設民営の運営に移行させることであり、同病院に勤務する病院職員を中心にして新たな医療法人を設立し、この法人が病院の運営を引き受けるというものであった。 

このことは医療スタッフ全員が公務員の身分から離れ、給与も民間レベルに下がることを意味しており、病院長も当初は給与の低下は職員の退職と医療レベルの低下につながることを懸念したが、病院存続のためにはこれしかないとの判断から踏み出したという。 
また、これは同時に、それまでは公務員定数や年功序列で機械的に上がっていく給与体系のために難しかった非正規職員(非常勤や委託職員)の正規職員化を可能にした。 
病院の公設民営化は非正規職員でありながらも献身的に頑張っていた彼らや彼女らに正規職員化の道を開き、これまで以上の頑張りへと士気を高めた。 

07年の4月には病院職員を中心として設立された医療法人「せせらぎ会」が東栄病院の運営受託を開始し、公設民営の病院がスタートしたが、現在では町の一般会計からの補助金の繰り入れがほとんどなくても病院の運営が可能となっているという。 
これを可能としたのは機械的に年功序列で上がっていくかっての給与体系から開放されたことであり、硬直的な“人件費構造”を克服したことが補助金繰り入れの大幅な削減を可能にした大きな要因であることは事実だ。 
こうして、破綻の瀬戸際にあった東栄病院は立ち直り、今では奥三河地方の医療・保健・福祉の中核的な病院として期待されるまでになっている。 

06年度には公設民営化に踏み出すべきだった銚子市 
さて、愛知県の東栄町とは対照的に、銚子市では前市長が選挙時の公設公営での病院存続という公約にこだわり、自分のメンツを保つことを第一に考えて、末期の進行ガンのように急速に悪化していた病院の状況を放置していたことが、08年の9月末の病院休止という突然死を招いた。 
06年度の時点で医師の数が6年前のピーク時から10人も減少し、患者数も大幅に減少するなかで、市の財政から毎年9億円の補助を受けなければ経営を保つことが出来なくなり、同年度末ですでに20億円を超える累積債務を病院が抱えるまでにいたった。 
また、医師の減少は病院の収入の大幅な減少につながり、収入に占める人件費比率が05年度末の時点ですでに70.5%にも達し、採算ラインといわれる50%はもちろん、公立病院の全国平均54.7%さえも大きく上回っていた。 

これらの指標は前市長が就任した06年度前後のものであり、さらなる悪化が予想されるこれらの指標を踏まえながら、前市長がそのリーダーシップを発揮して、この時点で公設民営化による抜本的な病院立て直しに着手しておれば、医師の立ち去りも止めることができたし、休止という最悪の結果の招来を防ぐことができた。 
どんなに遅くても、07年の10月に日大から医師の引き揚げ通告があった時点で抜本的な立て直しのための検討を直ちに始めるべきであった。 
また、その際には先に紹介した愛知県の東栄病院立て直しの事例をそのモデルとすべきであったし、他にもモデルとする事例は夕張市民病院など複数存在した。 

だが、前市長は状況を把握できず、公立病院として伝染病・精神科などの不採算医療を経営することを隠れ蓑にして銚子市からの補助金の投入を際限なく拡大し続けたが、この補助金は本来、不採算部門への繰り出しであり放漫経営を穴埋めするためのものではなかった。 
また、状況を認識できない前市長は、根拠のない楽観論に立ってなんとかなると高をくくっていた節がある。 
県知事に頼めば医師やお金をなんとかしてくれるし、また教え子にも医師がいるから声をかければ駆けつけてくれるだろうと能天気にも思い込んでいたようだ。 

また、市の幹部職員は職員の非公務員化を意味する公設民営化を提案できずに市長の顔色を伺うのみに終始したため、大事な病院職場を失ってしまった。 
また、議会議員も破綻寸前から立ち直った公立病院の先例を視察研究し、抜本的な提言をおこなうことで市民に対する責任を果たすべきであった。 

今にして思えば、早い時点での公設民営化による抜本的な病院立て直しの実行こそが銚子市立病院を存続させるための最善の策であったし、当時の常識に反し、逆説的ではあるが「民営化」と「効率化」こそが公的医療を守る決め手であった。 
だが、そのための最大のチャンスだった06年度や07年度に銚子市の関係者から公設民営化の提言がなされたとの記憶は私にはない。 
銚子市立病院の再生にむけての取り組みや提言はこの教訓を踏まえなくてはならない。