開業医から病院への報酬配分の見直し論は皮相・・ 仁木 立(日本福祉大学教授)

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私の視点  2009.6.9 日経メディカルオンライン 

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財政制度等審議会「建議」の医療改革方針を読む 
開業医から病院への報酬配分の見直し論は皮相 
二木 立(日本福祉大学教授) 
  
 財政制度等審議会は6月3日に建議「平成22年度予算編成の基本的考え方について」(以下、今年の「建議」または「建議」)を取りまとめました。「建議」は、財政再建を至上命題としている財務省による、毎年6月下旬に閣議決定される「骨太の方針」に対する「最大限要求」と言えますが、「骨太の方針」と異なり政府に対する拘束力はなく、しかも毎年の「骨太の方針」決定後は「死文書」化します。 

 しかし、今年の「建議」の医療改革方針は8頁におよぶ長大なものであり、しかも「社会保障の機能の強化」という麻生政権の基本方針に逆行するどころか、小泉政権の医療制度改革についての閣議決定(2003年3月)にすら反する時代錯誤的な方針が書かれています。その上、厚生労働省の各種審議会・委員会の報告にはない、診療報酬抑制の新たな手法も含まれています。そこで、「建議」中の医療改革方針を取り上げることにしました。 


混合診療解禁論の復活は閣議決定違反 

  
 今年の「建議」の議論の途中では、「骨太の方針2006」の社会保障費抑制目標が見直される可能性も取りざたされました。しかし、最終的には、今年の「建議」でも、「『基本方針2006』等でも示されている歳出改革の基本的方向は維持する必要がある」とされ、従来の方針が踏襲されました。 

 そのためもあり、「建議」では、医療に関して、保険料や税負担を増やして、公的医療費(医療給費費)を大幅に増やす「選択肢」は最初から排除され、逆にそれを抑制するために「私的医療支出(自己負担や民間保険等)を増やす」ため、「混合診療の解禁」と「保険免責制の導入」を柱とするさまざまな方策が示されています。 

 この点では、社会保障国民会議「最終報告」(昨年11月)が、医療の効率化を行った場合でも、国民医療費は2025年には「現状投影シナリオ」よりも増えることを初めて認め、そのための「追加的に必要となる公費財源」の規模を明示したこと、および医療費の公費負担割合は将来とも変わらないことを前提にして「医療・介護費用のシミュレーション」を行ったのと対照的です。 

 しかも見落とせないことは、「建議」が混合診療解禁と合わせて、「公的医療給付については、…真に必要なものに給付の範囲を重点化する」ことを主張していることです。しかし、この主張は、小泉政権時代の閣議決定(2003年3月)が「社会保障として必要かつ十分な医療を確保しつつ、患者の視点から質が高く最適の医療が効率的に提供されるよう、必要な見直しを進める」と規定したことに反しており、明らかに閣議決定違反です。 


私的医療支出の大幅増加は非現実的 

  
 今年の「建議」は、混合診療の解禁や保険免責制の導入の根拠として、日本の「私的医療[自己負担や民間保険等]支出対GDP比が、主要国やOECD平均と比べて大きく下回っており、特に、民間保険等の割合は極めて小さくなっている」ことをあげています。しかし、これは次の3つの理由から、まったく皮相な主張です。 

 第1に、患者の自己負担は対GDP比で比較するだけでなく、総医療費に対する割合でも比較すべきであり、日本のこの割合は主要先進国(G7)中最高です。第2に、日本の総医療費中の民間保険等の割合が低い理由の1つは、それに「生命保険大国」である日本の生命保険特約等の事実上の民間医療保険の給付費が含まれていないからです。第3に、民間保険の位置付けは国によってまったく異なり、この比率を単純に国際比較することはできません。日本では民間保険というと個人が保険料をすべて負担する個人保険を連想しがちですが、アメリカやヨーロッパ諸国の民間医療保険には企業・雇用主が保険料をすべて~大半負担するものが少なくありませんし、アメリカではそれが主流です。 
  

開業医から病院への診療報酬の配分の見直し論は皮相 

 冒頭述べたように、今年の「建議」には、厚生労働省の各種審議会・委員会の報告にはない、診療報酬抑制の新たな手法が含まれています。それは、「病院・診療所間における医師の偏在…医師の病院離れ」を是正する「経済的手法」として「診療報酬の配分や報酬体系を見直すこと」です。これは、診療所の診療報酬を大幅に引き下げ、それを財源として病院の診療報酬を引き上げることを意味します。 

 このような見直しの根拠として、「建議」は、「勤務医の開業志向」の強まりは、「勤務医が厳しい勤務状況に置かれている中で、平均年収(約1415万円)が、開業医の概ね半分程度であることなども、その要因」と、いわば医師の就業形態の所得決定論を主張しています。「建議」は、診療報酬総額を増やさなくても、病院と診療所間の診療報酬の配分を見直せば、病院勤務医不足は解消すると考えているようです。 

 しかし、これは歴史的事実に反します。なぜなら、現在とは逆に、病院勤務医が急増し、開業医が減少することが医師問題の焦点となっていた1980年代後半には、勤務医と開業医の所得格差(正確に言えば、後者は「医業収支差額」)は約3倍であり、現在の2倍よりはるかに高かったのです。この歴史的事実は、上述した所得決定論では説明できません。 

 もう1つ、私にとっても意外な事実があります。それは、医療界だけでなく、社会的に半ば常識化している「勤務医の開業医志向」の高まりは、全国データではまだ実証されていないことです。まず、厚生労働省「医師・歯科医師・薬剤師調査」によると、2000~2006年(これが最新数値)の6年間、医師総数に対する診療所の開設者の割合は、27.1%から25.6%へと漸減し続けており、まだ「反転」は生じていません。次に、厚生労働省「医療施設動態調査」によると、1990年代以降高水準を保っていた一般診療所の増加率が2008年に急激に鈍化し、2009年2月には一般診療所の実数が減少に転じています(日本医師会)。 

 私は、現在の医療危機を克服するためには、病院勤務医の待遇改善が不可欠であり、そのためには病院の診療報酬の大幅引き上げが必要であると考えていますが、それを診療所の診療報酬の大幅引き下げで賄うと、今度は診療所の機能の低下、ひいては地域の第一線医療の崩壊が生じて、現在以上に患者が病院に集中し、結果的に医療費も不必要に増加する危険があると思っています。 

 「建議」は、医師の偏在の是正の具体的手法として、このような経済的手法に加えて、「規制的手法」も提起しています。私は、現在の医療危機克服の「必要条件」は公的医療費と医師数の大幅増加と考えていますが、短期的には、都道府県単位での医師会・大学医学部・病院団体の合意によるさまざまな「自主規制」も必要だと判断しています。しかし、「建議」のように、この「必要条件」を無視して、規制的手法=官僚統制を導入すると、医師のモラールが低下し、逆に医療危機が進行すると思います。 


一病院経営者の主張を7回も引用 

 今年の「建議」の「医療」の項には、従来の「建議」にはまったく見られない特異な叙述手法があります。それは、「建議」の審議経過でヒアリングを行った亀田隆明医療法人鉄蕉会理事長の個人的主張または氏の提出した資料を、「病院経営者」の主張としてなんと7回も引用し、それを「建議」の医療改革方針の根拠としていることです。しかし、亀田氏がどんな病院団体も代表していないだけでなく、氏の主張は「混合診療の解禁」をはじめ、大半の病院団体の主張と正反対なことを考えると、この手法は余りに恣意的です。 

 私は、厚生労働省をはじめ、政府・各省庁の審議会・委員会の報告書を長年読んできましたが、一個人の主張をこれほど繰り返し、無批判に引用したものを見たことがありません。一般の報告書よりも格の高い「建議」にこのような恣意的手法が使われていることは、結果的にそれの権威を貶めることになると思います。 


吉川洋氏は2人いる? 

 私は今年の「建議」を読みながら、ある違和感を感じました。それは、吉川洋氏は2人いるのではないか?というものです。 

 吉川洋氏(東京大学大学院教授)は、小泉政権時代、経済財政諮問会議民間議員として6年弱、厳しい医療費抑制策と医療分野への市場原理導入策を主導しました。しかし、福田内閣が2008年1月に発足させた社会保障国民会議では議長として、「社会保障の機能の強化」を盛り込んだ「最終報告」をとりまとめました。上述したように、この「最終報告」は、総医療費の拡充を提唱する一方、小泉政権時代に経済財政諮問会議で吉川氏等が主張した混合診療の解禁や保険免責制の導入は棚上げしました。私は、この時点では、吉川氏が、時代の風の変化に対応して主張を変えたのだと、やや肯定的に理解していました。 

 しかし、吉川氏が委員として参画している財政制度等審議会の今年の「建議」を読んで、小泉政権時代の経済財政諮問会議の主張の大半が復活していることを知り、吉川氏が社会保障国民会議の座長および財政制度審議会の委員として、ほぼ同一時期に、ほとんど逆の主張をしていることに驚き、上述した違和感をもった次第です。 


時代錯誤の「建議」の背景とその影響力 

 最後に、以上述べてきたように、現在の麻生政権の「社会保障の機能の強化」方針にも反する、時代錯誤的で恣意的な「建議」がとりまとめられた背景と「建議」の影響力について簡単に考えます。 

 私は、今年の「建議」には、麻生政権が次々に打ち出すバラマキ型の補正予算や本予算で、財政規律が大きく崩れたことに対する財務省の強い危機感が現れていると思います。特に15兆4000円に達する「経済危機対策」(その大半が本年度の補正予算で措置)のうち厚生労働省関係予算は4兆6718億円であり、毎年の社会保障費の抑制目標2200億円のなんと21年分に達しています。そのために、財務省は2010年度予算では財政規律を少しでも回復すべく、「建議」で「骨太の方針2006」の維持をなりふりかまわず押し通したのだと思います。 

 他面、本年9~10月までに総選挙が必ず行われ、しかも自由民主党の劣勢が伝えられていることを考慮すると、政府・自民党が、6月下旬に閣議決定される予定の「骨太の方針2009」に、医師会や医療団体が強く反対し、小泉政権さえ実現できなかった混合診療の全面解禁や保険免責制の導入、あるいは診療所の診療報酬の大幅引き下げを盛り込むとは考えられません。現時点で可能性があるのは、与謝野財務相が「相当ボロボロになっている旗」と自嘲している「骨太の方針2006」の社会保障費抑制方針を形式的に「維持」するのがやっとだと思います。 

※本稿は、『文化連情報』2009年7月号に掲載予定の同名の拙論の圧縮版です(文献は省略)。