三重県が病院事業庁を設けて全部適用が始まったのは一九九九年四月・・・全部適用で改革したふりを続けた10年であったことを率直に認めなければ,議会の協力は得られない。

 

 三重県が病院事業庁を設けて全部適用が始まったのは一九九九年四月・・・全部適用で改革したふりを続けた10年であったことを率直に認めなければ,議会の協力は得られない。
 三重県立病院改革の基本方針案  一志病院(津市)は民間譲渡、志摩病院(志摩市)は県立のまま運営を民間の指定管理者に委ね、総合医療センター(四日市市)は一般地方独立行政法人に移す。三重県病院事業庁は廃止し、こころの医療センター(津市)だけを県が直営する。三重県は方針決定から3年をめどに実現させるとしている・・・何故3年かける???本気なら1年で出来る! 今頃聖域に挑戦してこなかったことを自認している・・・「四病院の全部適用では、医療を取り巻く環境の大きな変化に対応していけない」。県立病院改革プロジェクトの大井真史推進監は「足かせが多い」と他人事である。 


地域医療の行方 県立病院改革案 (1) 経営悪循環 事業庁一括に限界 
2009.04.24中日新聞  

 【三重県】「このままでは病院が総崩れになる」。二月十七日の県議会全員協議会。県立病院の改革案を示した野呂昭彦知事は議員の反発を浴びながら、険しい表情で窮状を訴えた。 

 四つの県立病院は悪循環に陥っている。根底にあるのは医師や看護師の不足だ。診療体制の縮小を余儀なくされ、収益が減る。すると、より良い勤務環境を求め、さらに医師らが離れていく-。 

 四病院の医師数は昨年四月一日現在、定数百四十七人に対して百十八人。看護師は定数に八十一人も足りない六百三十一人。全体の経常収支は二〇〇四年度から赤字続き。本年度も十八億円近い赤字となる見通しだ。 

 「四病院は機能も、規模も、抱えている課題も違う。一括の運営形態では窮地から抜け出せない」。野呂知事は語気を強める。 

 四病院は「地方公営企業法の全部適用」という仕組みで運営されている。県病院事業庁長が四病院を統括し、全体の運営方針を立てて予算や人事などを決める。各病院には院長がいるが、独自の運営はできない。事業管理者は病院事業庁長一人に限られているためだ。 

 病院事業庁を設けて全部適用が始まったのは一九九九年四月。きっかけは病院経営の悪化だった。団塊世代が昇級するにつれて人件費が増え、八七年度から毎年赤字に。九六年度末には累積赤字が百十五億円を超えた。 

 県立病院を知事部局から独立させ、柔軟に運営できるようにしたい。「そのための選択肢は当時、民間移譲か、全部適用しかなかった」。同庁県立病院経営室の稲垣雅美副室長は説明する。 

 「全部適用で経営に対する職員の意識が高まった」と述べる。民間委託していた検査などを自前で行い経費を削る。臨時職員を活用して人件費も抑えた。経営改善が進み、二〇〇一年度から三年連続で黒字を達成。累積赤字もいったんは消えた。 

 しかし、〇四年四月、新しい臨床研修医制度が始まった。医師免許取得後の研修先を自由に選べるようになり、研修医が臨床例の多い都市部に流れていった。〇二年度からの診療報酬引き下げも響き、経営は再び悪化の一途をたどり始めた。 

 「四病院の全部適用では、医療を取り巻く環境の大きな変化に対応していけない」。県立病院改革プロジェクトの大井真史推進監は「足かせが多い」ことを理由に挙げる。 

 「制度上は独自の権限で何でもできるようになっているが、給与や人事はオール県庁での調整が必要。四病院全体を考えた運営も求められ、一つの病院を特別扱いできない」。例えば、特に医師不足が深刻な志摩病院(志摩市)だけ、待遇を手厚くして医師を呼び込むことはできない。 

 人事交流で、事務担当の職員は数年ごとに病院と知事部局を行ったり来たり。医療や経営に精通した人材が育ちにくいのも問題だ。 

 「病院機能を廃止するのではない。良質で満足度の高い医療を提供していくためだ」。野呂知事は改革の目的を力説する。だが、その病院の具体像はまだ見えない。 

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 県が示した県立病院改革の基本方針案は、県議会や地域住民に波紋を投げ掛けた。地域医療を支えてきた県立病院。なぜ今、改革が必要なのか。病院はどう変わるのか。揺れる現場を追った。 

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  県立病院改革の基本方針案  一志病院(津市)は民間譲渡、志摩病院(志摩市)は県立のまま運営を民間の指定管理者に委ね、総合医療センター(四日市市)は一般地方独立行政法人に移す。病院事業庁は廃止し、こころの医療センター(津市)だけを県が直営する。県は方針決定から3年をめどに実現させるとしている。