新しい臨床研修制度は入省以来ずっと考えていた」と伊藤雅治氏は明かす。学生の大半が卒業後すぐに医局に入る当時の研修では知識が専門に偏り、総合的な診療能力が身につかないと感じていた。教授を頂点とするピラミッド型の医局組織からは、低賃金で重労働を強いられる研修医の悲鳴も聞こえていた。



新しい臨床研修制度は入省以来ずっと考えていた」と伊藤雅治氏は明かす。学生の大半が卒業後すぐに医局に入る当時の研修では知識が専門に偏り、総合的な診療能力が身につかないと感じていた。教授を頂点とするピラミッド型の医局組織からは、低賃金で重労働を強いられる研修医の悲鳴も聞こえていた。 
 伊藤氏は現在、全国社会保険協会連合会の理事長だ。傘下の社会保険病院の多くが医師不足に悩む。「医局の力がある程度弱まるとは予想していたが、起きた現実は予想を超えた。医師の偏在を直す仕組みを同時に入れなかったのはまずかった」・・・・ 
医師の人事に自治体の首長は無力。市民は選挙などを通じて病院の維持・拡充を市長に託す。しかし市長は、病院経営の要である医師の人事権を持たない。選挙とは無関係な大学教授が地域医療の生殺与奪を握っている。構造的な問題が新臨床研修制度を機に噴出した。 
問題は「医師の人事」の問題を直視せず、対策を先送りしてきた厚労省の姿勢だ。自治体病院問題は総務省任せ、地域医療の全体像を示す医療計画の策定は都道府県任せにした。しかし、総務省や自治体も医師の人事には関与できず、責任ある改善策を示せない。皆保険制度なのに住む場所や病気によって必要な医療が受けられず、一方で「人事のゆがみ」が現場の勤務医に過剰な負担を強いている 

  


(公貧社会 支え合いを求めて)厚労省の罪:7 医師研修改革、苦しむ地方 
2009.03.27 朝日新聞   
  

 重苦しい空気が漂っていた。地域の病院からの医師引き揚げに踏み切るかどうかの決断を迫られ、誰も口を開かない。 

 富山大学医学部・小児科医局。宮脇利男教授(現医学部長)のもとに、「医局員」と呼ばれる大学病院の小児科医や研究を続ける大学院生らが集まっていた。06年のことだ。 

 医局は県内12の病院に20人以上の医師を送り込む、地域小児医療の「心臓部」だ。ところが、医学部卒業後2年間の「初期臨床研修」が義務化された04年度から3年間で、入局した新人医師はたった1人。教育、研究、診療の三役を担う医局本体を守りつつ、医師派遣を続けることは難しくなっていた。 

 医局の総意で「引き揚げ」に決まりかけた時、大学院生の1人が口を開いた。「僕が研究を休んで病棟に入ります」。他にも数人の院生が同調し、医師派遣は続けられることになった。 

 宮脇教授の携帯電話には、小児科志望の学生の電話番号とメールアドレスがびっしり登録されている。研修先の選択を控えた学生を勉強会や懇親会に誘うなど連絡を絶やさない。07~09年度はなんとか入局者を計10人近く確保した。 

 ただ、こうした個々の努力には限界がある。 

 初期研修病院は、各学生が希望する病院のリストと、事前面接などを経て病院がまとめる希望学生のリストをコンピューターで突き合わせ、決めていく。 

 調整にあたる医師臨床研修マッチング協議会によると、09年春卒業予定者の研修病院選びで、富山県内での研修希望者は9病院、延べ78人。病院単位で最多だった東京大学付属病院の希望者延べ1064人の13分の1以下だ。結果は、県内の募集定員102人に対して埋まったのは40人。充足率39%は全国最低だった。学生の都会志向、有名病院志向は止まらない。 

     * 

 通常勤務を終えると、18床から23床に増えた新生児集中治療室(NICU)の患者を夜中まで診て回る。翌日夜まで36時間連続勤務も当たり前だ。「月6回も当直しているのは同期で私ぐらいでしょう」。富山県立中央病院(富山市)小児科の畑崎喜芳部長(51)は苦笑する。 

 昨年春、近くの富山市民病院で小児科医2人が退職した。富山大によると、うち1人は富山大を卒業後、初期研修から市民病院を選んだため医局とのつながりはなかったという。こうした事情も絡んで大学から代わりの医師の派遣はなく、14床のNICUは4月に閉鎖された。 

 市内でNICUがある県立中央、富山大付属の2病院には重症の新生児だけでなく、早産の恐れがある妊婦の搬送も集中し、小児科医と産科医の負担が同時に増している。県立中央の小児科医は8人から10人に増やすことになったが、若手医師に月8回の当直をこなしてもらわないと回らない。 

 県立中央の小児科医の「供給源」は富山大と金沢大だ。双方の医局に新人が何人入るのか、畑崎部長は常に気にしている。「大学からの医師供給が断たれたら地方の病院はおしまい。妊婦や新生児を乗せた救急車を県外に向かわせることになる」 

 県は「新富山県医療計画」(08~12年度)で、異常出産や新生児の救急患者を輪番で受け入れる「最後のとりで」に県立中央、富山大付属、富山市民の3病院を定めていた。計画初年度からその一角が閉鎖される事態にも、県の医療計画担当は「医師の配置は教授の考え次第。県の対応は限られる」。 

 力を入れるのは学生のつなぎ留めだ。特定の診療科か県内公的病院での勤務を条件に月4万~7万円を出す奨学金制度を05年度に始めた。ただ、近隣県との競争で「奨学金相場」はうなぎ登り。09年度からは、将来勤める医療機関と診療科双方を縛る条件で、入学金・授業料全額と月10万円を出すことにした。 

 しかし、金銭に釣られるほど医学生の選択は単純ではない。 

 「育児休暇・短時間勤務保証」「救命救急センターで経験値UP!」--。3月1日、北陸地方の医学生を対象に、医師紹介会社の主催で研修病院をPRするイベントが金沢市で開かれた。ポスターや旗で飾られた37病院のブース。名札を下げた学生に次々と声がかかる。 

 富山大5年の男子学生(23)は、地元出身で小児科志望。県内病院を中心に回ったが、指導者となる小児科医の少なさが気になった。「小児科の先生は1人」という病院は候補から消した。地域医療を支えていきたいが、まずはいい小児科医になりたい。「県外で初期研修を受けてから地元へ戻ることも選択肢。じっくり考えます」 



 ●引きずる「厚労VS.文科」 

 「医局が臨床研修を牛耳るのは問題。新たな臨床研修施設群を設置してはどうか」。95年7月。厚生省の伊藤雅治審議官(当時)のある学会での発言が波紋を呼んだ。医師の育成を担ってきた大学医学部は旧文部省管轄。そこに厚生省幹部が口を挟むことは「タブー」だった。 

 「新しい臨床研修制度は入省以来ずっと考えていた」と伊藤氏は明かす。学生の大半が卒業後すぐに医局に入る当時の研修では知識が専門に偏り、総合的な診療能力が身につかないと感じていた。教授を頂点とするピラミッド型の医局組織からは、低賃金で重労働を強いられる研修医の悲鳴も聞こえていた。 

 厚生省は90年代前半から、新人医師が研修先を選び、幅広い診療科を経験できる新制度の準備に着手。10年がかりで導入にこぎつけた。大学と文部省は当初猛反発したが、「研修医が研修に専念できる環境をつくる」という厚生省の「正論」を前に、反対論はしぼんでいく。「学生が研修先を選ぶ制度になっても、当然大学病院が選ばれると思っていた」。当時の外科系の大学教授は振り返る。 

 伊藤氏は現在、全国社会保険協会連合会の理事長だ。傘下の社会保険病院の多くが医師不足に悩む。「医局の力がある程度弱まるとは予想していたが、起きた現実は予想を超えた。医師の偏在を直す仕組みを同時に入れなかったのはまずかった」 

 異変は、04年度に新研修制度が始まる前から起きていた。「手持ち」の研修医が減ることを見越した大学医局による医師引き揚げの動きが02年末ごろから表面化。03年2~3月に行った病院団体の緊急調査で、「医師の引き揚げがあった」と回答した病院が17%に達した。 

 03年2月。嘉山孝正・山形大学付属病院長(当時)は、厚生労働省内で木村義雄副大臣と向き合った。新研修制度への評価を聞かれた嘉山氏は答えた。「パンドラの箱を開けることになる。地域医療は崩壊します」 

 厚労省の受け止めは違った。03年3月、新制度の準備にあたる同省の作業部会。緊急調査結果について厚労省幹部は「私どもの新しい医師臨床研修だけの影響ではないと思う」と述べ、国立大学の法人化や診療報酬改定にも医師引き揚げの原因があるとした。新制度は予定通りその1年後に始まった。 

 開始から5年。厚生労働、文部科学両省による研修制度の見直し案が2月にまとまった。必修の研修課程は実質1年で終え、2年目には将来希望する診療科での研修にほぼ専念できる。「研修の効果は出ている」として制度の大枠を残したい厚労省と、医局に研修医を呼び戻すため、大学病院に好都合な見直しを引き出したい大学側、その背後にいる文科省。思惑を足して二で割った、「霞が関」らしい折衷案だ。(野沢哲也) 



 ●医療の人事、自治体無力 

 能登半島の付け根、富山県氷見市にある氷見市民病院が昨年4月、運営を民間に任せる「公設民営化」に踏み切った。新臨床研修制度を機に富山大学などからの医師派遣が細り、患者減、収益悪化の悪循環に陥ったためだ。市は、新たな管理者に金沢医科大学(石川県)を指定した。医師の供給源である大学に病院経営を丸ごと任せるという、究極の医師確保策だ。 

 ところがその決定に、富山大側が「他大学の名前が付いた病院では働けない」などと猛反発。結局、約20人いた富山大系の医師はほぼ全員が病院を去り、ほぼ同数を金沢医大が埋める形で「金沢医大氷見市民病院」がスタートした。堂故茂市長は「大学共存のモデルにしたかったが、無理があった」と振り返る。 

 この取材を通じ、「医師の人事」に自治体の首長がいかに無力かを痛感した。市民は選挙などを通じて病院の維持・拡充を市長に託す。しかし市長は、病院経営の要である医師の人事権を持たない。選挙とは無関係な大学教授が地域医療の生殺与奪を握っている。構造的な問題が新臨床研修制度を機に噴出した。 

 矛盾を抱えた構造は新制度の前も同じだが、かつては大学の医局に余裕があったため、医師の引き揚げがあると別の大学がすかさず医師を送り込んだ。この「縄張り争い」のおかげで、地域医療には大きな穴は開かなかった。 

 研修制度が変わり、医学部卒業生の約半数は大学病院以外での研修を選んだ。人手不足の大学が医局存続のために医師引き揚げに走ったのは当然の成り行きと言える。 

 医師は専門とする診療科を自由に選べる。さらに人事面で教授の影響力が弱まり、勤務先も本人の希望が尊重されるようになった。開業の自由もある。慢性的な医師不足のなかで医師が診療科や勤務先を選べば、どこかに穴が開くのも当然の成り行きだろう。 

 問題は「医師の人事」の問題を直視せず、対策を先送りしてきた厚労省の姿勢だ。自治体病院問題は総務省任せ、地域医療の全体像を示す医療計画の策定は都道府県任せにした。しかし、総務省や自治体も医師の人事には関与できず、責任ある改善策を示せない。皆保険制度なのに住む場所や病気によって必要な医療が受けられず、一方で「人事のゆがみ」が現場の勤務医に過剰な負担を強いている。 

 厚労省や文科省はようやく、医学部の定員増や医療費抑制策の見直し、研修制度の修正に乗り出した。しかし「医師配置の責任を誰が負うのか」という根っこの議論を置き去りにしたままでは、効果は期待薄だ。