志のある医師が集まると患者が集まる。佐久市だけでなく、県外からも患者が来る。新たな「基幹医療センター」が必要になったのはこのためだ。 もちろんイメージだけではうまくいかない。「殉教者的な医療ではなく、医師が普通の生活で、よい医療を提供する方が大事だ。

  志のある医師が集まると患者が集まる。佐久市だけでなく、県外からも患者が来る。新たな「基幹医療センター」が必要になったのはこのためだ。 
もちろんイメージだけではうまくいかない。
「殉教者的な医療ではなく、医師が普通の生活で、よい医療を提供する方が大事だ。それを可能にするのはしっかりした経営だ 佐久総合病院の職員数は医師を含め約1800人。本院、小海分院、老人保健施設などを合わせ約1200のベッド数を抱えるが、本院が手狭になり、「地域医療センター」(300床)を残し、佐久市中心部に高度医療を担う「基幹医療センター」(450床)を設ける。2、3年後にオープンする計画だ。平尾勇・長野経済研究所理事らが、移転に伴う経済効果をはじいた。新築などで誘発される雇用は2360人、職員や患者、見舞客らの消費が増えることによる「雇用誘発効果」は3年間で6300人という結果だった   
  
    


(列島けいざい09)病院拠点に町づくり 駅に診療所 長野・佐久総合病院 
2009.03.07朝日新聞  
  不況で地域経済が傷むなか、医療や福祉分野の経済波及効果が注目されている。長野県では、地域ネットワークを築いてきた佐久総合病院を軸とした「町づくり」が動き出している。 

長野県東部、千曲川に沿って走るJR小海線の小海駅。改札口を抜けてすぐ左側の駅舎に「診療所」の入り口。明るい待合室で、お年寄りたちが診察の順番を待っていた。JA長野厚生連が運営する佐久総合病院の小海診療所。開設された00年当時、駅舎内の有床診療所は珍しかった。 

 「医者に診てもらい、食事して買い物して電車で帰る人がたくさんいた」。診療所に隣接するレストラン店長の新津次男さんは言う。駅前の商店街では改装する店舗が相次いだ。「診療所がなくなったら、駅前はさびれてしまう」 
周辺町村には、この駅舎内をはじめ診療所が六つある。中心となるのが、佐久総合病院小海分院だ。分院から6診療所に医師が派遣され、24時間救急往診体制を敷く。小海分院を核とした「医療ネットワーク」だ。 
ネットワークが地域に及ぼすのは、いつでも医療サービスが受けられるという「安心」だけではない。街のにぎわいを取り戻し、雇用を増やすという経済効果もある。 

 佐久総合病院の職員数は医師を含め約1800人。本院、小海分院、老人保健施設などを合わせ約1200のベッド数を抱えるが、本院が手狭になり、「地域医療センター」(300床)を残し、佐久市中心部に高度医療を担う「基幹医療センター」(450床)を設ける。2、3年後にオープンする計画だ。平尾勇・長野経済研究所理事らが、移転に伴う経済効果をはじいた。新築などで誘発される雇用は2360人、職員や患者、見舞客らの消費が増えることによる「雇用誘発効果」は3年間で6300人という結果だった。 

 JA長野厚生連の盛岡正博専務理事は「医療による地域経済活性化」を掲げる。協力を打診された小池民夫・小海町長も「医療を中心に町おこしをやる」と応じる。4月から、町と病院、町観光協会などで検討委員会をつくり、具体的な観光政策を話し合う。小池町長は「分院の人間ドック利用者に、民宿や町営温泉施設を使ってもらう方策を検討してはどうか」と話す。 

 08年度の厚生労働白書も、医療・介護など社会保障分野の経済効果は、公共事業より高いと説く。医師でもある盛岡氏は「どの町にも、お年寄りや、医療サービスを必要とする人はいる。病院を中心に町づくりをすれば、公共事業に頼らなくても、どこでも発展できるはずだ」と語る。 

◆「赤ひげ」、医師集まる 
だが、すべての病院が地域の「核」になれるわけではない。厚労省によると、90年に1万を超えた病院は07年には約8900に減った。主な原因は医師不足だが、佐久総合病院は人材に恵まれてきた。 
同病院勤務が19年目となる由井和也・小海分院診療部長は「私は医療に恵まれない地域で頑張ってみたかった。この病院には、そういう医師が多い」と語る。09年度の初期研修医を15人募集したところ、37人の応募があった。定員割れを起こす病院も多いなか、高い人気を保っている。 
佐久総合病院は、「農民とともに」を掲げた故若月俊一・元院長の徹底した地域密着医療で知られる。住民に尽くす「赤ひげ」的イメージが医師の卵たちをひきつけてきた。 
盛岡氏は「志のある医師が集まると患者が集まる」と言う。佐久市だけでなく、県外からも患者が来る。新たな「基幹医療センター」が必要になったのはこのためだ。 
もちろんイメージだけではうまくいかない。盛岡氏は「殉教者的な医療ではなく、医師が普通の生活で、よい医療を提供する方が大事だ。それを可能にするのはしっかりした経営だ」と言う。 
盛岡氏は、医療法人徳洲会で病院建設に携わり、経営手腕で知られた。医事評論家の川上武氏によると、徳田虎雄理事長に次ぐ「実質的なナンバー2」。病院の経済効果に気が付いたのも82年、埼玉県羽生市で徳洲会グループの病院院長をしている時だった。 
若者が首都圏から地元に戻り、病院に勤めるようになった。病院の周辺には商店が増えた。「病院を建てると、地域経済に力を呼び戻すことができると気がついた」 
95年、若月氏に招かれた後、早朝から経営勉強会を開き、全職員の年度末手当の一部を積み立てた。土地取得や新築費用に困らなかったのはそのためだ。「いい医療を提供する病院は暮らしを支え、地域経済の核になりうる。そういう意識を、医師も職員も共有しなければならない」と盛岡氏は話している。