金融商品であった!近江八幡PFI・・民間手法の罠!

金融商品であった!近江八幡PFI・・民間手法の罠!
近江八幡市の支払利息は、基準金利が1.8%、それに上乗せされるスプレッドが3.5%だった。スプレッドの内訳は資金調達手数料として1.8%、さらにSPCの利益として約1.7%が支払われていた。つまり契約した時点で銀行には1.8%分、SPCには約1.7%分の利益が入ることが決まっていたのだ。これらの利益は、病院の経営状況とは切り離されていた。つまり医業収入が増えても減っても一定の利益が入る仕組みだった。


リポート 民間手法の罠 フィーチャー~民間幻想に踊った8年間 近江八幡市民が支払った20億円の授業料 2009.05.04 日経ビジネス 

民間手法を活用し、2年半前に開業した豪華病院。

収入は計画を大幅に下回る一方で、巨額の支払いは続いた。

増え続ける損失に、市長は病院の買い取りを決断した。

 近江商人発祥の地であり、古くから通商の要所として栄えた滋賀県近江八幡市。官公庁が集まる中心部から5分ほど歩くと、田園の中にぽっかりと浮かんだ巨大な建物が見えてくる。2006年10月に開業した近江八幡市立総合医療センターだ。

 緑豊かな敷地、ピアノや彫刻が置かれた広々としたロビー、そして最新鋭の医療器具。一見、何の問題もない病院だが、この建設、そして運営資金を巡る論争に人口7万人足らずの街は振り回され続けてきた。

 民間資金を活用した手法で注目を集めた新病院だったが、増える赤字に耐えかねた近江八幡市は病院施設を118億円で買い取り、今年4月、再び市の直営病院へと戻った。前市長が市議会で民間手法での建設を表明してから8年の歳月が過ぎていた。

 吹き抜けとなった2階から1階のロビーで支払いを待つ患者を眺めながら、槙系院長はつぶやいた。「うちの病院の収益力にしては、682億円という病院事業総額が大きすぎたんや」。

 近江八幡市で新病院建設の議論が本格化したのは、1998年に川端五兵衛・前市長が就任してからだった。既に約40年が経過した当時の近江八幡市民病院は、建物が老朽化しただけでなく、増築を重ねてきたことで、建物を移動する間に段差があるなど、使い勝手が悪かった。それまでも建て替えの議論が浮上することはあったが、市の財政が厳しくなる中で、懸案として先送りされてきた。

新病院を後押しした新手法

 そんな折、ほぼ時を同じくしてある法律が成立する。99年7月、民間資金等の活用による公共施設等の整備等の促進に関する法律、通称PFI(Private Finance Initiative)法だ。92年に英国で生まれたこのPFIという考え方は、政府予算が不足する中で民間資金を活用して社会インフラを整備することが目的だった。

 民間の資金や経営能力を活用すれば、国や地方自治体が直接資金を投下して実施するよりも、効率的かつ効果的にサービスを提供できる――。PFIはそう期待されて日本にも持ち込まれ、早速学校、博物館、刑務所やゴミ処理施設といった公共施設にPFIの導入が検討された。これらの中に公立病院も含まれていた。近江八幡市はPFIの病院案件第1号を目指して議論を進めていった。

 PFIを推進する前市長たちは、導入によるコスト削減メリットを強調した。うたい文句はPFIを使えば30年間にかかる病院事業費総額が750億円から682億円に減ることだった。

 この差額68億円は、PFIの世界ではVFM(バリュー・フォー・マネー)と呼ばれ、それが全体の価格の何%を占めるかによって、その案件がPFIに向いているかどうかの判断基準に使われる。近江八幡のVFMは約9%で、PFI向きだという流れが形成された。

 一方、病院の現場ではその建設方法や資金調達に対する関心は低かった。PFIによって民間委託するのは、医療行為の周辺業務に限られるため、働く医者や看護師も公務員のまま。「PFIで何がどう変わるのかよく分からなかったが、病院が新しくなることについて、反対する人は誰もいなかった」(槙院長)。

 こうしてPFIによる新病院建設はとんとん拍子で進む。2001年3月、近江八幡市はPFI方式の導入を議会で決定すると、早速事業者の選定作業に入り、入札手続きを経て大林組が選ばれた。2004年秋には新病院の建設が始まり、2年後の2006年春に豪華病院が完成。半年後の10月に開業した。槙院長は「旧病院から新病院にどうやってスムーズに移行するかという目の前の課題をクリアするのに必死だった。市が作成した収益計画がおかしいなんて考えもしなかった」と当時を振り返る。

 なぜ民間資金を使ったら68億円も節約できるのか。それは市が直接発注する方式とどう違うのか。そもそも前提となっている750億円という金額はどうやって決まったのか。こうした中身については検証されることがないまま、民間のノウハウが期待された新病院はスタートを切った。

 しかしその魔法が解けるのに、時間はかからなかった。

 「どないなってんのや」。2006年12月に市長に就任した冨士谷英正市長は、登庁2日目にある事実を聞かされ耳を疑った。開業からわずか2カ月半の医療センターが、既に5000万円の赤字だというのだ。前市長によって作られた豪華病院の資料はなかなか出てこなかった。徐々にその現実離れした計画に基づいて作られた経緯が明らかになるにつれ、冨士谷市長のPFIに対する不信感は増幅していく。

"コンサル任せ"の甘い計画

 医療センターが当初から赤字となった原因は、PFI導入を検討した時点で立てた収支計画の甘さにあった。これは市が依頼したコンサルティング会社が作成した。病院の収入である医業収入は、通院患者から得られる外来収入と、入院患者からの入院収入がそのほとんどを占める。PFI導入を決めた時点では、この医業収入が年間90億円程度入ってくる計算だった。

 しかし2006年の開業時にはそれが80億円程度しかなかった。2001年にPFI導入を決めてから開業までの間に、地方の病院を取り巻く環境は大きく変わってしまったのだ。2001年当時、医業収入はまだ堅調だった。しかしその直後から診療報酬の引き下げが響いて大きく落ち込んだ。その後、PFIの計画が見直されることはなかった。当初のPFI導入を決めた時点の計画と現実には年間約10億円の差が生じていた。

 しかし収入を増やすためのアイデアはなかった。「当時の院長たちは新病院になれば患者さんも増えるだろうといった程度のことしか考えていなかった」(槙院長)という。医業収入を増やすための経営戦略と呼べるようなものは、ほとんど議論されていなかった。

 収入が計画よりも少ないのであれば、支出を減らすしかない。民間であればこれが自然な考え方のはずだ。しかしPFIの契約はそれが許されない仕組みになっていた。市がSPC(特別目的会社)に対して支払う金利、そしてSPCが独デプファ銀行や地元の滋賀銀行などで構成する銀行団に支払う金利は長期にわたり固定化されていたのだ。

"三方よし"ではなかった

 病院の収支を圧迫する最大の問題は、5%を超える金利の支払いが契約で縛られていることだった。SPCと結んだ事業契約の中で、市は施設整備費などに145億円を支払い、そしてその元本にかかる支払利息として30年で99億円を支出することになっていた。

 PFIの主役となる近江八幡市とSPC、銀行団の3者の関係は右の図のようになっている。市がSPCに対して金利と手数料を支払い、SPCはそこから融資してくれた銀行に対して金利と手数料を支払う。

 近江八幡市の支払利息は、基準金利が1.8%、それに上乗せされるスプレッドが3.5%だった。スプレッドの内訳は資金調達手数料として1.8%、さらにSPCの利益として約1.7%が支払われていた。つまり契約した時点で銀行には1.8%分、SPCには約1.7%分の利益が入ることが決まっていたのだ。これらの利益は、病院の経営状況とは切り離されていた。つまり医業収入が増えても減っても一定の利益が入る仕組みだった。

 近江八幡市がPFI方式を決定した後で、起債により政府資金を活用する選択肢も浮上したが、時既に遅しだった。民間資金の活用により、年間数億円単位の金利負担を背負うことになった。

 またSPCが得る利益はこの利息だけではなかった。PFIでは、医療行為の周辺業務はSPCを通じて契約した13の業者へ委託している。病院からこれらの業者に対して支払われる金額のうち、約10%の手数料がSPCの取り分となっていたのだ。

 「病院が赤字でヒーヒー言っていても、SPCはきっちり儲かっていた。そうなると全部理不尽になってきた」(槙院長)。売り手よし、買い手よし、世間よしの「三方よし」の経営理念で知られる近江商人。しかし得をしたのはSPCと銀行だけで、損失はすべて病院、そして市民が負った。

病院経営のノウハウなく

 もっとも当初の医業収入の見積もりの甘さはPFI導入を決めた市に責任がある。しかし病院経営に民間手法を導入したメリットが感じられていたら、事態は違う方向に向かったのかもしれない。しかし病院がSPCから提供された経営ノウハウは皆無に等しかったという。

 例えば、患者に対して施した診療内容の明細書であるレセプト。病院はこれを保険者に提出して医業収入を得る。いかに誤記入や記入漏れを減らすかは大きな経営課題だ。槙院長は、民間のノウハウに期待したが、SPCからは「記入漏れを防ぐのは医者の仕事であり、我々の仕事ではない」と突き返されたという。

 病院内の物品管理も同じ。医師や看護師は手元に多く抱えたがるが、滅菌処理期限を過ぎると、たちまち不良在庫に変わる。適正在庫管理にも期待したが、「決められたものを揃えるのが我々の仕事だ」と反論された。

 こうした実態は新病院が開業して初めて気づいたという。民間はノウハウを提供してくれると信じていたが、その期待は見事に裏切られた。何か改善しようとしても、SPCの存在が逆に足かせとなった。変更を嫌うSPCは、期待した"民間"とは懸け離れた存在だった。「これでは単なる30年間の随意契約じゃないか」。槙院長ら病院現場でのストレスは頂点に達しようとしていた。

 「このままでは病院は破綻する」。こうした事態を見かねた冨士谷市長も動き出した。2007年12月、「市立総合医療センターのあり方検討委員会」を立ち上げ、見直し議論を始めた。前市長時代の話とはいえ、これまでPFIを推し進めてきた行政がその方針を180度転換するには、世論の支持が必要だった。PFIの専門家を呼んで市民参加型の集会を開き、医療センターが直面する課題をあぶり出した。

 そして市長は大林組に対し、PFIの契約内容の変更を申し出る。しかし「PFIは全体で1つのパッケージであり、一部だけを見直すのは難しい」と大林組も一歩も譲らず、議論は平行線をたどった。そして「最後は契約解除しかなかった」(冨士谷市長)。

 契約解除に伴い大林組が求めた対価は65億円。契約が続いていれば受け取るはずだった利息収入を請求した。これに対して冨士谷市長はこれ以上払えないと直談判し、2008年12月、約20億円の"手切れ金"を支払うことで合意した。近江八幡市民は高い授業料を支払うことになった。

 今年に入り、近江八幡市は、PFIの契約内容に書かれた収益計画を抜本的に見直し、新たな収益計画を策定。これを総務省に提出して約118億円の病院事業債を起債。この資金で医療センターの施設を買い取り、そして病院を市の直営に再び戻した。

 「PFIだから何とかなるという甘さがあったのではないか。もっと慎重にやるべきだった」。PFIに詳しい三井物産戦略研究所の美原融氏は、こう指摘する。最初に立てた甘い計画を検証することなく実行に移した行政の責任は免れない。

 一方でSPCや銀行団に責任はないのか。大林組が出資するSPC「PFI近江八幡」は、昨年12月の契約解除の際に、「PFI方式を採用したことと総合医療センターが経営難に陥ったことの間に因果関係がない点についてのご理解をお願いいたします」とコメント。取材申し込みに対しては、「それ以上のことは申し上げられない」(大林組広報室)と口を閉ざす。

 PFIは1999年の施行後、2008年12月末までに事業件数で333件、事業総額で2兆9438億円に上る。このうち失敗したのは近江八幡市のケースだけではない。

 破綻第1号は、福岡市臨海工場余熱利用施設整備事業、通称「タラソ福岡」。ゴミ焼却処理施設の余熱を活用したタラソテラピー(海洋療法)施設として2002年に開業したが、初年度の利用者数が目標の半分にも届かず2004年11月に閉鎖した。2005年に名古屋市が倉庫跡地に開業した複合商業施設、名古屋港イタリア村も、昨年5月、わずか3年で破綻に追い込まれた。

 今、関係者の注目が集まるのは、高知医療センターだ。2005年3月に開業したが、4年を経過した今も赤字体質から脱却できずにいる。オリックスなどが出資するSPCとの間で運営体制の見直しを協議しているが、難航すれば自治体が施設を買い取る可能性もある。

民へのリスク移転がカギ

 PFIが成功する条件は何か。一般に図書館や博物館は、最初から収益への期待が低く、失敗するリスクも小さいためPFIに向いているとされる。しかし収益リスクのある事業でも、それを官民一体でどうやってコントロールするかに、PFIの存在意義はある。

 「日本の自治体は、将来の不確定要素であるリスクを民間に移転できずに、自らに抱え込む」。アビームコンサルティングの熊谷弘志ディレクターはこう指摘する。官が民にリスクを移転することで、民も官による事業運営を監視し、状況に応じて軌道修正する仕組みが機能する。

 公共事業への批判と財政悪化の逆風から、自治体はPFIという名の下に、箱モノを作り続けた。しかしその事業を慎重に見極めなければ、従来と何も変わらず、ツケは市民が払わされる。まもなく10年を迎える日本のPFI。民間幻想の魔法が解けた今、その真価が問われている。

(中原 敬太)