佐賀県謙仁会山元記念病院の経営理念「患者さんは常に正しい。」「頭を下げよ。」「ベストを尽くせ」・・・患者と勤務医師の評価が高く 社会医療法人として佐賀県初の認定を祝福します



「佐賀県謙仁会山元記念病院の経営理念「患者さんは常に正しい。」「頭を下げよ。」「ベストを尽くせ」・・・患者と勤務医師の評価が高く 社会医療法人として佐賀県初の認定を祝福します』 


佐賀県/社会医療法人に認定 伊万里市の謙仁会 1月1日に県内初 救急体制安定化へ 地域医療 民間で担う 
2008.12.28西日本新聞   
  

 伊万里市二里町の山元記念病院(百五十床、十二診療科目)を運営する特定医療法人「謙仁会」(山元章生理事長)が来年一月一日、公益性の高い医療を提供する「社会医療法人」に県内で初めて認定される。 

認定後は地域の公的医療機関に位置付けられ、法人税減免などの経営安定措置が受けられるため、採算が取りづらい救急医療体制の安定化が図れるという。 

特定医療法人謙仁会 山元記念病院50周年を社会医療法人は、国の医療制度改革に伴い昨年四月に創設された経営形態。 

各地の自治体病院が医師不足や経営悪化に苦しむ中、民間病院が自治体に代わって地域に必要な救急やへき地医療を担う。認定要件を満たせば、税制優遇や公募債の発行などが認められる。 

 山元記念病院は救急患者の受け入れ件数が市内の医療機関で最も多いことから、謙仁会が九月に県に認定を申請。 

救急医療分野で時間外の診療件数が全体の32・97%(二〇〇五-〇七年度)で、認定要件の20%以上を満たし社会医療法人化が認められた。 
認定後は医療以外の収益事業も可能になるため、健康増進施設や高齢者向けマンションの運営に乗り出す方針だ。 

 伊万里市では、市民病院が二〇一一年に有田町の町立有田共立病院と統合され、新病院が設立される計画だが、将来の経営を懸念する声は根強い。 

山元理事長は「公的病院としてこれまで以上に地域に貢献できる。質の高い医療を安定的に提供したい」と話している。 



特定医療法人謙仁会 山元記念病院50周年を迎えて(病院HP) 

「開業秘話と思い出」 

                病院長 山元 博 

 この伊万里の地に、開業した経緯ですが、もともと、父は鹿児島県薩摩川内市出身でしたが、伊万里市の病院の外科部長で2年間働いていたことがあり、その頃のかかりつけの患者さんが数名(支援者)、鹿児島までわざわざ面会に来られ、伊万里で開業することを頼みに来られたのがきっかけです。 

土地も支援者の方から世話していただきましたが、一面の蓮畑でしたので、旧伊万里警察署の跡地から、土地を削って、埋め立て、建築には、鹿児島の父の実家の焼酎工場から木材を運びこんで、今から50年前の1958年8月20日、山元外科病院(山元記念病院の前身)が伊万里市二里町八谷搦の地に誕生しました。 

父も人夫さんに混じって、ツルハシをふるい、土を担いでいたと自慢気に話をしていたことが、思い出されます。20床の外科病院で始まり、私たち家族も最初は、病院内の病室で寝泊まりしていました。 

謙仁会の理念「患者さんは常に正しい。」「頭を下げよ。」「ベストを尽くせ。」を掲げて、日々の診療を続け、入院患者さんが増加し、病室がなくなったので、家族で旅館に泊まって病室を確保したりしました。 

父はこれではいけないと思ったのか、病院に接して自宅を建てました。 
それでも、入院患者さんが増加したので、今では信じられませんが、自宅の子供部屋にまで臨時の病室となって、患者さんといっしょに寝ていたりしていました。 
そのため、病院増床を計っていき、1987年に150床へ増床しました。患者さんには優しくいたわりの心で接し、職員には理念の実践として、厳しく教育していましたが、ほとんどの職員から慕われていました。 

 2001年6月に創業者の父が、2006年8月に母が亡くなり、その間の2005年3月に山元記念病院新築移転、2006年4月に特定医療法人になりました。 

もはや、ファミリー企業ではなく、公的に近い病院となってはいますが、謙仁会理念、創業者の思いを引き継ぐ組織として、リニューアルし、新たな歴史を刻むことになりました。 

新築移転後3年経過し、2008年の今年に悲願の病院機能評価認定書を取得しました。 

社会情勢として、療養病床削減、後期高齢者制度、特定検診(メタボ検診)など医療関係者、老人を含む利用者にペナルティを加えるような状況ですし、地域環境としては、有田伊万里の公立病院の統合問題などがあり、先行き不透明感がありますが、創業時の精神、理念に立ち返って、病院の質の向上、地域医療への貢献、患者様とのパートナーシップの向上に向けて、さらなる業務改善を計ることが今後の責務です。