『PFIが「魔法のつえ」でなかったことは、すぐに明らかになった。解けた魔法=3回掲載の1』

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『PFIが「魔法のつえ」でなかったことは、すぐに明らかになった。解けた魔法=3回掲載の1』 

解けた魔法 近江八幡病院PFI解除(上)救世主 全国初 華々しい船出 
2008.12.25  京都新聞  
  

  近江八幡市立総合医療センターのPFI契約解除が二十五日、正式に決まる。民間の経営ノウハウ活用が期待されたPFIは、なぜ挫折したのか。どこで歯車が狂ったのか。背景を探る。(八幡支局 北島寛之、中塩路良平) 

  「ようやく明るい兆しが見えてきた。近江商人の矜持(きょうじ)を大切にしながら、健全経営回復に徹したい」 

  二十四日の近江八幡市議会本会議。PFI解約関連議案が賛成多数で可決され、冨士谷英正市長は深々と頭を下げた。 

  破たんを除いて全国初のPFI解約は、二十五日の合意書調印を残すのみとなった。 

  市がPFI方式で病院を建てることを決めたのは二〇〇一年。旗振り役は「ザ・ファーストのまちづくり」を掲げる川端五兵衛市長(当時)だった。 

  市にとって、老朽化した市民病院の建て替えは十年来の懸案だった。「起債では整備費全額をまかなえず、自己資金が三十億円は必要。それが出せんかった」(川端前市長)。 

  目をつけたのが、一九九〇年代に英国で始まったPFI。民間の資金や経営ノウハウを活用し、サービス向上やコスト削減につなげる手法で、初期投資額を抑え、支払いを長期に平均化できる利点があるとされる。 

  市は、民間の特別目的会社(SPC)と三十年契約を結んで資金調達から設計、建設、維持管理、運営まで一括して任せ、開院三十年後に病院施設の無償譲渡を受ける「BOT方式」を採用した。全国初の本格的な病院PFIだった。 

  ゼネコン大手の大林組が100%出資するSPCと〇三年十一月にPFI契約を締結、〇六年十月に四百七病床で開院した。床にカーペットを敷き詰めるなど「ホテル仕様」の設備をうたった。 

  川端前市長は「身の丈に合わぬ豪華病院と言われたが、一床当たり建設費は近隣の公立病院より安い。良いものを安く建てられたと言うべきだ。SPCが自ら三十年間所有・維持する前提なので、造りが違う」と、PFI効果を強調する。 

  国は一九九九年のPFI法成立以降、各地の自治体などの取り組みを積極的に支援していた。そんな中での華々しい船出。三十年間のPFI総事業費は約六百八十二億円で、市直営に比べ約六十八億円削減できると見込んだ。 

  川端前市長は開院記念誌で、PFIを「救世主」と記した。 

  だが、PFIが「魔法のつえ」でなかったことは、すぐに明らかになった。=3回掲載の予定です 

近江八幡市立総合医療センター問題の経過 

2001年3月 市がPFI方式の導入を決定 

   02年8月 大林組などのグループを契約相手に選定 

  03年11月 市とSPCが事業契約締結 

  06年10月 センター開院 

     12月 PFI導入を決めた川端五兵衛前市長に代わり、冨士谷英正市長が就任 

   07年3月 公募の病院事業管理者、奥信氏がPFIをめぐる冨士谷市長との対立から辞職 

   08年1月 市長諮問機関が「PFI見直し必要」と答申 

      2月 市が契約解除を視野に交渉開始 

      6月 市が所有権移転の前倒しを申し入れ 

     11月 病院一括買い取りへ市が118億円起債を発表 



PFI解約合意調印 近江八幡市 運営会社と 病院、4月から直営 
2008.12.25 京都新聞 
  

  PFI(民間資金活用による社会資本整備)方式で運営している近江八幡市立総合医療センターをめぐり、同市と同センターを運営する特別目的会社(SPC)「PFI近江八幡」は二十五日、PFI解約合意書に調印した。 

  合意書によると、解約日は二〇〇九年三月末。市は同センター整備費の残額約百十八億九千百万円をSPCに支払って施設を一括で買い取り、四月から直営化する。解約に伴い、市はSPCに逸失利益補償などの解決金二十億円と、撤退する受託業者への補償約二千九百万円を支払う。 

  調印式は同市役所で行い、冨士谷英正市長と槙系院長、井谷守SPC社長らが出席した。調印後の会見で、冨士谷市長は「一つの山を越えられた。掛け替えない同センターを残すため、経営改善へ今まで以上に努力する」、井谷社長は「三十年間続けるつもりだったので残念だが、市の事情からやむを得ないと考えた。PFIがおかしかったとは思わない」と述べた。