地方独立行政法人 那覇市立病院 独法推進友の会ニュースを始める。 経営形態変更まえに 何回か訪問させていただいたことがあり 順調にスタートされている事を 本当に嬉しく思います。













『地方独立行政法人 那覇市立病院 独法推進友の会ニュースを始める。 経営形態変更まえに 何回か訪問させていただいたことがあり 順調にスタートされている事を 本当に嬉しく思います。 

議会も行政も 病院も 市民に評価される経営形態であることが 必ず解っていただけるでしょう』








(長 隆)





独法推進友の会ニュースW3.doc(那覇市立病院HPより) 



Web版 第3号 平成20 年11月1日 

規程改正の情報 

今回は、特に規程等の改正はありません。 

シリーズ独法雑感 その3 





那覇市立病院執行部の特徴 ~独法化の下地~ 



私自身、組織内部にいるときは全く感じませんでしたが、視察に来られた方との対応や、こちらから講演等に行った折の雑談など院外の方々と接触して徐々に気がついたことがあります。



それは私たち那覇市立病院の執行部は、かなり当事者意識と危機意識が高く、自立志向が強いということです。そしてそれは日本全国の公立病院の意識の標準から見ると、どちらかといえば特異な存在に属するような気がします。 



自立志向がどういうものかというと、独立独歩といいますか、設立団体を頼らない経営、設立団体からあまり干渉されたくない経営を好むという性向です。 

私たちが自立志向が強いといっても、自ら好んでそうなったのではなく、設立団体の財政基盤が弱いためそうならざるを得なかったという側面が強くあります。 



私たちは市から繰り出し基準を満たす繰出金がくれば御の字という気持ちがあります。赤字になれば当然 

に自らの努力で解決する、市に頼らない、そのかわり病院の医療職の人事はトップを含めて自ら決めるという意識です。当院はこういう意識が強いように感じます。 



当事者意識がどういうものかといえば、当然のことながら、病院のことを自分のことのように思う気持ちが強いということです。この辺が他の公立病院の方々はちょっと弱いという気がします。例えば他の自治体の職員と話をしますと、確かに病院の将来を案じてはおりますが、切迫感が弱いというか主体性がないような気がするのです。 



他人事というと言いすぎになりそうですが、自分自身のことはそばに置いといて話だけは伺いましょうとでもいうような何やらそんなあやふやな印象を受けます。とどのつまりは知識や情報が行動に結びつかないのです。この当事者意識というか、帰属意識というか、危機意識というかそこら辺のあり方がどうも私どもと違うような気がします。 



私たちが独法化を決断した平成18年、私たちは本当に自分たちの病院の存続が問われる危機が来たと思ったのです。今は黒字でもここで改革しなければジリ貧になるという認識です。これらの認識や意識が、全国平均から見ると突出した感があるように思います。もっとも突出がなければ、全国でも先駆けた独法化はなかったのでしょうが、逆に平均的な見方からすれば、私たちの行動は無鉄砲な行動と見えたかもしれません。 



私たちにとってこの危機意識は、当事者意識・自立志向と表裏一体の感がします。 

病院の危機は常に身近にあるという感覚が普段から身に染み付いているという感じです。 

これらの意識が独法化の行動にどう結びついたのかちょっと分析的にいうと、従来から当事者意識が高く、自立志向が強い病院執行部に対し、平成18年の7:1看護基準の導入、診療報酬切り下げ、療養病床の削減等の外圧がかかり、現実に看護師不足が表面化したときに、「どげんかせんといかん」という危機意識の高まりになって現れ、検討する中で独法化が浮上し、いけると結論が出たら即行動に移った、ということです。繰入金を増やしてもらおうなど、市に頼ることは当初から念頭にありませんでした。もう一つ重要なことは、この危機意識が一部の幹部や職員だけではなく執行部全体として共有していたことも当院の大きな特徴であり、以後のがむしゃらな実行力に大きく作用したと思います。 



視察に来られる方でとても熱心な担当者も見受けられますが、よく聞きますとその危機意識が病院・自治体全部のものになっていない、つまり共有化されていないことが多いように思います。熱心な担当者には同情しますが、大きな組織はそれだけではなかなか動きません。ましてや病院は専門性の高い職能団体の集合体で結集力には内在的に弱い側面があります。 



考えてみますと、私たちの病院が当事者意識が高く自立志向が強いということには、当院の歴史に理由があるように思えます。当院は昭和55 年に開院しましたが、平成6年までの15 年間ずっと赤字続きでした。自治体病院は赤字で当たり前、いい医療を提供すればよい、という意識で運営してきましたが、気がつけば累積赤字が61 億円、不良債務が15 億円に達し、地方紙や議会で追及される事態に陥っていました。 



その当時、議会サイドからは、本院を民間委譲する案や、県立病院と統合する案なども出ましたが、病院としては経営改革をして乗り切る方針を決定し、平成7 年に病院経営健全化団体の指定を受け、他県の優良自治体病院視察による意識改革、その他諸々の経営健全化対策を講じました。 



経営健全化対策は奏効し、市からの健全化補助金もあって同年からは黒字に転じ、病院危機を回避することができました。 

この過程における議会の追及が本院の幹部医師に非常に大きなインパクト与えました。これまで経営のことは全く考えずに、いい医療を提供することだけを考えていたいわば世間知らずの無菌室のドクターが、百戦錬磨の議員から病院経営危機の原因とか責任を追及されたのですから、そのカルチャーショックは推して知るべきでしょう。 



当時のドクターの一人は「当初院長から公立病院の赤字は当たり前、気にしないで診療に励むようにと言われて、頼まれてこの病院に来たのに、突然議員が病院に乗り込んで来て、お前たちは市民1 人当たり何十万円の赤字を背負わせている、どうするつもりか、などとまくし立てる。最初は何のことだか分からなかった。何の反論もできず、ただ悔しかった」と振り返っておりました。当時の当院の医師たちが偉かったのは、いい医療を提供するにはいい財政基盤が必要だという事実に目覚め、そこから逃げ出すことなく改革に立ち向かったということです。それぞれに独立開院や 



再就職の誘いがあったにもかかわらずにです。医師が変われば病院は変わります。あのとき医師が逃げ出しては、現在の那覇市立病院はなかったことでしょう。身内の私がこう書いては自画自賛と言われるかもしれませんが、当時病院にいたわけではありませんので、許していただけるでしょう。 



このときの一種のトラウマとして当事者意識(帰属意識)と自立志向が根付いてきたものと私は分析しています。こう考えますと、当院が平成7 年の病院危機で得た最大の財産は、この当事者意識、言い換えれば、病院経営に自ら責任を負う意識(姿勢)を病院幹部や病院職員に植え付けたことだったかもしれません。 



さらに、当市の議会の議員の一部には当時の民営主義が脈々と現在まで受け継がれています。彼らの言い分は、公務員が企業を経営すると必ず財務が悪化し市民に迷惑をかける、従って公営企業は民間に移譲すべきである、というもので、国の経済諮問会議の民間委員より過激な意見です。過激ではありますが、国内の公立病院の現状を見れば、一面の真理を言い当てていると言わざるを得ません。私たちは常日頃からこのような視点からの厳しい監視の目が光っており、いわば自立するように躾けられているといってもいいのかもしれません。 





このように、当院は当事者意識、自立志向、危機意識が普段から強い土壌であったため、黒船のような外圧にさらされたとき即座に独法化に踏み込むことができたのだろうと思います。 

編集後記 





10 月の上旬、病院機能評価Ver5 を受審しました。受審するまでが大変でした。受審後の今から思えば、機能評価に合格するように普段のお仕事をすればいいのですね。 

基本的に機能評価の要求事項は、優良病院で維持すべき基準であるわけですから、それをクリアするように仕事を組み立て、そしてその記録を残す、ということです。仕事の組み立ての基本はPDCA サイクルですね。ここら辺はISO と似ています。 



実は私、病院に異動してから3 年半ぐらいしかたっていません。お恥ずかしい話ですが一般の行政事務しか経験がなかったものですから、病院事務についてはトンチンカンでした。この機能評価を経験して、病院事務とはこうあるべきものだということがはっきり分かりました。 



次の機能評価に備えて年間スケジュールにこう組み込めばシステムとして要求事項をクリアすることができるとか、記録の作成を簡素化しようとか、一段落したら取り掛かろうと思っています。直後はこのように考えていますが、喉元すぎれば何とやらともいいます。気を引き締めていきたいと思います。 

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