尊敬する日本赤十字九州国際看護大学(宗像市)の喜多悦子学長 ・・・ 過疎の集落存続のため何が出来るかを考えさせられた研修の旅。


『尊敬する日本赤十字九州国際看護大学(宗像市)の喜多悦子学長 ・・・   過疎の集落存続のため何が出来るかを考えさせられた研修の旅。喜多学長は学生たちに「介護現場に将来ロボットが導入されたとしても、『心』の問題、『魂』にふれられる看護者に育ってほしい」と語った。・・ 過疎地に 課外研修する試みに改めて脱帽です。』(長 隆) 
  
  
    

日赤九州国際看護大 「限界集落」で課外研修 /福岡 
2008.09.26毎日新聞   
  

 ◇看護考える機会に 

 日本赤十字九州国際看護大学(宗像市)の喜多悦子学長と学生たちの一行17人が9月、宮崎県の旧東米良村(現西都市)の「限界集落」などを訪ね、「プライマリ・ヘルスケア」(コミュニティ維持に必要不可欠な健康管理)をテーマにした課外研修を行った。限界集落の厳しい現状を目の当たりにするとともに、そこにある豊かな歴史や文化にも触れ、過疎地や超高齢化社会における看護のあり方を改めて考える機会となった。【松下英志】 

 「一番重要なことは、東米良に住むお年寄りは『ここで死にたい』と思っていること。だから、この診療所の役割は医療ばかりでなく『看取(みと)り』や社会福祉もある」。西都市中心部から国道219号を車で約1時間、九州最大の一ツ瀬ダムの湖を眼下に臨む市立東米良診療所で、濱砂重仁医師が一行に語りかけた。 

 診療所ができたのは1961年。当時のダム工事に従事する労働者や地域住民のため、建設主体の九州電力が設置した。当時、東米良の人口は5000人以上。ダム工事で多くの人々が亡くなる一方、診療所で生まれた人もいた。 

 東米良村は62年、西都市に編入され、63年には小中学校6校、335世帯を湖底に沈めてダムが完成、地元補償の一環として診療所は地元自治体に寄付された。だが、70年代に入って基幹産業の林業が衰退し始め、人口流出が進んだ。今、旧東米良地域の人口は最盛期の10分の1以下の四百数十人。地域医療を支えてきた診療所は、経営が悪化し、存亡の危機に立たされた。 

 月末で閉鎖と決まった01年7月。宮崎市の「市民の森病院」の運営法人理事長で、両親が東米良村出身の濱砂さんのところへ「何とかしてもらえないか」との話が舞い込んだ。「故郷を無医村にするわけにいかんじゃないか」。濱砂さんはその場で引き受けた。 

 以来、経営改善に努め、地域内の往診も始めた。05年4月には県産材を使った全室個室で床暖房付の新病棟も完成。自身は非常勤だが、今では別の医師と薬剤師各1人、看護師ら7人、厨房担当2人が診療所に勤める。ベテラン看護師は「24時間近い勤務でつらい時もあります」と言いつつ、表情は決して暗くない。「地域のお年寄りと徹底してコミュニケーションを図ることで信頼を結び、病気の早期発見に努めてきた」。個室代は無料、おむつ代も原価とあって、入院しても月3万~5万円。地域医療の中核としての役割を見事に果たしていた。 

 次に近くの銀鏡(しろみ)地区を訪れた。古事記に登場する神々の伝説に由来する地名を持ち、国指定重要無形文化財の銀鏡神楽を貴重な観光資源とするが、ただ1校ずつ残った小中学校の児童・生徒31人中13人は地域外からの山村留学。「65歳以上の高齢者ばかりで『風前のともし火』のような地区も周囲にある。高齢者が肩を寄せ合って暮らす集合住宅と、貴重な文化財を残す民俗資料館はぜひ実現したい」。地区の責任者の話を、一行は神妙な表情で聴き入った。 

 シカやイノシシなど地元の食材だけをふんだんに使った昼食を民宿でいただいた後、小中学校の合同運動会を見学し、神楽の舞台・銀鏡神社を訪ね、特産品のユズを売り出す食品会社も視察。2泊3日の行程で、合併せずに独自の道を歩む西米良村の診療所も訪れた。 

 過疎の集落存続のため何が出来るかを考えさせられた研修の旅。喜多学長は学生たちに「介護現場に将来ロボットが導入されたとしても、『心』の問題、『魂』にふれられる看護者に育ってほしい」と語った。 

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 ■ことば 

 ◇限界集落 

 65歳以上が50%を超え、冠婚葬祭など社会的共同生活の維持が困難になった集落。06年の国土交通省調査では将来的に消滅の可能性がある集落は2641。 

〔福岡都市圏版〕