高知医療センターPFIの壮絶な失敗に学ぶ事が出来るか?色あせたばら色の瀬戸山ビジョン。そろそろ現実に沿ってリセットすべき時ではないのか・・・




『高知医療センターPFIの壮絶な失敗に学ぶ事が出来るか?色あせたばら色の瀬戸山ビジョン。そろそろ現実に沿ってリセットすべき時ではないのか・・・ 
  
◆神奈川県=県立がんセンター整備運営のPFI実施方針を公表。〈8月1日〉 
 ◆大阪府立病院機構=精神医療センター再編でPFI実施方針を再公表。〈8月11日〉 
 ◆東京都=都立4病院(広尾、墨東、大塚、神経)の大規模改修にPFIなど検討へ。基本構想の検討に着手。〈8月21日〉』 
  
[Ⅰ] 赤字批判は筋違い2008年7月5日高知新聞 
 「やっぱりあれは安過ぎたんだ」  高知医療センターを辞めて岡山旭東病院に復帰した溝渕雅之医師(48)がまず確信した両者の違い。それは、高知医療センターの安い価格設定だった。 

 高知医療センターで撮ったCTやMRIの画像を、患者本人の希望でCD―ROMにコピーして渡す場合、請求額がわずか八十円。保険適用外なので、値段は病院側の自由裁量。需要はそれほど多くないが、旭東では一千五十円、高知市の近森病院は二千百円だ。 

 「値段が二けた違うんです。職員の手間賃にもならない。僕はおかしいと言ってたんだけど。大事な個人情報がハンバーガーより安いなんて」 

 手術の時に気付いたこともある。高知医療センターは一本五百円の吸収糸(体内で自然に吸収され消滅する糸)をどんどん使う。八本で一セットの針付き糸(四千円)を、一回縫って結んでは、切って捨てる従来のやり方だ。 

 「一手術で四セットぐらい使うんです。旭東では一本の糸で数回縫合するから、一セットで済む。糸代だけで結構、差が出てしまうんです」 

 高知医療センターの年間手術数は約四千五百件。一部の診療科の話だとしても節約できそうだ。 

 断っておくが、旭東の縫い方は、ごく一般的な手技である。ではなぜ、高知医療センターではしなかったのか。 

 「システムの問題でしょうね。高知医療センターは診療報酬が出来高払いだから、材料代が増えたらその分、収入も増えるのかも。その辺は事務方の仕事なので、僕らは詳しく知らないんですよ」 

 一方、旭東では既にDPC(診療報酬の定額払い制)を導入済み。「この病気の収入はいくら」と最初から決まっているから、材料費も節約のしがいがあるわけだ。 

 高知医療センターも本年度、DPCを導入する予定だったが国の方針変更で一年延びた。五億円の増収を見込んでいただけに痛い。 

 だが、そういう技術論的なこととは別に、溝渕医師はもっと異なる、大きな視点から高知医療センターの赤字について語った。 

 高知医療センターの赤字は毎年、二十億円ほど出て問題視されているのだが、「でもね、高知医療センターは普通の病院じゃない。南海大地震が起きた時の災害対策本部も兼ねている。県民はそこを忘れてはいけないと思うんです」。 

 建物に免震構造を入れ、ヘリポートも設けた。一階の廊下には斜めの線が描いてあるが、それは単なるデザインではない。線に沿って臨時ベッドを並べるためであり、酸素の配管も来ている。職員も随時、訓練を行っているのだ。 

 「普段は不要に見えるかもしれないけど、いざという時の備えなんです。あの施設が立派な裏には、そういう意味も含まれているわけですよ」 

 つまり、日常の医療活動以外の大きなコスト負担があるのだ。それらもひっくるめて「赤字が多い」と批判するのは筋違いだという。 

 「あそこは本当の意味での最後の砦(とりで)。がんや救急だけの砦じゃない。その部分は医業収益と別に考えてあげてほしいですね」 

 災害対策だけではない。高知医療センターは小児、産科救急、多発外傷などの集約的治療や、ヘリ搬送によるへき地への救急医療の普及など、これまで高知県になかった高度医療も導入した。収益を考えると手を出しにくい不採算部門だが、県民のための政策医療として抱えているわけだ。 

 「高知医療センターは、そういう大きな使命を、もっと県民に知ってもらうべきでしょう。今までのような不言実行だけで、どこまで理解されているんでしょうかねえ」 

 ただ、そこまではっきり思えるのは、考える余裕ができたからこそだろう。高知医療センター時代は目の前の仕事を片付けるだけで精いっぱいだった。 

  
[Ⅱ]幹部去り誤算次々2008年7月1日高知新聞 
  
島根県同様、瀬戸山元一氏の手腕に新病院開設の大役を委ねたのが高知県だった。 

 平成十二年四月、高知県立中央病院(四百床)と高知市民病院(四百十床)を統合する新病院の病院長予定者として着任した彼は五年後、全国初の大型統合に成功。高知医療センターを開院に導いた。 

 最大の難問は、病院に医師を送り込んでいる大学医局の壁だった。高知県立中央病院は岡山大、高知市民病院は徳島大主体の関連病院。性格の異なる病院の垣根をどう取り払うか。一つ間違うと、片方の大学の医師が総引き揚げになりかねないだけに、カリスマ性のある瀬戸山氏の招請は重要だった。 

 ある高知県内病院経営者は絶賛する。「国内で彼に勝るリーダーの素質を持つ人物はそういないと思った。夢を語れるし、学閥を封じる力も持っていた。素晴らしさを認めざるを得なかった」 

 行政関係者も「講演を高知で聴いた時は、本当にすごいと思った。厚労省に人脈もあって、国策の流れ、情報も早かった。うってつけの人物だった、あの時は」と。 

 わずか三年前、自信満々で船出した高知医療センター。それが今、想定以上の赤字と、これまで紹介してきた脳外科の残業月二百時間に象徴される医師の疲弊にあえいでいる。 

 つまずきの発端は、開院の前年にスタートした新臨床研修医制度による全国的な医師不足だ。 

 瀬戸山氏は自著の中で、医学生定員の削減、医師国家試験合格率の抑制、保険医定年制などが検討されていることを挙げ、医師過剰時代の継続を予測。〈良い医療をするのに、出身大学は関係ない。もし適切な医師がいないと判断すれば、全国公募も辞さない〉と強気の弁を展開している。大きな読み違えだった。 

 そして最大の誤算。それは開院わずか一年で、自らが退陣したことだ。表向きは「健康上の理由」だが…。 

 巨大司令塔退任の激震と揺り戻しの中で、開院にかかわった主要人物は短期間のうちに次々と去った。島根から一緒に来た企業統括官や医療技術局長、経営を担う企業長らに続いて、副院長、大看板「救命救急センター」のトップも去った。さらに言えば、瀬戸山氏を招いた当時の知事と高知市長も退いた。 

 残った主要人物は、現在の堀見忠司院長(開院時の副院長兼がんセンター長)一人。オーケストラに例えると、指揮者と各楽器の主力奏者が開演直後に大挙離脱した格好だ。 

 もっと言えば、堀見病院長は高知県内の腎移植パイオニア。難しい消化器がん手術のチーム医療にも果敢に挑んで高い評価を得ていたが、病院経営への精通を求めるのは酷であろう。瀬戸山氏は自著の中でこう書いている。 

 〈医療の質、医療管理、あるいは医療経済などについても、全く無縁の環境で仕事をしてきた医師が、「年高序列」で病院長に就任するということが日常的に行われている〉〈アメリカでは病院経営の大学院を終えなければ、病院長への道はない〉〈現状の病院長人事のあり方では、就任した病院長も不幸ではあるが、病院も悲劇である〉 

 自ら指摘しておきながら、運命は皮肉である。 

 前高知県医師会長で、高知医療センター経営改善検討委員だった村山博良医師(77)は、「堀見先生が一人で、両肩に重荷を背負わされているようなものです」と気の毒がる。 

 救命センターにしても、当初は三次救急中心の対応のはずだったが、現実は異なる。高知医療センターは誤算の連続なのだ。 

 色あせたばら色の瀬戸山ビジョン。そろそろ現実に沿ってリセットすべき時ではないのか。溝渕医師から届いた本は、そんなことを考えさせた。 

 さて、その彼は“新天地”でどんな生活をしているのか。電話を入れると、弾んだ声が聞こえた。「こっちはメリハリのある生活ですよ」