釜石県立病院は岩手医大医師、釜石市民病院は東北大医師、統合 失敗に学ぶ・・

 

 



『釜石県立病院は岩手医大医師、釜石市民病院は東北大医師、統合 失敗に学ぶ・・2病院ほとんどの診療科が競合していた。流儀の違う医師が混在する難しさに加え、急速な医師不足の深刻化が、市民病院の医師引き揚げにつながった・・・釜石に急性期病院が二つあればどちらかはつぶれる。それが一つに絞られたこと自体はよかっただろうし、市財政も救われたかもしれない。だが、統合が成功だったとは言えない。医師が増えなかったのがすべて。大学同士の調整機能は手付かずのまま。 

ガイドラインでは 2病院の統合はそれぞれ 独立経営を継続しつつ 重要な意思決定を一体の独立行政法人(非公務員型)の理事会に任せる・県と市の行政・議会の権限外とし 病院職員の総意により診療科の集中・役割分担を決定し責任を取っていただく。
医局・文化の違いを乗り越えて統合に成功した 酒田・日本海の事例に学んで欲しい』
  

  
2008年2月20日(水) 東奥日報   

 岩手編・病院再編(下)/県立に1人も残らず/背景に「大学間の壁」  
 釜石市民病院を県立釜石病院に統合させる構想に対し、市民らは猛反発したが、県と市は二〇〇七年四月の統合を目指して〇五年二月、協定を締結した。市民病院から同年四月、十六人の医師のうち三人が県立病院に移り、段階的な病棟の休止が始まった。 

 しかし、想定した県立病院の機能強化はかなわなかった。 

 「結局は急性期病院が一つ消えて医師もいなくなり、県立病院の忙しさが倍になった」。〇七年五月に赴任した遠藤秀彦・県立釜石病院院長はため息をつく。 

 市民病院からは次々と医師が退職したが、行き先は県立病院ではなかった。最初に移籍した三人も、統合完了までに全員が県立病院を去った。 

救急受け入れ倍 

 最大の原因は、県立病院は岩手医大、市民病院は東北大から医師の供給を受けていたこと-。自らは自治医大一期生の遠藤院長は、そうみている。両病院はもともと、ほとんどの診療科が競合していた。流儀の違う医師が混在する難しさに加え、急速な医師不足の深刻化が、市民病院の医師引き揚げにつながったというのだ。 

 結局、県立病院の常勤医数は統合前とほぼ変わらず、病院機能再編の影響もあって、産婦人科と消化器科は逆に医師が減った。その上、救急車の受け入れ回数は二倍以上に増え、市民からは待ち時間が長くなったことへの苦情も多くなった。 

 入院患者数は、統合前の〇四年度は一日平均二百二十人だったのに対し、〇七年度は十一月末現在で二百二十七人と微増しただけ。外来患者は六百九十九人から六百四十二人と減少した。 

 ただ、市民病院の負債処理には約四十億円がかかったものの、市の財政負担は軽減された。 

成功と言えない 

 遠藤院長は「今の診療報酬体系では、釜石に急性期病院が二つあればどちらかはつぶれる。それが一つに絞られたこと自体はよかっただろうし、市財政も救われたかもしれない。だが、統合が成功だったとは言えない。医師が増えなかったのがすべて。大学同士の調整機能は手付かずのままだ」と厳しく指摘する。 

 一方で、釜石市の医療環境は、本県にも通じる構図を抱えていた。 

 〇四年現在の三大生活習慣病による死亡率をみると、釜石保健医療圏は病床数が多いにもかかわらず、県内九医療圏中、がんと心疾患の死亡率が一位、脳血管疾患も三位の高さだ。 

 市健康推進課の山田守課長は「市がかつて、市民病院会計に毎年五億円を繰り出し、保健予防に予算を割けなかったことが一因」と分析する。また、市内に病院が四つもあったことから、「コンビニ感覚」での受診が定着し、一人当たり医療費も高かったという。 

 この状況を改善しようと、市は「かまいし健康ルネサンス構想」と銘打って、市民病院跡に「医療モール」を開設し、療養病床を中心とする民間病院など四施設が入居した。病床数の規制緩和が必要だったため、構造改革特区制度も活用した。 

 急性期医療を県立病院に集約する一方、慢性期・在宅医療を医療モールが担い、病院のネットワーク化を図る。それが構想の狙いだ。総務省が示した公立病院改革ガイドラインの手法を先取りしている面もある。 

 病院の再編は全国的に不可避の流れになりつつある。だが、医師の絶対数が不足し、大学が医師配置を調整する機能が欠落したままでは、効率的な再編は困難だ。釜石市の事例は、その事実を突き付けている。 

※写真=「病院統合は成功だったとは言えない」。厳しい表情で語る県立釜石病院の遠藤院長  


2008年2月19日(火)東奥日報    

岩手編・病院再編(上)/共倒れ回避を優先/07年4月「県立釜石」と「市民」統合  

総務省の公立病院改革ガイドラインは、自治体病院の再編・ネットワーク化を柱の一つに位置付けている。それに関する本県での議論は、これから本格化することになるが、全国に先行する形で二〇〇七年四月に実施された岩手県立釜石病院と釜石市民病院の統合は、病院再編の難しさをまざまざとみせつけ、本県を含めた他県の今後の教訓にもなりそうだ。 

 釜石市は盛岡市の南東約八十キロの三陸沿岸に位置する。かつては新日鉄の企業城下町、そして漁業の拠点として栄え「鉄と魚の町」とも呼ばれた。近隣の遠野市、大槌町と「釜石保健医療圏」を構成し、医療圏人口は約九万一千人で本県の下北地域より一回り大きい。 

 市内には、救急患者の主要な受け入れ先となる急性期病院として地域を支える両病院のほか、民間の「せいてつ病院」、国立釜石病院と計四つの病院が建ち、病床数は計八百四十五床と充実した医療環境を誇っているかに見えた。 

医師不足は顕著 

 しかし、釜石医療圏は県内で最も病床がだぶつく半面、医師が最も不足している医療圏の一つだった。統合前の〇四年度、病床数は千百二十一床と基準病床数より二百四十八床も多かった。だが、人口十万人当たり医療施設従事医師数は一一五・七人にすぎず、全国平均の二〇一・〇人、県平均の一六七・九人を大きく下回っていた。 

 病床過剰の最大の原因は人口減少だ。製鉄所の高炉休止や漁業不振によって、かつて九万二千人を数えた市の人口は四万三千人を切り、さらに減り続けていた。高齢化も進み、患者が増える見込みはなかった。 

 「このままでは二つの病院が共倒れになる」。関係者の見方は一致し、病院再編に向け、一九九九年度から県と市の意見交換が始まっていた。しかし、病床数は県立病院二百七十二床、市民病院二百五十床、常勤医師はそれぞれ二十人前後と規模が似通っていることも手伝って、具体策の検討には踏み込めなかった。 

 その間にも、特に市民病院の経営は悪化を続け、〇二年度の純損失は一億四千四百万円、累積欠損金は約二十五億円に達した。「機能分担で共存を図るのは単なる問題の先送りだ。もはや片方の病院を残し、片方をやめる二者択一しかない」。進まぬ協議にしびれを切らして〇三年十二月、当時の市民病院院長が市議会で窮状を訴えた。 

院長発言が口火 

 「研修医制度の開始などに伴い、医師不足が急速に深刻化していた。院長は追い詰められていたのでは」。市健康推進課の山田守課長は振り返る。そして、この発言が口火を切る形で病院再編が一気に動き始めた。 

 両病院は診療科目がほぼ共通する一方で、それぞれ空白の診療科を抱えていた。慢性的な医師不足の中、病院統合と医師の集約は、地域の基幹病院の機能強化、そして過剰な病床の削減と医師の負担軽減の切り札になるはずだった。 

 〇四年四月、病院統合に向けて県と市の協議、さらに大学や医療機関との個別協議が始まった。そして同年九月、市民病院を県立病院に統合する方針が明らかになった。県は既に、病床数削減を含む県立病院改革プランを発表していたが、両病院の統合はプランとは別枠で検討が進んだ。 

 病院設置者による経営計画の取り組みでは、医療環境の変化に対し、住民が反発するケースが少なくない。釜石市でも、猛烈な反対運動が起きた。住民組織は三万人を超える署名を集め、県と市の翻意を求めた。