医師がいなくなった 病院をどうするか?病院の再開やれば出来る!!

『医師がいなくなった 病院をどうするか?病院の再開やれば出来る!!』 
 青森県平川市の国保平川病院が、2007年5月1日から一時休止となることを受け、市と市職員労働組合(赤平泰衛委員長)が24日、病院職員の処遇について話し合い、「原則として市職員の身分を保証し、希望退職も強制はしない」とすることで意見が一致した。
~このような妥協で 平川市の財政と 地域医療が守れるとは考えられない。雇用も確保し再生できる方法はある!愛知県東栄町を関係者は視察して欲しい 

~長 隆

(2007年4月25日 読売新聞)
同市によると、現在の病院職員は看護師41人、臨床検査技師4人、放射線技師2人、薬剤師3人と事務5人の計55人。無床診療所になると、必要な人員は10数人で、残りは配置転換する必要が生じる。他の病院での勤務を望む場合は、市が可能な限り斡旋するという。 


(病院のHPのお知らせより) 
  当院は、平成19年5月1日(火)より常勤医師の不在のため、当分の間診療を休止いたします。休止の間は、患者様へのお薬を出せませんので、ご了承くださるようお願いいたします。 
 なお、診療再開に向けて努力して参りますので、大変ご不便をおかけいたしますが、よろしくお願いいたします。また、再開の目途がつきしだいご案内いたしますので、ご理解を賜りますよう重ねてお願い申し上げます。  

平川市 
総人口 35,338人 
平川市(ひらかわし)は、青森県津軽地方の市。2006年1月1日、南津軽郡尾上町・平賀町・碇ヶ関村が合併して誕生した。 
市名は3町村を流れる岩木川の支流・平川に由来するが、平川は旧碇ヶ関村と旧平賀町の間で、大鰐町と弘前市も流れている。旧碇ヶ関村と旧平賀町は境界を接しているが、その境界線は山地で道路が通じておらず、従って旧碇ヶ関村地区は実質上の飛地である。 
当初、弘前市・黒石市・岩木町・相馬村・西目屋村・藤崎町・大鰐町・尾上町・平賀町・常盤村・田舎館村・碇ヶ関村の合併による、新「弘前市」発足を目指したが、合併方式、新市名、議員定数などをめぐって紛糾して合併協議が破談となり、尾上町・平賀町・碇ヶ関村で合併に合意したため、このような形となった。 



2007年4月19日(木) 東奥日報   
 平川病院、常勤医ゼロで来月休止 
 平川市の国保平川病院は、院長と副院長が三十日付で退職するため、五月から病院休止になることが十八日、分かった。五月以降、期日をおいて無床の診療所に移行する見込みだ。同日の議員全員協議会で、外川三千雄市長から常勤医二人の退職と、病院の民間委託交渉が不調に終わったことの報告があり、無床診療所へ転換させることで意見を集約した。 
 全員協は非公開で開かれた。選択肢として挙げられた(1)指定管理者制度での民間委託(2)無床診療所への転換(3)そのほかの方法-についてあらためて協議した。 
 協議終了後、大川喜代治議長は「病院存続を主張する人や、病院の使命は終わったという議論もあったが、大多数の議員が無床診療所を選択した。小さくなるが市で地域医療を守る」と話した。
 外川市長は「議員の意見を基に、検討委員会などで詰めていく。病院を休止する期間をできるだけ短くしたい」と答えた。 
 診療所開設までの手続きとして、設置条例の制定など事前準備や、県への開設申請で実質一カ月近くかかる。前提となる常勤医の確保について、同市長は「あてはあるが、今の職場を辞めて来ることになるので、まだ期日がはっきりしない」と話しており、診療所開設時期は未定だ。 
 通院している女性(70)は「これからどこへ行けばいいのか」と困惑顔。別の女性(78)は「救急車が来ない診療所なんて意味がない」と失望感をあらわにした。市内の主婦(50)は「市長はもっと市民の声に耳を傾け、患者を大事にしてほしい。転院させられた患者は泣いている」と訴えた。 
 一方、市側は病院職員に対し、五月末までは病院休止中も勤務してもらうと説明したが、市職員労働組合は今後の処遇について団体交渉を申し入れた。 

5月から常勤医ゼロになる平川病院。病院を一時休止し、診療所化が図られる  

市長が解雇方針撤回/公務員身分を保障/平川病院職員 
2007.04.25 東奥日報   
診療所化の方針が打ち出された国保平川病院の職員約五十五人の処遇について、平川市の外川三千雄市長は二十四日、市職員労働組合との団体交渉で職員全員解雇の方針を撤回し、公務員の身分を保障して対応する意向を表明した。労組側は、市長提案に一定の評価を示し、今後、条件面など細部の交渉を行う予定だ。 
 市側は十九日、病院職員全員に五月三十一日で退職してもらいたい-などの考え方を労組に提示。これに反発した市職員労組は二十三日に市側の提示を拒否し、病院存続と分限解雇の取り消しを要求していた。 
 外川市長は二十四日、診療所化の方針は変えなかったが、解雇方針を撤回した上で(1)診療所での雇用(2)配置換え(3)希望退職受け付け(4)他の自治体病院への転職の斡旋(あっせん)-の四案を示した。 

 同労組は提案を持ち帰ったが、前向きに対応するもよう。二十四日から三日間、病院職員四十人とほかの自治体病院職員ら六十人で、市長室前で座り込みをする予定だったが、「診療所になれば雇用人数は限られ、条件面で課題は残るが、提案は一定の評価はできる」として、座り込みは三十分で切り上げた。二十五日以降の座り込みも取りやめた。 

 外川市長は「最初は、解雇することもあるという方法、考え方を示しただけのつもりだった。だが、解雇ありきとみられたのは残念だし、私の不徳の致すところ」と話し、「話し合いをしながら、解決していかなければならないと思っていた。私が考えを変えたわけではない」と強調した。